From 平松禎史(アニメーター/演出家)
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●●日本は「発展途上国」へと転落するのか? 豊かで安全な日本を後世に残すための条件
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◯オープニング
梅雨に入って東京はしょぼしょぼと雨が降っております。
細長い日本列島。所によっては大雨、
「イブセキ ヨルニ」の後は、お誘い頂いていた仕事に取組みつつ、
政治経済、
第十四話「誰も見たことのない三種の神器」
◯Aパート
第二次長州征伐、西南戦争、そして日清・
大正元年、自刃する三日前。
訪れた乃木大将の様子がいつもと違うため、裕仁親王殿下(
その時に、熟読されるよう手渡されたのが山鹿素行の『中朝事実』
これは、中国の儒教が尊ばれ、
易姓革命は徳の断絶を根拠としていたそうですから、
中国の場合はそれ(徳を主体として王の正統性を規定する)
興味深いので歴史を遡ってみるといろいろあるのですが、
乃木大将が尊敬していたとされる楠木正成公は南朝方の武将でした
さらに遡って驚いたのは武烈天皇(西暦499年〜506年)
古事記と日本書紀では記述に大きな差があるのです。
(以下、歴史的な事柄について書いていきますので、
古事記では、後嗣がなかったので応神天皇の五世の孫を淡海国(
しかし、
ですから、古事記での武烈天皇の記述は「後嗣(跡継ぎ)
一方日本書紀では
”「頻りに諸悪を造し、一善も修めたまはず」
異常な行動としてこのようなことが列挙してあるのだそうです。
”二年の秋九月に、孕婦の腹を割きて其の胎を観す。”(同)
…にわかには信じがたいですね。
記紀の記述の差や矛盾点、諸悪の極端さから、
この原因として、継体天皇が血統として弱かったため、
さらに
仁賢天皇までの皇統は血筋が定まっておらず、
あくまで説ですが。
そうだとすると、両説ともに、
あるいは、「悪者」として架空の天皇を設定した、
記紀を編纂した時代は、「天皇」
しかしながら、関係の深かった隋〜唐の影響が、
日本の背骨たる皇統が、まだ堅固とは言えなかった時代ゆえ、
◯中CM
今年は2015年
TVシリーズの「新世紀エヴァンゲリオン」
ボクは、
最初の印象は
「マジンガーZ 対 デビルマン」ならぬ「マジンガーZ + デビルマン」か!?こりゃ凄い!でした。
マジンガーZもデビルマンもやや似た構造を持ちます。(
「マジンガーZ」では
主人公、兜 甲児の祖父が作ったロボット、マジンガーZを操って敵の機械獣(
「デビルマン」は
悪魔と合体した不動 明(デビルマン)が、神と悪魔、人間の間に立って戦う。
両作品ともに縦(上下)の関係が濃厚です。
そして、「エヴァンゲリオン」は、
縦の関係を肯定的(積極的)
◯Bパート
「(封建の)門閥制度は親の敵で御座る」
とは、福沢諭吉が晩年に口語体で記した自伝「福翁自伝」
大戦後も民主主義の対立概念として、封建制はとにかく「悪者」
古代から中世、近世へ至る歴史をみていくと、
それに比べれば260年も大きな内乱が起きなかった江戸時代は太
明治維新後、最後の内戦になった西南戦争後の日本は、
そもそも封建制とは何でしょう。
最近読んだ今谷明著『封建制の文明史観』から引用しつつ、
(1)
(2)権力の分散に基く政治的機能
(3)領主・農民関係に基く社会・経済的機能
オットー・ヒンツェ(1929)(p165-166)
封建制度は、
ヒンツェは日本の封建制発生の環境を、こう指摘をしています。
”全く独自な存在でありながら(中略)
中間の()部分は要約したものです。
文化受容を通して、というところは理解しやすいですね。
日本と西欧の封建制を論じた、
社会学、民俗学と分野の違う二人が、『東洋的専制主義』『
梅棹の『文明の生態史観』では、
そして、
第一地域に共通するのは、
第二地域は、封建制を経ずに専制へと向かい、現代でも停滞・
もちろん、ここまでざっくりした分け方では説明しきれません。
しかし、(差別的な意味でなく)
_ _ _
『封建制の文明史観』は、第一章で、
二度の元寇に際して、鎌倉幕府と朝廷は協力し、
博多湾岸や平戸の防塁建造が縦横の協力体制を象徴している。
同じ頃、元の攻撃を受けていた南宋(中国の王朝)では、
結局、呂文煥は降伏後に元に寝返り、賈似道は無様な最期を遂げ、
封建制の定義(1〜3)に照らせば双方の違いが歴然とし、
さらに、西洋中世史家、堀米庸三の指摘は特に重要です。
”
我が国の場合、
堀米の指摘は、
おそろしいですね。
「日本の封建制」を見ていくと、
縦横の網の目が強靭な建築物のように構築されていたからこそ、
これは現代においても非常に重要な意味を持ち得ると考えます。
皇室は日本の縦の構造を支える重要な位置を占めているわけですが
歴史を辿ってみると、それだけではないとハッキリ言えます。
武烈天皇の逸話は黎明期を思わせます。
しかし、南北朝時代の北朝は、皇位継続のために様々な「解釈」
三種の神器が揃わない時の「譲国の詔」による継承。
治天(実権を持つ上皇)
平将門、
北朝の持明院統は断絶することになりますが、
そのため、以後も南北朝正閏論はたびたび議論の的になり、
