From 柴山桂太@滋賀大学准教授
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藤井聡先生がナビゲーターを務める土木チャンネルの対談が、本になりました。
藤井聡編『築土構木の思想』(晶文社)
http://www.amazon.co.jp/dp/4794968167
http://honto.jp/netstore/pd-book_26255030.html
築土構木とは、中国の古典(『淮南子』)に出てくる、土木の語源になったとされる言葉。土を盛り、木を組んで、住処をこしらえる、という意味だそうです。
ありのままの自然に手を加えて、住みやすい環境をつくるのが土木の原義だとすると、土木は人間が生きていく上で不可欠の営みだと言えます。こうした原点に立ち返って、近年何かと評判の悪い公共事業の意義を再確認しようというのが、本書の五つの対談に共通した問題意識です。
このうち、私との対談では、明治日本の話が出てきます。明治日本の国づくりを振り返ると、土木が果たした役割は決定的なものであったことが分かります。詳しい内容は本書をお読み頂くとして、本日は対談の補足となる話を。
対談では、明治の大型公共事業の一例として、琵琶湖疏水の話が出ました。その部分を引用します。
柴山 藤井先生も京都ですが、京都には琵琶湖の水を京都市内に引っ張ってくるためにつくられた疏水がありますよね。琵琶湖疏水。あれも確か20歳くらいの若者がつくったんですよね。
藤井 それが田邉朔郎です。彼はまだ学生だった頃、卒業論文に京都に疏水をつくった方がいいと書いたら、政府に「お前、これをやれ」と言われて、「えっ僕ですか?」となった。(90頁)
琵琶湖疏水の物語は公共事業のあり方を考える上で今も重要なので、ここで補足します。全国的には有名ではないかもしれませんが、琵琶湖疏水の物語(その主任技術者となった田邊朔郎の物語)は、京都では知らない人がいないというくらい、よく知られています。小学校で習うようですし、大津など滋賀県の方でも、学校で教えるところがあるようです。琵琶湖疏水は京滋エリアで、今も語り継がれる偉業です。
私は生まれが東京なので、京都に来るまで琵琶湖疏水の存在さえ知りませんでした。琵琶湖は京都のすぐ隣にあるのだから、昔から琵琶湖の水が京都に流れ込んでいるのだと勝手に想像していました。ところが、琵琶湖の水は瀬田川、宇治川を通って淀川に流れており、京都の中心部を直接は通っていません。京都には鴨川が流れていますが、(疏水が建設される以前は)琵琶湖とつながっておらず、水不足に悩まされることも度々あったようです。
琵琶湖の水を直接、京都の中心地に引っ張ってくるという構想は、平清盛や豊臣秀吉の時代からあったようですが、本格的に計画されたのは明治に入ってからです。
明治維新と東京遷都で衰運を余儀なくされた京都を立て直すべく、京都府知事の北垣国道が、大津から山科、山科から南禅寺付近(京都東端)までの長いトンネルを通る琵琶湖疏水を計画。その主任技術者として白羽の矢を立てたのが、当時まだ21歳の田邊朔郎でした。
田邉は工部大学校(東京大学工学部の前身)の卒業論文で琵琶湖疏水の計画を独自に立てており、その見識を見込まれて大抜擢されたのです。
この計画は、最終的には国家を巻き込む一大プロジェクトに発展します。北垣は、この事業をお雇い外国人の手を借りず、日本人自身の手で行うべきだと考えていました。しかし、田邊朔郎はまだ若く、現場監督の経験もありません。「書生上がりに任せて大丈夫か」という懸念が生じるのも無理はなく、当初はずいぶんと反対もあったようです。
お雇い外国人からも「技術的に無理では」という答申が出されました。財政的にも無理が大きく、批判する人も少なくなかったようです。景観破壊ではないか、という声もありました。しかし、京都府議会(当時は区会)の後押しもあり、また国の支援も得て、プロジェクトは動き始めます。
工事は難航を極め、トンネルの掘削では多数の殉職者も出しました。最終的に、5年の歳月をかけて琵琶湖第一疏水は完成します(1890年)。途中、田邉はアメリカまで視察に赴き、当時、最新鋭だった水力発電の技術を導入しました。営業用の水力発電所としては日本初だったそうです。その電力を用いて、京都・伏見間にやはり日本初の電気鉄道が通りました(1895年)。
疏水完成後、京都は人口流出が止まり、産業も盛り返して、近代都市として生まれ変わりました。遷都で没落しかかった京都が、再び勢いを取り戻したのは、この疏水事業の成功があってこそでした。
今も琵琶湖疏水は、京都中心部の水道用水として用いられています。建設から120年立っても、補修を重ねながら現役で活動しているわけです。レンガづくりの発電所(蹴上発電所)も、規模は小さいながらも、まだ現役で動いています。
