アジア

2017年7月20日

【小浜逸郎】劉暁波氏の死去に際して「自由」について考える

From 小浜逸郎@評論家/国士舘大学客員教授

2017年7月13日、中国の民主活動家、劉暁波氏が死去しました。

劉氏は、コロンビア大学客員研究員として米国に滞在していた1989年、
本国で起きた民主化運動に参加するためにただちに帰国、
同年6月の天安門事件で投獄され、
以後、民主化運動と獄中生活とを繰り返しました。

2008年12月、彼が中心となり、303名連名で、
三権分立、司法の独立、人権尊重、言論、
集会、結社、宗教の自由の保障、公職選挙、社会保障
などを謳った「零八憲章」をネット上で公開し、逮捕拘束されます。

2009年12月、国家政権転覆扇動罪で懲役11年の判決を受け、翌10年2月に服役し、同年10月に獄中でノーベル平和賞を受賞します。
この時、中国政府は「ノーベル平和賞は西側諸国が政治的に利用するためのものだ」といってノルウェーを激しく非難しました。
これはある意味、正しい認識です。

2017年5月、劉氏は末期がんと診断され、仮出所を許されます。
国際社会では彼を国外で治療すべきだとの声が高まりますが、中国政府はこれを拒否、ついに国内で死去することになりました。

同年7月15日には、劉氏の兄、劉暁光氏が市当局立会いのもとに記者会見し、弟を海葬に付したと発表しました。
暁光氏は弟に対する政府の対応を絶賛しました。すべての発言内容が当局にチェックされていたことは自明だと産経新聞は報じています(7月16日付)。

海葬とは要するに灰を海にばらまくことですが、この措置にも当局の強制的な指示があったことは明瞭でしょう。
お墓を作ればそこに共鳴者が集まり、新たな民主化運動の拠点となることが当然予想されるからです。
中国政府は、劉暁波氏の存在そのものを歴史から完全に抹消したわけです。
民主化? 自由? 人権? そんな言葉は我が邦の辞書にはない、と。

やれやれ。
今に始まったことではないですが、中国とは要するにそういう国です。
民主国家の住人である私たちからは非常識としか言いようがありません。

しかし、キング牧師、ネルソン・マンデラ氏などとともに、劉暁波氏は今後世界史にその名を刻むことになるでしょう。
度重なる不当な弾圧にもかかわらず、祖国の民主化のために生涯闘い続けた彼を筆者も尊敬してやみません。

しかし、このように言明するだけなら、誰にでもできることです。
じつは筆者は、ことはそう簡単ではないと思っているのです。それについて述べます。

欧米では、自由、平等、人権、民主主義を「普遍的価値」として高らかに掲げ、
これに反したり疑ったりするいっさいの思想、行動、感じ方を絶対に許そうとしません。
日本は敗戦で魂を抜かれて、いまだにアメリカの属国状態ですから、半ば以上、この「イデオロギー」に追随せざるを得なくなっています。

本当に自由、平等、人権、民主主義は、「普遍的価値」なのか?
この命題を懐疑する必要はないのか?
これらの用語を「普遍的価値」として掲げる欧米先進国の建前のうちには、じつは現実を覆い隠す大きな欺瞞が隠されているのではないか?
それぞれの用語の使われ方に対して、もっと繊細な目配りをすべきではないのか?

ここではひとまず「自由」という概念に絞って考えてみましょう。

北朝鮮や中国のように、自由な言論も政治活動もまったく許されず、
政府に対する批判的言動が直ちに弾圧され粛清されるような独裁国家に対しては、
自由の価値を叫び続けることには大きな意義があります。
これはおそらく、いったん自由の味を知った人が、その国に住んでみればすぐに実感できることでしょう。

逆に日本がいかに思想・言論・表現・信教などの自由が保障された恵まれた国であるかもわかろうというものです。
むしろ恵まれすぎていて、多様な見解・主張が乱れ飛び、いくらまともな言論を発信しても、「暖簾に腕押し」状態になってしまっています。

実際上、裏でこっそり政治の実権を握っている人たちというのは、「自由な」民主国家にもちゃんと存在しています。
彼らは権力に安住しているので、まともな言論に対してほとんど聞く耳を持とうとしません。

