From 平松禎史(アニメーター/演出家)
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◯オープニング
来年は大東亜戦争が敗戦に終わって七十年になります。
その関係…かどうかわかりませんが日本国憲法がノーベル平和賞の候補に上がったり、朝日新聞の「慰安婦強制連行」の根拠が崩れたりと、騒動(?)もありました。
大東亜戦争とそれまでの歴史というのは当メルマガの読者様はよくご存知であろうと思います。
アメリカの視点もこれまた知られたものですね。
今回は二回目のヒッチコックネタです。
アルフレッド・ヒッチコック監督の戦争に関する視点に触れてみたいと思います。
戦争に関する、と書きましたが、実際にはその枠を超えるテーマが示唆されます。
第七話「『救命艇』が救ったのは何だったのか?」
◯Aパート
ヒッチコック監督は政治的な題材を選ぶことに消極的でした。
戦前から戦後、冷戦期にもスパイアクションを手がけていますが、特定の政治勢力に偏った描き方を極力排しています。
やり取りされる「機密」はサスペンスのマクガフィン(口実)に過ぎないのです。
その手の作品では1935年の『三十九階段(三十九夜)』が大好きです。
「機密」はエンジンが無音になる新技術の設計図で、スパイたちは何でも正確に記憶する大道芸人の頭脳にコピーして持ちだそうとする。
小型カメラがない時代です。証拠を残さずに情報だけを持ち出そうとするアイディアは(めっちゃアナログだけど)なかなか先進的で、痛快かつ悲哀に満ちた傑作でした。
ヒロインを演じる美脚のマデリン・キャロルはツンデレの元祖です(!)
そんなヒッチコックが第二次世界大戦の只中1943年に撮った「救命艇(”LIFE BOAT”)」は、いかにもヒッチコックらしい手法による異色作となっています。
矛盾する言い方ですがそうとしか言いようが無いんです。
トリュフォーとの対談集「映画術」ではこのような会話があります。
トリュフォーは、ヒッチコック監督が繰り返し行なっている場所と時間と物語がひとつにまとまった三一致の法則による大胆な映画的実験を『救命艇』でも試みようとしたのではないか、という指摘をした後こう問います。
トリュフォー「もう一つ興味深いのはあなたが得意とするスリラーとは正反対の、性格描写を中心とした人間ドラマだということなんですが。これは『疑惑の影』(同年公開されたヒッチコックらしい心理サスペンス)の成功の結果でしょうか。」
ヒッチコック「いや、『疑惑の影』とは関係ない。『救命艇』は戦争の縮図だった。」
「当時、世界には民主主義と全体主義という二大勢力があって、激しく競い合っていたわけだが、民主主義国家の方は完全にバラバラになっているのに反して、ナチス・ドイツは見事に組織化されて驀進していた。だから、民主主義勢力は各国家の差や利害にこだわらずに一致団結して力を合わせ、この恐るべき統率力と組織力を持った共通の敵に立ち向かう必要があるということを言いたかったわけだ。」
民主主義応援映画だったわけですね。
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1隻の救命艇の中だけの物語で、カメラは2カット(救命艇を海面ぎりぎりのアングルで捉えた全景と海中に下ろされた釣り針が大きな魚を捕まえようとするカットの2つ)以外は船外に出ない。
イギリス時代の『バルカン超特急』に始まり『裏窓』で高められた手法。
スピルバーグ監督の『ジョーズ』にも影響を与えています。
視点の限定。これはいかにもヒッチコックらしい手法なのですが、いつもの物語主導のヒッチタッチとは違い『救命艇』では登場人物たちが持つそれぞれの内面主導になっているところがヒッチコック映画として異色なのです。
ケーリー・グラントやジェームス・スチュワートのような強力なヒーロー、イングリット・バーグマンやグレース・ケリーのような目を引くヒロインがいないのです。
そして、オープニングとエンディング以外に音楽もありません。
さらに、連合国側の映画としても異色ではないでしょうか。
