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明治大学の経済学部の准教授であられる飯田泰之氏が、今月号の雑誌Voice(2014年3月号)にて、「経済政策:消費増税ショックを乗り越えるには」(pp. 30-31)という論考を掲載しておられます。
当方も、内閣官房の中で、防災減災「ニューディール」の担当として、この問題には大きな関心を寄せており、何とか、消費税増税ショックを乗り越え、アベノミクスを成功させ、日本のデフレを終わらせるには如何にすればよいかを、日々、様々な論点に考えを巡らせているところであります。
飯田氏は、この論考の中で、消費税増税は、景気に対してネガティブなインパクトを与えると予期されると述べ、したがって、適切な財政政策が不可欠である、と論じておられます。
金融政策だけが必要であるという極端な議論がしばしば展開される事を考えますと、こうした主張には、当方も大いに賛同いたしている次第であります。
議論がここまで及びますと、次に重要となるのは、どういう財政政策が、日本の国益にとって「適当」なのか、という議論となります。
しばしば、こうした議論においては「金額」だけが取り沙汰されることがあるのですが、この飯田氏の論考の中では、その金額の水準の議論というよりも、「どこに、どういう政府支出をすべきなのか?」という点が議論されています。
当方もまた、「金額」の議論もさることながら、どういう内容に支出されるべきかを適切に論じていくことの必要性を大いに日々、感じているところでありますので、この飯田氏の論考には大きく注目し、拝読させて頂いた次第であります。
しかしながら、この論考の中には、上記の様に賛同できる点もございましたが、いくつかの点で、必ずしも同意しかねるご主張がございました。
日本の国益を考えた場合、ここで飯田氏が論じておられるテーマは、現在の国民のみならず、子々孫々にまで及ぶ巨大な影響力を持ちうるものであります。したがいまして、こうした議論を慎重に積み重ねていくことが、極めて重要であることは、飯田氏も含めた、多くの経済学者、ひいては日本国民が同意するところではなかろうかと思われます。
しばしば、学会では、自説を発表した際には、質疑応答が為されることが一般的ですし、学術誌でも、特定の論文について討論が重ねられることが一般的であります。この飯田氏の論説は、学術誌のそれではなく、あくまでも一般誌上の論説ではありますが、日本国の国益に直結する重大なテーマでもあるということも加味し、本メルマガの機会をお借りして、この飯田氏の原稿で提起されているいくつかの論点の中でも,とりわけ重要なもの「一つ」について、指摘いたしたいと思います。
(なお、必要最小限の文章は、下記に転機致しますが、当該記事をお読みになるのが一番よろしいかと思いますが、現在流通している雑誌記事ですので、転載は差し控えさせていただきます。全文読了ご希望の方は、適宜ご入手下さい)
飯田氏は,その原稿の中で次の様に指摘しておられます。
『GDP統計では政府支出に限って真水一兆円の政府支出は「一兆円の価値」がある「ということにして」いる。政府が一兆円かけて穴を掘って埋める事業を行っても、GDP統計の上では「一兆円の付加価値が生まれた」として取り扱うのだ。しかし、その計算上の価値を享受するものはいない。この様な虚構の価値計上でGDPが上がっても、民間経済主体の景況感には何の足しにもならない。政府支出の取り扱いは、統計の泣き所なのである。』
このご主張は,要するに,本来なら景気対策として政府支出は望ましいものではなく,兎に角民間支出を誘発することが,本来的には望ましい,という事を主張しておられるものと,解釈できるのではないかと思います.
したがって,もしも,飯田氏の主張が正しければ,アベノミクスの第二の矢は,よほどの例外的状況出ない限り,避けなければならない最後の手段,ということになると結論が含意されることとなってしまいます(何と言っても,政府支出は「虚構」となり得るもので,「景況感」に何の足しにもならないものとなり得るのであり,したがって,「統計の泣き所」だからです).
しかしながら,この飯田氏の主張について検討を加えますと,残念ながら,この主張を支持できる様な合理的根拠は存在していないのではないかと,筆者は少なくとも主観的に感じております.ついては以下,その理由を仔細に論じたいと思います.
第一に、そもそもGDP統計は経済規模を測る統計数値です。民間の活動と政府の活動の合計が国民経済の規模でありますので、何が「泣き所」なのか計りかねます。民間経済規模だけ測りたいなら、国民所得(NI)を用いればよろしいかと思います。
第二に、それはさておくとしても、この主張は「政府の投資は無駄」である事が多いと言うことを暗に前提にしておられるようですが、この前提は、次の様な「砂漠の車と都会の車の価値の相違」のケースを考えるだけで、見直しが必要となる可能性が大きく増進することとなります.
