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2013年11月29日

【施 光恒】皇室と日本人の心

From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学

おっはようございま〜す\(^_^)/

なぜ、顔文字が今日に限って両手をあげているかといいますと、私ごとで恐縮ですが、今回で当メルマガに書かせていただいて一周年なのです!いつもどうもありがとうございます!
今後ともどうぞよろしくお願いいたします<(_ _)>

(今日の記事はいつにもまして長いのですが、一周年記念ということに免じてお許しください…)

さて、本題に。
少し古くなってしまった話題で恐縮なのですが、参議院議員の山本太郎氏が秋の園遊会で天皇陛下に原発関係のお手紙を手渡した話、少し気になっていました。

その後も、関連するニュースがちょこちょこと報じられていました。たとえば、以下のものです。

「山本太郎を擁護した意外な面々──英BBC、ワシントン・ポスト、英・カトリックの聖職者」(『週刊朝日』2013年11月29日号)
http://dot.asahi.com/wa/2013112000002.html

上の記事などによりますと、どうも「手紙問題」は、「エチケット」とか「マナー」の問題と受け取られているようですね。

そして山本太郎氏自身が週刊誌に語ったところでは、天皇陛下を「人生の先輩」としてみており、手紙を差し上げたことはやはり「マナー」の意識が足りず、反省しているとのことです。(『アサ芸プラス』2013年11月15日)
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20131115/Asagei_17623.html

日本国内は、当然、批判的な意見が多かったのですが、読売新聞や産経新聞などのいわゆる保守派の論議も日本国憲法や請願法を論拠としていました。

マナーやエチケットの問題として受け取られるのはちょっと違う気がします。また、保守派が日本国憲法を論拠にするというのも、「ちょっとなあ」と思います。保守派は日ごろ改憲を主張しているわけですので。

皇室制度の価値や機能を、もっと文化や伝統に根差したかたちで考えていかなきゃなとあらためて感じました。

ひとつの手がかりとなるのは、福沢諭吉の議論だと思います。福沢諭吉は、皇室について考察した『帝室論』(明治15年)の冒頭で次のように述べ、皇室の政治利用を強く戒めていました。

「帝室(皇室)は政治の世界外の存在である。いやしくも日本国にあって政治を論じ、政治に関わる者は、その主張の中で帝室の尊厳と神聖を乱用してはならない」(無窮会編『福沢諭吉の日本皇室論』(島津書房)所収の現代語訳より引用)

福沢諭吉がこう述べた理由は、皇室は、万民の敬愛の対象として日本人の心を収攬してきた(とりまとめてきた)ものであり、政治的論争のなかに巻き込んでしまえば、その機能が失われてしまうのではないかと恐れたからです。

福沢は次のようにも記しています。

「…政党間の囂々(ごうごう)たる争論の際に、帝室がもし左を助けたり、または右を庇護したりなどのことがあれば、争いに熱中している政党の人々は、一方がわが意を得たりと喜べば他方は不平を募らせる結果になり、その不平の極みとして帝室に恨みを抱くものも出てくるだろう」。

また福沢は、政治的論争の諸陣営に次のように求めています。

「…望みたいのは、相手を攻撃するにも論駁するにも、ただ政治論だけにとどめてほしいこと、謹んで帝室には近づかないでほしいことである。…もしそうでないと、帝室の緩和の功徳が、逆に激烈な乱階(世の乱れる元)に変じてしまう可能性がある」。

福沢のここでの主張は以下のようにまとめられるでしょう。

「日本の秩序は、古来、皇室に対する国民共通の敬愛の念によって成立している。だから、皇室を政治的議論に巻き込んではならない。皇室を政治的論議に巻き込こみ、いずれかの陣営につかせるようなことがあれば、その陣営以外の人々のなかには皇室嫌いになってしまう人が出てくるかもしれない。

そうなってしまうと、皇室への敬愛の念、いわば皇室への「心の絆」によって結ばれている日本の秩序が将来崩れてしまう恐れがある。だから皇室を政治的論議に巻き込むのは避けなければならない。」

その通りだと私も思います。

皇室制度って、日本人の「心のかたち」に適っていると感じます。皇室を中心とする秩序というのは、日本人にとって非常に自然なんじゃないかと思うんですね。

以前、日本の子育てや教育の特徴について調べたことがあります。そのときから、特にそう思うようになりました。

————————————————————

●韓国経済の悲惨すぎる現実とは?
http://keieikagakupub.com/lp/mitsuhashi/38NEWS_video.php?ts=sidebar

————————————————————

子育てや教育の仕方には、各国の特徴があります。
教育学者の恒吉僚子氏は、日米の子育ての相違に触れて、日本の指導法を「内在型」モデル、アメリカの方法を「外在型」モデルと称しています(『人間形成の日米比較』中公新書)。

「内在型」の日本は、内面を重視し、自他の気持ちや感情、罪悪感などに訴えかけ、子どもをきちんとさせようとします。また他者の気持ちを敏感に感じ取る「思いやり」を重視し、それを育むことを目指します。