その結果、思想、言論の自由は、じつは生きて働かず、「少数派が愚痴を言う自由」「無力感をかみしめる自由」のようになってしまっています。

日本におけるこの事態をどうやって根本的に打開するかについては、当メルマガで
「『新』国家改造法案」と題して試論を書きましたので、参考になさってください。まだ生煮えですが。

【小浜逸郎】「新」国家改造法案

要するに、私たちは、自由という言葉を聞きとるときには、それがどういう文脈で使用されているのかに注意しなくてはならないのです。
また私たち自身がこれらの言葉を使うときには、それをどういう価値観のもとに使っているのかに自覚的でなくてはなりません。

たとえば、中国における「自由」と、日本における「自由」とは、その問題点の置き所がまったく異なっています。
中国では、いかに自由を獲得するかが問題です。
日本においては、手にしている自由を空文に終わらせず、いかに実効性のあるものにするかが問題です。

またアメリカは、自由という「普遍的価値」の実現を表向きの旗印にしながら、
イラク、北アフリカのアラブ諸国、グルジア(現ジョージア)やキルギスやウクライナなど旧ソ連勢力下にあった国々への介入を正当化してきました。

しかしそこには、覇権国家としての現実的な利害や、イデオロギーの押しつけや、
冷戦時代以来の感情的なロシア敵視などの要因が隠されていたことが、今では明瞭になっています。

結果的に、これらの地域はいま、先の見えない不安定な状態にさらされることになりました。

リビアの独裁者カダフィ氏は、アメリカのこの一連の介入の中で殺されましたが、
彼は利害の入り乱れる諸部族を巧みに統率し、手厚い福祉を施していたと言われています。

またEUは、域内のヒト・モノ・カネの自由な移動(グローバリズム)を認めた結果、
各国間の極端な格差や大量の移民・難民に悩まされるという深刻な事態に至っています。

さらにいま、トランプ大統領の保護主義的な方針に対抗して、「自由貿易主義」のイデオロギーが幅を利かせています。
中国の習近平主席は、2017年1月、市場の眼を惹きつけるチャンスと見て、
さっそく世界の富裕層が集まるダボス会議で演説し、自由貿易の意義を強調しました。

あの中国が「自由」の強調? 滑稽というほかないですね。

でも笑って済ませるわけにはいきません。
中国は、政治的自由主義と経済的自由主義を巧みに使い分けているのです。
国内では人民の自由を弾圧し、国際的には国家利益追求のために、アメリカの覇権後退の趨勢にちゃっかり便乗しているわけです。
一党独裁と市場原理の両立──それがトウ小平以来のあの国の基本方針でもあります。
もっとも、中国経済がうまく行っているとはとても言えませんが。

いずれにせよ、経済的な「自由」理念をそのまま追求することは、
弱肉強食的な競争至上主義を肯定することであり、
弱小国にとっては経済的な主権を強国の富裕勢力に奪われることを意味します。

ここでは「自由」の概念がグローバリズム・イデオロギーの正当化として使われます。
グローバリズムのもとでは、強国・富裕層の「自由」が、弱小国・貧困層にとってはそのまま「不自由」となるのです。

以上のように、「自由」とは、それだけとしては単なる抽象的な言葉にすぎません。
どういう具体的文脈の中でこの言葉が使われるのかという背景と不可分のかたちでその価値が測られるべきなのです。

自由理念を振りかざして、それを何かとても素晴らしいことのように吹聴する有力勢力(わが国では竹中平蔵氏がその代表)は、
必ずと言ってよいほど、その裏に自己利益最大化と弱者抑圧という意図を隠し持っています。
私たちは、その欺瞞を見抜き、おさおさ警戒を怠ってはなりません。
名高いアウシュビッツ強制収容所のゲートには、「Arbeit macht Freiheit(労働こそ自由を生み出す)」という標語が掲げられていました。

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【小浜逸郎】劉暁波氏の死去に際して「自由」について考えるへの10件のコメント

  1. 神奈川県skatou より

    >本当に自由、平等、人権、民主主義は、「普遍的価値」
    >なのか?この命題を懐疑する必要はないのか?