疏水は南禅寺を迂回して東山の山裾を通って北に流れますが、南禅寺の水路閣(レンガ造りの水道橋)や、南禅寺から銀閣寺に抜ける疏水沿いの散歩道(西田幾多郎らが散歩に使ったことから「哲学の道」の名で親しまれています)は、今では京都を代表する観光名所となりました。
疏水の水を引き込んでつくられた「無鄰菴」(山縣有朋の京都別邸)は、まぎれもなく日本近代庭園の傑作です。琵琶湖疏水は生活用水や農業用水として実用的に役立っただけでなく、近代京都文化の発展にも、重大な貢献をしたのです。
また田邉は、疏水建設に全精力を注いだだけでなく、作業が終わった夜には、洋書を独自に編集・翻訳した教科書を使って、職人たちに近代土木技術の基礎を教えたそうです。海外の知識や技術を、国内に翻訳して「国産化」を進め、広く人材を育成していく。田邉は後に、東京大学や京都大学で後進の育成に当たることになります。琵琶湖疏水は、土木のようなハード面でも、文化や教育のようなソフト面でも、明治の「国づくり」を象徴する事業でした。
琵琶湖疏水は、北垣国道の政治力と、京都市民の強い後押し、国の財政支援、田邊朔郎ら技術者の考え抜かれた計画と超人的な努力が一体となったところに生まれた、明治日本の一大公共事業でした。そしてこの公共事業が、京都の産業や文化の発展を支える土台となったのです。
京都に限った話ではありません。琵琶湖疏水の物語と同じような物語は、全国にごまんとあることでしょう。現代の日本は、大小さまざまな土木事業の無数の積み重ねの上にあります。今の時代に求められているのは、過去の事業の成果を正しく評価し、その経験から次の世代に必要な事業を構想していくことです。日本の「国づくり」は明治で終わったわけでも、二〇世紀で終わったわけでもないのですから。
ちなみに以上に述べた琵琶湖疏水の物語は、以下の本に詳しく書かれています。
田村喜子『京都インクライン物語』(新潮社→中公文庫、ただし現在は品切)
また、京都東山には琵琶湖疏水記念館があり、この事業についての資料が多数展示されています。
http://www.city.kyoto.lg.jp/suido/page/0000007524.html
近くには平安神宮(ここの庭園も疎水の水を引いています)や無鄰菴、また南禅寺の水路閣から哲学の道へと抜ける疏水沿いの散策ルートがあります。いずれも近代土木技術と歴史文化の結びつきが生んだ、美しい景観です。ここに理想的な「築土構木」のあり方を見るのは、私だけではないはずです。
琵琶湖疏水は今夏も、豊富な水を京都市内に送り続けています。
PS
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【柴山桂太】琵琶湖疏水の物語への3件のコメント
2014年8月8日 6:23 AM
どんなインフラも、先人の想いや努力や、時には犠牲があって、その恩恵を受けている、という事を決して忘れてはいけないですね。日常の中でも、水道の水が蛇口を捻るだけで出てきてくれる事、スイッチひとつで電気がついて明るくできる事、家の中で簡単に火を使って調理ができる事、等々何もかも、凄い事ですね。どんな物も、昔の・今の誰かが「みんなのため」に作ってくれた、と思うと、その恵みを当たり前と思わないで大切にしたい、という気持ちになります。
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2014年8月9日 8:35 PM
素晴らしいお話です。柴山先生、ありがとうございました。
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2014年8月10日 12:11 PM
柴山先生彦根市在住の若林ともうします。いつも、興味深く拝読しております。今日の琵琶湖疎水のお話しは、初めて知った次第で、大変驚きました。京都側では、行政のバックアップもあり、疎水の事業が成し遂げられ、その技術、知識も蓄積されたとのことでしたが、滋賀県側はどうだったのでしょうか?滋賀県も何らかの支援はなされたと思うのですが、滋賀県に知識、技術の蓄積はなされたのでしょうか?滋賀県に長年住んでいますが、滋賀県には、基礎的な知識、技術が欠如しているように思えます。文化も同様です。一時、貨幣の流通速度を利用して、滋賀県の文化の流通速度を測定できないかと、考えたことがありましたが、私のような素人では到底無理なことでした。柴山先生は、滋賀県の知識、技術、文化についてどのようにお考えですか?やはり、かなり遅れていると、お考えでしょうか?われわれ滋賀県民として、何をなすべきなのでしようか。若林
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