「全く同じ性能の車が2台あったとします。1台は砂漠の真ん中に置かれている車。もう1台は道路が整備された都会に置かれた車。この両者の車の価値は、全く異なります。砂漠の車は価値はなく、都会の車には価値があります。では、その差異はどこから生じたかと言えば、それは明確に、道路整備(公共財)がされているか否かからに他なりません。」(この比喩は、帝京大学青木泰樹教授が言及しておられた比喩です)
これに加えて,今日議論されている政府支出では,巨大地震対策である強靭化投資なども含まれておりますが,そうした強靭化投資が「無駄」であると考えるのは,リスクの存在を認める理性ある人々にとっては,到底受け入れがたい主張となるのではないか,という点も申し添えたいと思います.
第三に、製鉄会社や造船会社等が、自社のために道路を引き、それを一般に供用するという例は、全国でしばしば見られます。この場合、できあがる道路は、利用者にしてみれば政府がつくる道路と差異がありません(特定の民間主体が特に頻繁に利用する様な道路でも政府が整備するという事は極めて一般的にあります)。この点を踏まえるなら、政府の道路投資をGDPに計上することだけが不合理であるかのように論ずることこそが、不合理であるという結論を受け入れざるを得なくなるのではないかと思われます.
第四に、この飯田氏の主張では(原稿全体を通して)、民間の消費・投資については言及しておられないのですが、このことは、民間の消費・投資には無駄は無いという事を前提しておられることを暗示しています。
しかし、もしも飯田氏がそういう前提をおいているとするなら(もちろんこれは「if and only if」という趣旨です)、それは正当化できない前提です。なぜなら、無駄に終わる民間投資、民間消費の事例を探し出すことは、極めて容易だからです(政府が作った道路の交通量が少なければ無駄であるのなら,民間企業が折角買ったソフトだけど結局役に立たなかった,さらには,色々調べて出店したけど失敗した,といった事例も無駄と言うことになります.そういう事例は,どの企業を調査しても山のような数の報告が上がってくるものと思われます)。
第五に、上記の様な議論を経ずとも、以下の仮想ケースを一つ想像するだけで、政府支出だけを取り出して、「統計の泣き所」と指摘する態度は、正当化しずらくなるように思います。すなわち、「どこかの物好きの金持ちが、穴を掘って埋める事業を見たいからといって、それを建設業者に頼んだ」という場合です。この場合、統計上それは民間建設投資になりますが、これが「統計の泣き所」でなくて、政府投資だけが「統計の泣き所」となる合理的理由は見いだし難いと思われます。
第六に,仮に,飯田氏が言うような「無駄な投資」があったケースを考えてみましょう.
その時,その投資が「景況感に何の足しにもならない」という事態が生ずる可能性は,極めて低いものと考えられます.
なぜなら,仮にその投資でできあがった「ストック」が何の価値も生み出さないものであったとしても,そのストックを作りあげる過程で,受注業者が「受注」をしているとするなら,それは,法人の所得になり,ひいては,世帯の所得になる,という「フロー」が存在することは否定しがたいからです.
一般に,そうしたフローによる景気浮揚効果は「フロー効果」と呼ばれます.そして,ストックがもたらす景気浮揚効果は「ストック効果」と言われますが,これらの言葉を使うと,「仮にストック効果がゼロの投資」でもあっても,「フロー効果が生ずる」という事態が生じないとは,到底考えられないのです.
つまり,飯田氏の言うように「景況感に何の足しにもならない」と断定する事は,論理的には不可能なのではないかと,筆者には思えてならないわけであります.
以上まとめますと,
・政府だけが無駄な投資をしているかのように論ずることは正当化し難いし,
・民間が無駄な投資をしていないかのように論ずることも正当化し難いし,
・「無駄な投資」が仮に(官民問わず)存在したとしても,それによって景況感には何の足しにもならないと論ずる事は正当化し難い,
と筆者には,主観的に思えてならない訳であります.
そうであるとすると,景気対策のための政府支出を否定したり,支持するとしても消極的にしか支持しないという態度に合理性があるという事を,飯田氏の主張だけから論理的に演繹することは困難なのではないかと,筆者には思われるわけです.
もちろん,飯田氏はこの原稿全体で政府支出それ事態を否定しているのではなく,どうせ支出するならより効果的な支出内容を考えるべし,という建設的な主張をしておられる点については,大いに賛同するところであり,その一点については決して筆者も否定するものではありません.