他方、「外在型」が優勢なアメリカでは、気持ちや感情などの内面ではなく、権威、あるいはルールや合理的な結果などの外面的な事柄に訴えかける指導を好みます。

アメリカの子育ては日本よりも個人主義的な前提で行われているため、しつけや教育の場面でも、個と個のぶつかり合いとみるようです。そこでは、未熟な子どもを、大人である親が責任を持って引き上げるべきだという発想で教育が行われる傾向があり、親としての、あるいは大人としての権威に訴えかける指導がとられることがままあるようです。

この点をわかりやすく表したものとして、「野菜嫌いの子どもに野菜料理をどのように食べさせるか」というテーマで、日米の母親の行為の違いを調べた調査結果があります(東洋『日本人のしつけと教育』東京大学出版会)。

日本と比べた場合にアメリカの母親に特徴的にみられたのは、「母親である私が食べなさいといっているのだから、食べなさい」と、親の権威に訴えかける手法でした。いわば権威重視の方法です。

これに対してアメリカとの比較で日本の母親に顕著にみられたのは、気持ちに訴えかける方法でした。つまり「お母さんは一生懸命この料理を作ったのよ。食べてくれないと悲しいな」という具合に気持ちに訴えかけるものです。
次のような言い方もよく聞きますよね。「この野菜はお百姓さんが汗水たらして作ったもの。食べないとお百姓さんに悪いでしょ」。
これも他者への配慮を身に着け、他者の気持ちから自分を見つめることを覚えさせようとしているわけです。

また、日本の母親が子どもに野菜を食べさせようとするとき、どうしても食べようとしない子に「もう食べなくていい!」と言って片付け始める場合があります。たいていの場合、子どもは慌てて食べ始めます。
(ノ_・。)

「もう食べなくていい!」といって食べさせる手法には、次のような前提があります。
まず母親と子どもの間に心理的な絆を作っておくということです。日本の母親は子どもと一緒にいる時間が長く、身体的接触が多い傾向にあるのですが、これは、心理的絆を形成するためです。

つまり母親は子どもとの間に心理的絆を先に作っておき、母親は、これを活用するのです。たとえば子どもが言うことを聞かなければ、母親はその絆をなくしちゃうよと示唆するわけです。上の「もう食べなくていい」というのは、その一例です。つまり、日本の子育ての根本は親と子どもの間の心理的絆を作っておいて、それを活用して教育していくというものなのです。

この比較研究を行った東洋(あずま・ひろし)氏によりますと、アメリカの研究者は、「もう食べなくていい!」式の食べさせ方の意味が当初なかなか理解できなかったようです。母子の心理的絆を先に作り、それを活用するという子育ての方法はある程度、日本に特徴的なのかもしれません。

アメリカの教育学者キャサリン・C・ルイス氏は、日本の初等教育を研究対象としているのですが、日本の学校教育を非常に高く評価しています。

ルイス氏は、日本の小学校の巧みな指導の一例として、ある小学校での出来事を記述しています(Educating Hearts and Minds (Cambridge University Press)。

「ある朝、先生が教室に入ってきても、児童はなぜかざわざわしていて静かになりません。先生や「日直」の児童が「始めまーす!」と何度か言っても静かにならない。

業を煮やした先生は、悲しそうな顔をして職員室に帰っていきます。要は、「先生はもう知らない!」というわけです。

すると、教室の子どもたちは急に不安になり、静かになってきます。そのうち、子どもたちのなかから「先生を職員室に呼びに行って謝らなきゃ」という声が出始めます。実際、日直、または学級委員を務めているような子が、クラスの代表として先生を職員室まで呼びに行って、先生に悲しい思いをさせてしまったことを謝ります。

それを受けて先生は、教室に戻ります。子どもたちは、深く反省し、それから一週間ぐらいはきちんとした行動をとるようになります。
(^_^)

ルイス氏が日本の小学校の一コマとして描いているこういう出来事、皆さんは経験ありませんか? 私は、小学生のとき、このようなことが二、三度あったように思います。

小学校の先生がだまってその場からいなくなってしまうのは、心の絆を大事にするということを子どもの頃から学校で半ば無意識に教えているというわけです。日本では家庭でも学校でも絆を前提として子育てや教育をするというのが、日本の特徴だと言えます。

ですが、こういう指導法は、前提として教師と児童との間に密接な心理的絆がないとうまく行きませんよね。

実際、ルイス氏の見立てによれば、日本の小学校では、心理的絆を壊さないためのいろいろな方法が工夫されています。

例えば、小学校の低学年から「係」を決めます。給食係や動物係、プリントの配布係、日直などです。何故、このように係を決めるかと言えば、小学校の先生が頭ごなしに子どもたちに命令したくないからです。
先生はクラスみんなに愛され、心理的な絆が育まれなければなりません。「良い先生」「良い児童」が前提で、先生を嫌いな子どもをつくらないために、教師は直接的な命令はなるべく避けるというわけです。係をつくるというのは、そのためのテクニックなのです。