このような苛烈な歴史が意味することはなんでしょう。
宗教観による法理とともに、
だからこそ、同じく法治の国、欧州や欧州発祥のアメリカと(
時の勢力の都合による「徳」で法治を歪め、
_ _ _
最後に、Aパートの話に戻しましょう。
易姓革命のような酷い話を読んでいると、ふと気になります。
現代にもそのような心理が沸き起こることがあったじゃないですか
数年前
政権交代・
現在
自民党・安倍政権を善きものとするために民主党政権を、中国を、
あるいは
「戦後の平和」を善きものとするために戦前を、
その過程での経済は
アメリカの要請でもって公共事業が増やされたと思えば悪者にされ
日本型経営も農協や医療も、発送電も、
国防では
政権を支持・批判するために、アメリカが悪い、いや中国が悪い、
経済動向の見方や、集団的自衛権行使の憲法解釈など、
安倍政権は民主党政権と比べるまでもなく、法治的で、
ただし、安倍政権が保守するものが デフレ不況と日本国憲法と戦後体制 になりそうなのが残念です。
歴史に学べとよく言われますが、
「己の姿を見よ」と。
特定の制度や、表面上の「善悪」に踊らされる間に、
何のための政(まつりごと)なのか。
日本を破壊したい者は国内に怪物を育てようとするでしょう。
誰に「徳」
_ _ _
『封建制の文明史観』は、
しかし、人心が乱れ世が荒れるたび、見直しや次善の策、
本物の三種の神器は、誰も見たことがないそうです。
それでも確かに「存在」し、日本の法治、道徳観を伝える根拠、
誰も確かめられないからこそ、続いているとも考えられます。
なぜでしょう。
確認できないものは悪者にできない、潰すこともできない、
どう丸く収めるか腐心して漸進してくことに政治(=国民の議論)
そう考えると、堀米庸三が指摘する皇室の意義が理解できます。
「和をもって尊しとなす」
それが最終的に民の安寧につながるという経験則でしょう。
封建制を肯定して中世に戻せば良いなどと思いません。
社会と人の縦横構造の強靭さを考える教材の一つとして「封建制」
「何のために」
という目的を誤らないために。
◯エンディング
『封建制の文明史観』で初めて知ったのですが、
本では、防塁のことを知っていたシラク大統領が来日の際(
博多湾岸にはグルっと20kmにも及ぶ石組みの壁が作られた。
今度博多に行く時は是非とも元寇防塁を見たいです。
んで、730年前の攻防に思いを馳せつつ、
◯後CM1
今谷明「封建制の文明史観」
http://www.amazon.co.jp/dp/
◯後CM2
「イブセキ ヨルニ」短編アニメーション。
原作:さかき漣「顔のない独裁者」
大エイジア連邦支配で法治とその背骨たる意識が失われた日本国民
「悪魔の連邦は終わった・自由革命を!」「GKは売国奴・
…という全体主義的状況による、
http://animatorexpo.com/
PS
「政府は亡国の財政政策をやめろ!」に、ご賛同頂ける方は、↓
http://keieikagakupub.com/lp/
PPS
「大阪都構想」騒動とは一体、何だったのか? 三橋貴明が解説中
https://www.youtube.com/watch?
【平松禎史】霧につつまれたハリネズミのつぶやき:第十四話への2件のコメント
2015年6月28日 2:09 PM
日本において、徹底した独裁というものは、存在しなかった、というのがおそらく、たいていの歴史家に共有される認識なのだろうと思います。武によって馬上天下をとったような連中、平清盛、源頼朝、足利尊氏、豊臣秀吉、徳川家康のいずれもが、絶対王権を確立したわけではありませんし、統帥権の独立を主張して国権を壟断した旧帝国陸、海軍ですら、特定の独裁者を推戴するものではありませんでした。ではなぜ、日本においては、徹底した独裁は存在しなかったか?おそらく、そのことと日本人の精神構造とか心理的特性とは無関係ではないと思います。わが国において深層心理学者のカール・グスタフ・ユングが創始した心理学の体系を習得し、紹介する草分けとなった深層心理学者・心理療法家の故河合隼雄先生のご著に「中空構造日本の深層」や「神話と日本人の心」などがあり、示唆に富む考察がなされております。河合先生は、日本人の精神的、心理的構造および特性は、西洋人のそれとは異なるのではないか、という当たり前と言えば当たり前のことを確認しつつ、議論を進めておられるわけですが、同じくユング派の深層心理学者の老松克博がお書きになられた「漂泊する自我」なども、そのような観点から優れた考察がなされていて、一読の価値があると思います。
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2015年6月29日 9:44 PM
>乃木大将が尊敬していたとされる楠木正成公は南朝方の武将でしたが、鎌倉幕府からは「悪党」と言われていたそうです。今 手元に資料はないのですが(転居で本は全て家に置いています)、この時代の悪という言葉はワルイということではなく、強いという意味がありました。悪源太とか悪七兵衛などはそういう意味で使われています。
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