応援のためとはいえ、民主主義勢力の欠陥、個人主義と感情的な集団意識を尽く皮肉っているからです。
民主主義が全体主義に変質してしまうことも、この映画は示唆しています。
◯中CM
『救命艇』は「ヒッチコック映画」というカテゴリーの中でもマイナーな部類ですから、当メルマガ読書の皆さんでも観ている方は余程の映画ファン、ヒッチコックファンに限られてしまう作品だと思います。
なので、この映画をネタにしてもなかなかピンと来ないのでは、と思いましたが、9.11後の『ダークナイト』のようにエンターテイメント性の高い題材が独特な状況によって思想哲学面に沈思する作品に仕上がることがあり、「救命艇」も当時のエンタメ監督ヒッチコックが戦時中という特殊な状況で作り出した異形な作品例として興味深いものですので、取り上げることにしました。
あらすじはこうです。
イギリスに向かう途上の客船がドイツ軍のUボートに撃沈される。
1隻の救命艇に辿り着いたのは8人。ファッションライターの女、左翼思想の機関技師、若い従軍看護婦、無線電信技師、極右の実業家、右足を負傷したジルバ好きの水兵、信仰心の厚い黒人、死んだ赤ん坊を抱いたイギリス夫人。
彼らが持っていた羅針盤は狂っていて使えなかった。
大西洋の真っ只中で操船の経験者がいない。ヒッチコック映画の常道で言えばこれが「マクガフィン」…物語を引っ張る口実です。
そして、9人目の遭難者が船べりに手をかける。
その男は、客船の爆発に巻き込まれて沈没したドイツ海軍Uボートの乗組員だった。そして唯一操船技術を持っている人間。
以来、連合国側の7人(赤ちゃんが死んだことを理解した母は皆が寝てる間に身投げしてしまう…)と主導権を巡って対立するが、冷静な状況判断力と操船技術を持ち、軍医の経験を活かして水兵の悪化した足を切断して生命を救ったドイツ兵は、歌や話術(実は英語も話せた)を駆使する統率力の高さで連合国市民の「ボス」になっていく。
しかし、治療で足を切断された兵士は生き甲斐のジルバを諦めきれない心痛から精神を病んでいく。
ドイツ兵は皆が寝静まった夜、もう死にたいとこぼす兵士を海へ突き落とす。
それを知った連合国側の全員は激怒して一丸となり、ドイツ兵をリンチにかけて海へ沈めてしまうのだった。
◯Bパート
まとまりのない7人は連合国側を表している。
特にファッションライターの女はミンクのコートを着てしっかり化粧をし、仕事用のタイプライターを持ち込んで、この遭難劇を本に書くんだと楽天的だ。
遭難しても余裕な金持ち左翼実業家の男とこの女は恐慌前のアメリカのようであり、バブル景気に浮かれた投資家かIT系の誰かさんみたいだ。
しかし、漂流する中で女の持ち物は次々と剥ぎ取られていく。身投げした母に貸したコート、荒れる海に投げ出されるタイプライター、魚釣りに使われる高価なブレスレット。
裸同然になった女は妙に素直になって荒っぽい機関技師と懇ろになっていく。
看護婦は良心派だが優柔不断な無電技師に先のない不倫を打明ける。似たもの同士のカップルは何やら丸くおさまる感じ。
実業家の男は欲に眩んでポーカーでボロ負け。挙句に相手の男の首を絞めて大げんかの醜態を晒す。
信仰の厚い黒人は面倒事には関わらず傍観者を決め込む。
…漂流が長引くに従って自分たちの置かれた状況に麻痺していく人々。
それをあざ笑うように見ていたドイツ兵は密かに正しい羅針盤を持ち、飲水を確保して誰よりも体力を保持しながら、味方補給艦の方向へと救命艇を走らせていた。
その場その時の苛立ちや怒り、欲望に興じる連合国側に対して、ドイツ兵だけが先を見ていたのだ。
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この映画は、アメリカの批評家に酷評され「十日以内にこの映画を町から追放しろ」とまで書かれたそうです。
この点についてヒッチコックはこう言っています。
「そう、アメリカの批評家たちがなぜあんなに怒ったかというと、ドイツ人を他の人物たちよりもひときわ優れた人物に描いてみせたからだよ。(中略、後述)