しかし,そうした結論を演繹する上で,上記の様な,少なくとも筆者から見れば論理的に正当化し難い論理を展開しておられていては,飯田氏が主張する適正な支出方法を考える議論と結論そのものが,著しく不当なものとなりかねないものと,僭越ながら危惧している次第であります.
ついてはここでは,飯田氏の主張に大いに賛同する側面もある中,あえて,以上の「討論」を本メルマガにてさせていただいた次第であります.
いずれにしても,筆者は、適切な財政政策の中身を検討するためには、こうした議論を重ねていく必要が不可欠であろうと考えております.飯田氏の原稿については,さらに論じたい内容がいくつもあるのですが,それについてはまた,機会を改めて,より網羅的に論じて参りたいと思います(今,本メルマガ記事の内容を含めた,より包括的な批判原稿を公的なメディア上で出版する可能性を調整しているところであります).
ついてはこうした議論が、適切な財政政策に向けた適正、かつ、前を向いた建設的な議論に繋がりますことを心から祈念しつつ、そして、日本の国益のために、経済学者としてのお立場から,政府支出のあり方について、雑誌という公器上で自説を公表された飯田泰之氏のご尽力に心から敬意を表しつつ、取り急ぎ,本メルマガでの議論をここで終えたいと思います。
PS
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【藤井聡】飯田泰之氏のVoice(2014年3月号)への寄稿論説についてへの14件のコメント
2014年2月19日 12:17 AM
>ガメる奴民間でも途中でガメる奴はおるがな。たとえば手配師で有名なP社とかw
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2014年2月20日 8:03 AM
[…] 飯田泰之氏のVoice(2014年3月号)への寄稿論説について […]
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2014年2月20日 10:59 AM
>と筆者には,主観的に思えてならない訳であります.全く主観的なところはないですよ。個人にしろ企業にしろ何らかの支出をするための資金はすべて自らが稼ぐ必要があります。それと相反して政府支出の減資となるのは税金や国債などであって、これらは端的に言って他所から取っていくだけのものです。要するに、重要なのは支出する主体と負担する主体が同じか別々なのかと言うことです。支出する主体と負担する主体が別々になれば支出する主体は好きなだけ支出をしようとしますよね。「どこかの物好きの金持ちが、穴を掘って埋める事業を見たいからといって、それを建設業者に頼んだ」という例を挙げておられれますが、飯田さんが言ってるように穴を掘ることにこの金持ちは効用を得ているのであり、そのための資金も自ら調達しているのですから、この金持ちの効用分(穴掘りに要した費用)だけ社会全体の効用は上昇しています。だが公共事業で穴を掘った場合に、その受益者である国民は効用を得られることができません。だから政府支出にのみ「無駄な事業がある」と考えるのは十分な合理性があると言うことになります。あと青木泰樹さんの比喩も飯田さんへの批判になっていません。青木さんは砂漠の中にある車と道路が整備された都会での車とを比べていますが、本当に比較しなければいけないのは整備された都会においてもう一本道路を作るのが合理的か否かなのです。というのは限界効用逓減の法則というのがあって社会資本の量が増えるたびに一単位ごとの効用は減って行くからです。高度経済成長時代と違って、現在においてもう一本道路を作ったからといって利用者の効用が比較的に高まるような事業はそれほど残されてないことを認識することが凄く重要だということを指摘しておきます。
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2014年2月22日 9:25 AM
飯田先生のご意見について考える点を(長いので)次のページにまとめましたので、よろしければご覧下さい。http://kitaalps-turedurekeizai.blogspot.jp/2014/02/blog-post_28.html
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2014年2月22日 2:30 PM
経済学の素人ですが、藤井先生の方が納得できますね。私なりの理解をまとめます。 飯田氏の主張にある「所得移転と無駄な公共事業(穴を掘って埋める事業)は等価である」との主張に関して、納得はできずとも明確な反論が出来ない状況でした。藤井氏の主張を読んだ後に考えたのは、以下のような図式です。 ・無駄な公共事業 = 経費+利益 ・所得移転 = 利益この中で、経費は受注企業が他の企業や人に支払うものなので、強制的にフローに組み込まれます。このため、所得移転に比して非常に高い乗数効果が見込める、というように理解しました。企業の利益と個人所得分のみが所得移転と同等の意味を持つ部分であろうかと思います。 この認識が正しいかは甚だ疑問ではありますが、以上の理解により、無駄な公共事業の方が所得移転よりずっと景気浮揚への効果が大きいと判断致します。