    小浜先生のこのご指摘を、とても貴重なものと感じます。
    今やこのレベルまで下がって探索しないと、なかなか我々現代人の絡み合った状態の出口は見えてこないのかと、自分にも思われます。

    だれがそれを見いだせるか。
    そのものの出身母体の文化(国家)とは、と考えると、我々には、主体性やら義務感まで俎上になりそうで・・

    >またEUは、域内のヒト・モノ・カネの自由な移動(グロー
    >バリズム)を認めた結果、各国間の極端な格差や大量の
    >移民・難民に悩まされるという深刻な事態に至っています。

    欧米の欺瞞のしっぺがえし、ですよね。
    「EUとはローマ・キリスト教文化の伝統を持つ諸国が価値観を基に統一した連合国家である」「人類普遍の自由などというものはあの世的な理想であり、現実的な行政単位の国家としては、この価値観に基づき太線で線引きをするのだ」と言えばよかったのに
    、そう言わなかった。正しくは、言えなかった。

    だから異質なものを政治として排除できなかったが、心情として当然に排除したくなって、ということではないのか。
    西洋文化の歴史的役割の寿命でしょう。
    この程度ではもう、主役ではない、ということです。

    今時代、世界が狭くなったというならば、もともと狭い島国に住む、長い歴史で洗練された日本文化のスピリットが世界にメッセージを発信できそうだと、思えてきます。まだ早いのかな・・・

    >ここでは「自由」の概念がグローバリズム・イデオロギーの
    >正当化として使われます。
    >グローバリズムのもとでは、強国・富裕層の「自由」が、
    >弱小国・貧困層にとってはそのまま「不自由」となるのです。

    スポーツに例えると、ボクシングの階級を規制緩和し、体重(体格)の区別なく打ち合え、ということかと思います。マイクタイソン(古い?)だけがチャンピオンであり、あとの選手はゴミ、ということになります。
    世の中それでいいならばそうなのですが、生物はニッチな詳細化が進化の原理で繁栄の礎だとすれば、単純環境に限定してしまうことは複雑化の真逆になるわけで、それは実は変化に弱い、亡びの原因となります。
    人類が滅びるとしたら、欧米的な単純価値が普遍的だとして世界が統一されたことに因る、のでしょう。

    別に人類が100年後に内在的理由で自壊しても不思議はない訳で。

    そういえばふと思い出しました。
    院生時代に今は亡き自分の師匠から聞いた言葉です。
    「人は自由というものを一度手にしたら、なかなか
     それを手放すことは困難だ。歴史は不可逆である。」
    「今の日本人は自分たち日本人とは違う。」
    「社会が”溶けて”いる。その問題を解決するのは、君たち世代だ。」

    自由を手放すことは、もしかするとそれ以上に魅力的な、充実した落ち着きのある何かに魅せられたとき、はじめて可能かもしれない、最近ではそう思います。

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      1. 小浜逸郎 より

        真摯なコメント、ありがとうございます。

        重要なことは、「自由」という抽象的な理念に、別の抽象的な理念を対置することでは、この問題は解決しないということですね。

        「生物はニッチな詳細化が進化の原理で繁栄の礎だとすれば、単純環境に限定してしまうことは複雑化の真逆になる」というのは、まことにおっしゃる通りで、そのニッチな詳細化を、それぞれの環境(諸国家、諸文化など)に適応した具体的な「進化方策」によって練っていかなくてはならないのでしょう。

        さしあたり、EUなどは、いったんは、マーストリヒト条約以前の状態に差し戻す必要がある、と考えています。

        また「日本」というニッチにおいては、周回遅れの欧米的経済自由主義から脱却して、その風土に合った価値観を構築していく必要があるでしょうね。

        それにしても、まずは財務省の緊縮路線、竹中氏らの「規制緩和」路線を潰さなくてはなりません。

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        1. 神奈川県skatou より

          >重要なことは、「自由」という抽象的な理念に、別の抽象的な理念を対置することでは、この問題は解決しないということですね。

          おもわず膝を打ちました。
          おっしゃるとおり、抽象的理念で置換しては解決にならない、すごく納得しました。とても重要なご指摘ありがとうございました。

          >また「日本」というニッチにおいては、周回遅れの欧米的経済自由主義から脱却して、その風土に合った価値観を構築していく必要があるでしょうね。

          まったく同意見であります。
          昨今、世界は繋がりやすくなったので、コミュニケーションする手段は必要ですが、それは手段であって、自身の本質を抽象化する必要はなく、現時点でローカライズの方向が豊かさに繋がるのだと思われます。

          そういう夢が、まさに政治の議論に足りないところであり、自由と平等を、天安門で叫ぶならともかく、秋葉原で連呼しても陳腐な道具であり響かないし、なにも見えてこない。
          政治の閉塞の答えは、もう、はっきりしてきたように、自分は感じております。

          >それにしても、まずは財務省の緊縮路線、竹中氏らの「規制緩和」路線を潰さなくてはなりません。

          正攻法としては、魅力的未来を語る政治主張に、旧来の固定観念な層は味方を失うと思います(気長すぎなのが自分の悪いところですが)。

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  2. たかゆき より

    自由とは??