ドイツ人はナチの海軍の指揮官という設定だ。彼が救命艇を操れることにかけて卓越した能力を持っているのは当然なわけだ。
ところが、アメリカ人たちは、敵役のナチが優れた水兵だなんてことはあり得ないというんだよ!」
優れた人物に、軍人、政治家、一般人、思想信条の違いはありません。
戦争という状況であっても関係ありません。
考え方が違う連中、敵は自分(たち)より劣っているに違いないと考えるのは驕りや願望に過ぎず、身を滅ぼしかねない間違いです。
しかし、戦争という極限状況にあって、敵であろうと優れた人間はいるはずだと考えて描き、味方の問題点を浮き彫りにしようとする姿勢は誠に誠実であり、現実的ではないでしょうか。
中略部分はこうです。
「この映画を作った頃、1940年から41年といえば、フランス軍は敗退し、連合軍はバラバラで何も出来ない有様だった。」
前述の言葉を加えて
「だから、民主主義勢力は各国家の差や利害にこだわらずに一致団結して力を合わせ、この恐るべき統率力と組織力を持った共通の敵に立ち向かう必要がある」
あくまでヒッチコックの主観ではありましょうが、現実を見据えて分析し、批判を恐れず、何が足らないか何をすべきかを訴える姿勢そのものは、時代に関係なく今の日本人にも生かされるべき姿勢ではないでしょうか。
窮地から救い出すためには己の失敗を持論や願望で塗り固めてはいけないわけですね。
日本は救命艇に乗っているような危機的状況です。
まさか、その中で、国内外に敵を作り出してはリンチにかけて悦に入ってはいないでしょうね?
そんなことをしてる間に、デフレの渦に引き込まれて海の藻屑になってしまいますよ。
◯エンディング
ヒッチコックはイギリス人です。
『救命艇』ではイギリス人の母は赤ちゃんを死なせたショックで最初に救命艇から去ってしまいます。
当時のイギリスが覇権国の座から降りていたのを象徴しているようですね。
そんなお国事情が反映してか、皮肉(アイロニー)が好きなヒッチコック的な視点がいつものスリラーとは違った味わいを見せている。
『ダークナイト』ではトゥーフェイスを殺す場面は「事故」のように演出されていました。
バットマンが殺したように見えないよう配慮されています。
ジョーカーは、バットマンがいるから俺がいると言います。善はあくまで善であり、悪はどこか外にいるのです。
警察国家を気取るアメリカを腐しているようでいて、アメリカの善を信じている。
善(民主主義)が悪(全体主義)に変質することなどないと思いたい、理想主義的な心理が潜んでいるように見えました。
『救命艇』ではドイツ兵を殺す場面は怒りに任せた集団リンチ殺人として演出されています。
「映画術」ではこんな会話が交わされます。
トリュフォー「『救命艇』は心理的な面ばかりでなく、道徳的な要素もある映画ですからね。ラスト近く、救命艇の全員がドイツ兵をリンチにかけるシーンでは、キャメラをやや引いて背後から捉えてみせますね。まるで寄ってたかって餌食に食いつこうとしているようなおぞましいイメージなんですね」
ヒッチコック「獲物に飛びかかる猟犬のイメージだ。」
こんな演出ができたのはヒッチコックがイギリス人だったから、とも言えますが、善・悪、敵・味方で決めつけない表現は他の映画でもよくあります。
理想主義でなく、現実的なものの見方が厳しい道徳的な描写につながったのだと思います。
ラストシーン、助かったと安堵するはずの救命艇の人々の表情は沈み込んだまま、救われた人には見えません。
救命艇が救ったのは何だったのでしょうか?
21世紀の今観ると、覇権国の座から降りざるを得なくなったアメリカを予言しているようにも見えます。
◯後CM 1
ボクも参加しています。
日本アニメ(ーター)見本市ー題字ハヤオ-
http://animatorexpo.com/
予告動画にボクの画が一枚挟まっています。
さてさて、これが当メルマガ読者様にはお馴染みのあの作品なのですよ。
PS
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