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2014年2月22日 5:59 PM
自分は経済学はさっぱりなのですが、素人目に言えることは、飯田氏またはそれと同内容の経済学派というものは言葉に無神経なのではないでしょうか。つまり概念に無神経ですので、現実を見間違えるのだと邪推いたします。1)飯田氏の主張なさる「民間企業は合理的な投資を行う」 というのは「民間企業は合理的な投資を行いたいと思っている」 の間違いだと思います。2)市場が適切な価格を決定するという原則は、人間の計画性を 無視しています。刹那的な判断で全員が生産、購入するわけ ではありません。投機的活動を除外しても、地域寡占のための 他社つぶし目的の廉価競争は実際にある話です。 「市場で適正価格が決まる」というのは、「市場で適正価格が 決まることがある」の間違いだと思います。 キーボードの配列のごとく、自由な世の中でもっとも正しい ものが選ばれ、残っているわけではないと思います。3)企業は無駄な・・・をしない等について、会社現場にいればまず 否定ができる程度の話ではないでしょうか。受注量に合わせた 労働者の雇用解雇はリスクが高く現実的に無理ですので(詳細省略)、 短期的には無駄な人員を維持するための無駄な労働は当たり前 です。企業は無駄な投資も消費もします。無駄な投資のなかから 新商品が生まれることもあります。イノベーションは研究者よりも 現場の人間の生み出すものだと個人的には思います。 「企業は無駄な投資をしない」のではなく、 「企業は無駄な投資をしたくない」の間違いです。 事前になにが無駄なのかは神のみぞ知るです。 でなければ経営者はもっと楽ですし失敗もありません。
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2014年2月23日 6:13 AM
飯田氏の議論は言葉の定義を間違えているのだから反論する価値もない。税金で1兆円の穴を掘ったとして,その穴に1兆円の価値があるからGDP1兆円なのではない。日本人労働者が1兆円稼いだからGDP1兆円なのだ。労働者は所得税をガッポリ取られるのは間違いない。そして近くのゴルフ場もカラオケバーも大賑わいで景況感は最良になる。床屋が客の髪の毛を切って5千円稼いだとして,短くなった髪の毛の経済価値が上がったからではなく,床屋が5千円稼いだからGDP5千円なのだ。それ以前に、穴を掘らせて埋めさせて1兆円払うような政府は世界広しといえども皆無であろう。設問自体ナンセンスなのだ。湖のヘドロをパイプラインで運んで、海にブチまける政府はあった。山を削って出た土を近くの海にブチまける政府もあった。日本国政府だ。今の幕張メッセのある埋立地と、神戸のポートアイランドがその産物だ。この場合のGDP 計算も、埋立地の価格ではなく,工事をやった土建業者の稼ぎがGDPである。このような、付加価値の高い事業も、民間は発注者になれない。公共事業だから初めて出来る。
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2014年2月25日 5:17 AM
藤井教授に賛同します。飯田氏は過程を見ない人なのかなと。それと若干彼に対して不満があるのは、「詳しくは〜をご覧下さい」、「〜を参照ください」と言っているのですが、本人が熟知していればこの討論のケースに合わせて、発言できるのではないかと。もちろん藤井教授にもそうした「〜参照ください」が見られますが最後まで読んでいけば言わんとすることは分かります。だが飯田氏の説明は分かりづらい上に納得がいかない。彼には「人間の行動には無駄がありますよ」と言って差し上げたい。市場は商品を主観的感覚で価値を決める、それが合理的だと言いますが後で買わなきゃ良かったって経験は誰にもある。もう飲めないと言いながら無駄に酒を飲むこともある。合理的価値が綺麗に表れる瞬間があるとしたら商品を買った、酒を飲んだ、公共サービスを利用した、その時々の個々の瞬間のみでしょう。その瞬間のみを論じて数値化しようとしてるようにしか思えません。次の瞬間にその価値はどうなるかも分からないのに。本当の意味で合理を考えるならば、無駄と思えることも含め不確定な将来も含め、その過程も含めて潜在的な未来の可能性も含めて考えるべきではないかと。ただ飯田氏のような人にはそれが出来ないでしょう。何故なら綺麗な断定された数値でこれらのことは表せないからです。表すとしたら過去の経験から予測される数値です。もちろんその数値も完全ではないでしょう。でもそれが人間が出来ることでしょう。神ではないんですから(笑)頭を柔軟にして一緒に考えてほしいですね、飯田さん♪
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2014年2月25日 2:40 PM
昨年10月の増税騒動の時に、偽名使って人を茶化すのではなく、今回みたいにちゃんと書けば良かったのに。
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2014年2月26日 12:00 AM