    広辞苑での原義は
    勝手気ままの意とか

    竹中さんは きっと これ

    英語の freedom liberty は
    民衆の持ちえない権利を有している状態 とか
    支那地方はきっと これ

    最近では バリアフリーとか 障害物から解放された状態に使用されることも多々あるようで、、

    人民にとっての障害物とは 特権階級

    ちなみに
    「由」 元の意味は カラッポ

    「自由」とはとてもとても 使い勝手のよい
    言葉のようで ございます。。。

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  3. robin より

    自由=何でも出来る、全能のイメージがあるけど、実際は何でも何もかもしなければならないから神経衰弱になるのでは。一切の規制の無い自由って制度や言語すら否定する暴力上等な世界では。
    人は自由以上に宿命を欲する(福田恒存)、過去を顧みた時どうしてもこうせねばならなかったと観念できるように生きたい。人は(固定)観念に生きて観念で会話するのが自然かな、習慣やルーチンが無いと野放図な生き方になりがちなのか。観念する、諦めること無しに選択は出来ないから一定の枠組みが無いと何も選択出来ないことに繋がるのか。「人間関係の型がなければ、私達は自分の存在も確かめられないし、自由も享受できない」「自由を与えられて自信を失う」

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      1. 神奈川県skatou より

        >「人間関係の型がなければ、私達は自分の存在も確かめられないし、自由も享受できない」

        まったくそういうことだと思われます。
        もし、枠組みを作りメンテナンスするのが生命の原理だとすれば、自由そのものには常に虚無と言う死の臭いがするのは道理なのかな、と。

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  4. 赤城 より

    やつらの言う自由なるものは要するに自分たちに都合のよい自由なんです。抽象的な好印象語を利用してイメージだけで民衆を動かそうとしてきた。グローバリストの言う自由が良いというなら国家保護の全くない完全なる弱肉強食の荒野が良いといいことになる。結局は強者に都合の良いルールを押し付けるだけの言葉です。
    マッドマックスの世界を理想と考えるキチガイがいるのでしょうか。

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  5. 反孫・フォード より

    >中国の習近平主席は、2017年1月、市場の眼を惹きつけるチャンスと見て、さっそく世界の富裕層が集まるダボス会議で演説し、自由貿易の意義を強調

     中共の赤政治家の場合は全く悪徳政治家しか居ないのでしょうか。
    しかし日本の場合エコノミンテルンたる竹中等もまったく悪徳エコノミークラスエスタブリッシュメントにしか見えません。
    そして安倍総理も戦後レジームたる反共(反保護主義)を刷り込まれ(新)自由を標榜するだけの国際悪徳政治家といえるのでしょうか。

    脳足りんなコメント失礼しました。

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      1. 反孫・フォード より

         脳足りんではありますけど書き忘れていました。

        最近のコンテナによるヒアリ侵入拡大騒動・・・・
        これはもしかしたら中共悪徳政治家や、爆チャイニーズ流入政策を推進する日本のエスタブリッシュメント等のコンセンサスによる日本破壊の蟻の一穴ではないでしょうか?

        あるいはヒアリに対する処置のチャイニーズエスタブリッシュメントによるビジネス化・・・・
        どちらにしても日本はじわりじわりと茹でガエル状態にされて、最期は外国悪徳政治家や国際主義者等のエスタブリッシュメントに喰い尽くされるばかりです。

        小浜さんどう思われますか?
        (と書きましたが脳足りんな質問なので真面目に答えてもらうつもりではないです。御了承ください。)

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        1. 小浜逸郎 より

          コメント、ありがとうございます。

          ヒアリが「蟻の一穴」とは、うまい譬えですね。感心いたしました。

          おっしゃる通り、日本は今、茹でガエル状態が進行中で、しかもオウンゴールで自ら茹で上がりに突き進んでいる体たらくです。

          これを避ける方法は、ただ一つ、諸悪の根源である財務省の緊縮路線をいかにして打破するかという点にかかっています。要するに内政問題なのです。

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