From 平松禎史(アニメーター/演出家)
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●世界を動かす力の正体とは?
https://www.youtube.com/watch?
※※月刊三橋『激流グローバルマネー』より
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◯オープニング
今回は憲法について書いてみたいと思います。
いつも映画や音楽を思考の入り口としてるのですが、
憲法そのものではなく、その背後を示唆するものとして、
第三話「『サスペンス』が成立する条件」
映画「ロープ」をご存知の方は、
殺害に関与したのは三人と言われいます。
13歳の少年一人を17、18歳の三人が(
これを書いている3月4日現在も捜査が進行中ですので軽々とした
三人に人を殺すことの罪の意識があったのか?
何故そんなことができたのか?
何故思い留めることができなかったのか?
今回の投稿は、状況の似ている「ロープ」
第十一回「実行させる『何か』・実行させない『何か』」
◯Aパート
「ロープ」は1948年公開の映画です。
この映画は舞台劇の映画化でした。
さらに、
それは1924年に起きた少年の誘拐殺人事件「
犯人は裕福な家庭に生まれたユダヤ人学生で、
ユダヤ人同士の事件であることや、二人が同性愛関係だったこと、
舞台劇以外に小説も書かれ、映画化もヒッチコックの「ロープ」
_ _ _
映画「ロープ」のあらすじはこうです。
フィリップとブランドンは、
完璧主義者で強引な性格のブランドンが計画し、
ブランドンの計画は、殺害の当日、
遺体入りのチェストが計画を完璧にするのだとブランドンは高揚し
デイビッドが来ないことに疑念を抱いたルパートはフィリップをじ
客達はデイビッドが来なかったことを不審に思いつつパーティを終
帰り際、
全てのお客が帰った後、
彼は問題のチェストを開いて中身を確認します。
_ _ _
映画の中盤でデイビッドの父とブランドンが論争になる場面があり
切欠はルパートの質の悪い冗談でしたが、
真に優れた者は道徳観を超える存在だ、
被害者に選ばれるのは劣者だ、と。
紳士的なデイビッドの父は不快な会話に耐えられず論争になります
デイビッドの父「それはニーチェの超人理論だ。ヒトラー同様。」
ブランドン「彼が選んだ超人は愚かだったんだ。
デイビッドの父「君の本心がわからんような僕は殺したまえ。
この場はブランドンが謝罪しておさまりますが非常に気まずい空気
ルパートは、ブランドンに同調したものの、彼が「超人思想」
「ヒトラー」という名前は、
さて、映画の最後の部分
チェストの中のデイビッドの遺体を見てしまったルパートは2人を
ブランドンは、
ブランドンにとって恩師ルパートも「凡人」扱いだったのだ。
しかし、彼らがデイビッドを殺した事実に直面したルパートは、
「今まで、世の中や人々は僕にとって不可思議だった。
「君はそれを投げて返した。確かに自分の言葉を支持すべきだ。
「殺人の口実に歪めている!」「違うんだブランドン。
「君には実行させた何かがあった!」
「僕には実行させない何かがある。関わらせない何かが。」
「君は優者と劣者の概念を汚した。だが感謝する。」
「我々人間は生きて考える権利を誰もが持ってると知ったからだ。
「何の権利で自分を優者と決めた? そして、彼を殺すべき劣者と。」
「神にでもなったつもりか!?」
ここで、デイビッドの父の言葉が蘇ってきます。
_ _ _
「言葉の上で」…英語では「Logic」
(もしかすると、
論理で積上げられた物事を、その人々が思いもよらない解釈で、
道徳観から外れたことを実行させる「何か」とは。
ここで憲法の話に半ば強引につなげてみます。
憲法が、論理を積み上げた思想の集積だとして、
◯中CM
「ロープ」の物語は、元になった舞台劇の原作、パトリック・
「ロープ」
原作に忠実に映画化しつつ、
ボクは、
「ロープ」は内容よりも映画全体をワンシーン・
デジタル時代では、幾らでも長回しが可能ですし、
たとえば「クローバーフィールド」のような。
フィルムでは10分ほどのロール分しか撮れないので人物の背中や
こうすると見かけ上、途切れずに時間が流れていくのです。
その意図は、舞台劇に忠実に、
「カット割り」を行うと、
時間軸の一貫性を担保できないので、
むかし映画館で見た時は、
しかし、実際には数箇所、明確な「カット割り」が存在します。
「黒味」でつないでいるところと「カット割り」
一連が切れ目なしだと退屈に感じたのでは?と想像もできますが、
カット割りによって映画は4カットに分かれていて、概ね「
さらに、普段は「カット割り」
主観映像が連続する実況的な長回しではなく、「何を、
この映画を演出面でしっかり観察すると、逆説的に「カット割り」
照明効果もアパートの一室で終始する映画に内容に応じた変化を与
「ロープ」と似た内容を持つ映画に1943年の「疑惑の影」
殺人犯は、自身の思想・
戦中のアメリカ人が「理想的家庭」と思うチャーリー一家と、
日本への占領政策や、その後のアメリカを思い出してみると、
◯Bパート
話は飛びますが、柳父章著の「翻訳語成立事情」
「社会」「個人」「近代」「権利」「自由」など。