詭弁ならまだいいんですが、ここまで来ると最初っから新古典派以外の方法を考慮する事すら考えていなかったのではないか、と疑われてもしょうがないように思えます
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2014年2月26日 7:10 PM
デフレ不況=需要不足で景気悪い(金回りが悪い)、実質金利高い↓と、すれば起業家は尻込みする人が好況期より圧倒的に多いのだから民間では適切なインフレにならない↓政府がポンプ役となって金融機関からお金を引っ張って来て実体経済に流さなければならないこれが大枠として大前提だとして、どう使うのが効率的かって話は理解できるし、是非議論すべきだと思うんですが、あまりにも効率効率言って方法どうするか考える時間かけ過ぎるのもどうかと思いますね。何故なら、不況で潜在GDP以下で経済が回る時間が「長くなる」ことのほうがどう考えても非効率なことだと思うのです。クルーグマンも似たようなことを言っていたと思います。不況=非効率正直、不況になる前にどう対処すべきかを用意出来てなかった時点で、なりふりかまってる場合じゃないと思うんですよね。地震や原発事故がもう起きてしまった「後の」対処をしなければならないのと同じように。早くしないと東北の共同体は取り戻せなくなるし、倒産や失業や貧困も増える、自殺者も増えその人数の数倍の人々にも多くの経済的&精神的ショックを与える、女性の社会進出も遅れ、企業の研究開発も滞りイノベーションも起きにくくなる、etc…それでも不況をまだ続けるのであれば、結局民主主義に圧力をかけて「構造改革」を一気にしてしまいたいがための詭弁に聞こえますよね。真面目に民主主義やれよと言いたくなります。やり方が汚すぎます。あくまで憶測ですが。そりゃなりふり構わないんだから「無駄」に見えるところも出てきましょうがさっさとやらないと手遅れになるんだからやらせてくれよと。目の前で人が苦しんでるのに治療方法が完璧じゃないからちょっと待ってっておかしいでしょ。そういうのは「平時」に議論なり研究しとけよこの野郎って言ったら言い過ぎですか?どう考えても非合理なものがある。合理主義がそれだ。byニーチェ
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2014年2月27日 10:10 PM
>>selection極めて大雑把に述べると「政府支出を経済上での効用に含めて考えるか否か」という点が上記の主な論点ではないでしょうか(効用=経済上の利益があるかどうか、ぐらいのイメージでこの駄文の上では語っています)主流派経済学だと、政府支出は何であれ、何の効用も齎さない、と青木先生の動画で拝聴した覚えがありますつまり、道路を作ろうが公務員の行政サービスが提供されようが、効用には含まない、と。(個人的にはきわめて不合理に思えますが)上の方が言われてますが、要は政府支出が非効率だとされているからやりたくない、と言う時に、効用ゼロかきわめて低くムダだらけと「最初から看做しておく」ならば、そんなもんムダやん、やらなくてええやん、という空気が作られる訳ですですが、これは金の流れが実際問題どうなってるのか、という調査や、その結果として国民に金がいきわたっているか、という点を実際の流れで確かめて見ないことには、フローの流れには無駄がある、という先入観に従った判断であろうと推察されますなので本当に無駄だ、と主張されるなら実地の調査をやってからでしょうその結果を利用して、より効率のいい公共投資を考えていく事もできるでしょうし、利益となる所は大きいと思います何より経済学を机上の学問から現実に引きなおす役にも立つでしょう最も、学問上、政治上の理由によって、実際の処を確かめたくないならしょうがない話でございますが
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2014年3月1日 10:31 AM
藤井さんの意見には、150%ぐらい支持してる僕ですが、学会レベルだからなのか、きいたことのない論点がいくつかあり、勉強になるのですが、難しかったというか、意見のちがうことろを、がんばって見つけて、文章にしてる感がありました。今の上念さんが、新自由主義批判を、なにかみつけては、一生懸命批判をしているのと、同じような感じがしました。三橋さんの文章とかは、学者じゃないからなのか、すーっと頭にはいってくるんですが、藤井さんは、動画媒体できくと、とてもわかりやすいのですが、文章が、難しいのかなーとおもいました。意味わかんないコメントなので、スルーして構いませんが、ちょっと思ったことなので、コメしてみました。
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2014年3月3日 3:49 AM
>法人の所得になり,ひいては,世帯の所得になる,という「フロー」が存在す>ることは否定しがたい 「フロー」のオートマチックな展開がアプリオリに真であるかのような記述。今、疑われるべきは、そこではないですか。 「フロー」の経路上でガメる奴が出てきたら、この展開は途中で止まる道理です。
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