福沢諭吉ら知識人が、言葉の背後にある日本にない外来の文化を、
これを読んでいると、
何故なら、憲法そのものが外来のものであり、
福沢らは、翻訳語に「解釈」
読み手が言葉の意味を字面から直接的に理解し難い、「解釈」
つまり、この言葉には「何か」
翻訳語にはオモテの意味とウラの意味が込められていると著者は解
「Modern」の翻訳語「近代」の項にこんな一文があります。
「言葉の意味は、
元々ある日本語にしても、
翻訳語でも同様に、多くの人々によって解釈され、
「翻訳成立事情」からもう少し引用してみます。
『(1910年・明治四十三年の雑誌「文章世界」
金子筑水は「現実的と同様不安の心持」と題して「近代」
このような特徴のどれも正しく「近代」を表現できない、
元々ある漢字の意味や二字の組み合わせが、
福沢諭吉ら知識人が「解釈」を要するように翻訳した背後には、
言葉以前にある「何か」を我々日本国民は持っているはずだ、
果たして、現代に生きる我々は、そのような「何か」
外来文化に対するある種の警戒感など持ち合わせているのでしょう
明治以降、
_ _ _
間違いなく伝わらねばならない法律や憲法の文言でも、
これは憲法解釈が人によって違っていてまとまらない議論を見てい
「ロープ」のルパートの台詞を思い出してみてください。
「だが君の解釈は思いもよらないものだ。」
どんなに立派な憲法でも言葉の「解釈」が「思いもよらない」
どんなに厳密な言葉を選んでも「解釈」はあり得ますし、
憲法でも言葉の曖昧さ(ある程度の解釈可能性)
道徳に反することを「実行させる何か」
歴史・文化を共有し、道徳観を確固として持っていれば、
しかしながら、最近の憲法論議では、
環境権、プライバシー権
そして、財政の健全性。
解釈によってどうとでもなるばかりでなく、
これは、日本国民が共有しているはずの歴史・文化、
憲法の条文をどうするかよりも、憲法とは何か、日本とは何か、
「戦後」に固執するのではなく、
もっと言えば建国以来、
時の政治家が、その時々の要請によって(国民の支持を取り付け)
あまつさえ、政治家個人の「レジェンド」
日本であるために必要な「何か」を手繰り寄せながら、
◯エンディング
憲法の条文や何をどうするべき、みたいな書き方はやめて、
緊急事態への対処法など、
一方で、平和主義者の人々が憲法九条を変えてはならぬ、
憲法が平和を担保してくれる、という前提が成立すれば、ですが。
実際にはそうではありません。
憲法が、ではなく、
そうすれば、何を実行すべきで、
正反対に思われる、九条さえ改正できれば、という考えも、
実は違いがないように思います。
「実行させる『何か』・実行させない『何か』」です。
「生きて考え」続ける態度が前提として必要でしょう。
迂遠だとしても、憲法に書かれている・書かれていない、以前の「
最後に、もう一冊同時並行で読んでいる本。中野剛志著「
『経済学者や政治学者の思想は、それが正しいものであれ、
実際、世界は、
自分はいかなる知的影響からも無縁であると信じている実践家も、
天の声を聞く狂信的な権力者も、
◯後CM 1
アニメ(ーター)見本市に参加しています。
http://animatorexpo.com/
第7話「until You come to me.」監督
◯後CM 2
さかき漣先生とのコラボ企画
明日9日の夜半にタイトルなど発表できそうです!
お楽しみに。
PS
もしあなたが日本の行く末がご心配でしたら、、、、
「日本を救う方法」をいっしょに考えませんか?
http://www.keieikagakupub.com/
【平松禎史】霧につつまれたハリネズミのつぶやき:第十一話への2件のコメント
2015年3月8日 3:51 PM
〉翻訳語に「解釈」をあえて残すことを行ったといいます。読み手が言葉の意味を字面から直接的に理解し難い、「解釈」を要するようにした。 派遣法とかによって日本語自体の本来の意味までがネジ負がった解釈をしてしまわざるをえない世界に換えられてしまったのは、新左翼ネオリベ有識者脳足りん結社“ワクワク団”のセイだっ!by 平田昭彦(?ね?ね団のミスターXを演じた亡き俳優) ※実際には発言はされていません。フィクションです。ご了承ください。
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2015年3月9日 5:14 PM
西洋において伝統的に支配的なのは、「ロゴス」信仰であり、日本においては「言霊」信仰が支配的だったのではないかと思います。本居宣長が言う「もののあはれ」なんてのも日本人の心性を言い表していると思いますが、日本人と西洋人とではものの感じ方、考え方の枠組みそのものが異なるように思います。この点についてユング派の深層心理学者、故河合隼雄先生がお書きになられた「中空構造 日本の深層」とか「母性社会日本の病理」あるいは「神話と日本人の心」などがあり、同じくユング派の深層心理学者である老松克博氏がお書きになられた「漂泊する自我」などがあって、日本人とは何かについて考える際に格好な素材を提供していると思います。
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