学級の各種の目標(「めあて」)を作るのもそうです。子どもたちに話し合いをさせて、自主的に目標をつくらせます。そして目標が守られなければ、学級会や「帰りの会」などで、子ども同士で話し合わせます。これも先生が直接命令しないやり方です。いわば先生は「君臨すれども統治せず」ですね。もちろん、クラスの目標決めの時には、先生が「最近、忘れ物が多いよね〜」とポロッと言ったりします。背後でコントロールはしても教師は表には出てきません。

こうした学級の運営方法の「かたち」は、家庭や学校での教育の場面以外でもみられるように思います。

日本型経営の議論でかつて言われていたことによれば、会社で日本人が求めるのは円満型のリーダーです。欧米型のトップダウンではなく、ボトムアップを理想とするといわれていました。アメリカ人は決断力があって、直接的に部下を率いて、命令する上司を求めます。

他方、日本人は、円満型、調整型のリーダーを求め、皆に愛される人を組織の真ん中に置こうとします。実務的命令を下すのは中間管理職で、リーダーは心理的なまとまりをつくる象徴という場合が多いとしばしば指摘されました。

皇室の存在も同様かもしれません。中心にシンボルとして存在し、皆の敬愛の対象です。皇室は、具体的な命令には関わりません。嫌われるようなことがあってはならないからです。政治的実務に関わってはなりませんし、政治的立場をとってもいけません。

日本人の秩序は、小学校の教室でも職場でも、皆の心理的愛着の対象となる人物を中心に置くことによって成立します。「皇室」という存在は、まさに日本社会全体の中心に位置し、秩序を成立させるのです。こうした秩序のつくりかたが昔も今も日本人の心に一番ぴったりくるのだと思います。逆に言えば、これ以外の方法では日本人は嫌がるのではないでしょうか。日本人は、頭ごなしに言われるのを実はとても嫌うからです。

たとえば、恒吉僚子氏が著書の中でご自身の体験を記していました。

恒吉氏は帰国子女です。アメリカにいた子どもの頃に、近所のアメリカ人女性にアメリカ的に強く命令されてとてもショックを受けた記憶があるそうです。そのアメリカ人女性と、恒吉氏の母親、および恒吉氏の三人で車で外出したとき、恒吉氏は「車の窓を閉めなさい」とアメリカ人女性に直接的に言われて、少し当惑したそうです。するとますます強く、「窓を閉めなさい!」と言われたそうです。
日本人の大人だったら、このアメリカ人女性のように直接的な言い方をせず、「少し寒いよね」「みんな風邪ひいちゃうね」などと言って、恒吉氏に窓を閉めさせたところでしょう。

日本人は、子どもでも頭ごなしに直接的に命令されるのに慣れておらず、嫌悪を感じるのです。だからこそ、いわば「皇室型」の秩序のつくりかたでなければならないのだと思います。

それぞれが他者の気持ちを慮って行為するのが、日本的な良さで、教育にしろ、経済にしろ、そういった考え方が日本人には合っているのだと思います。

福沢諭吉も「帝室論」のなかで同じようなことを言っています。

「わが日本国民のごときは、数百年、数千年来、君臣情宜の空気の中で生きてきたものであるから、精神道徳の部分は、ただこの情宜の一点にかかっている。この点に頼らなければ、国の安寧を維持する方策はないだろう。すなわち、これこそが、帝室が大切で至尊・至重である由縁なのである」。

話があちこちと飛んでしまいました。
f(^_^;)

何がいいたいかといいますと、結局、われわれ日本人は自分たちの慣れ親しんできたものをもっとよく知って、そして自信をもって、やっていけばいいんじゃないかということです。無理して他のやり方を無理に取ろうとおもっても、われわれには合わずなかなかうまく行かないかもしれなませんし、そもそも、それが望ましいかどうかもよくわからないわけですし…

結局、話があちこち飛んだあげくにいつもの結論でした…
いつにもましてながながと失礼しますた。
<(_ _)>

PS
尖閣問題の本質、そして戦い方とは?
https://www.keieikagakupub.com/sp/38NEWS_CN/preview_limited.php

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【施 光恒】皇室と日本人の心への8件のコメント

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  2. ことり より

    はじめまして。遅ればせながら、ご投稿一周年おめでとうございます。こちらのメルマガを読むようになって一年くらいたちました。どなたの記事も勉強になり、いつもありがたく読ませていただいてますが、私は施先生の投稿を特に楽しみにしています。今までで特に印象に残っているのは「ドサクサ紛れのグローバル化」です。前半は早期英語教育に対する懸念に激しく同共鳴し、後半の、『言海』の引用がとても面白く、「十五夜」の名文に私も痺れてしまいました!くしくも同じ名月を見て「今夜は日本中のたくさんの人が、それぞれの思いでこの月を眺めているんだなぁ」などと考えていた翌朝の記事で、しかも自分の誕生日でしたのでこの日のメルマガは「先生からのお誕生日プレゼント!」と勝手に舞い上がりました。いつも先生の文章は、日本人であることに誇りや幸せを感じさせてくれます。その思いが心の中にないと、真のグローバリストにはなれないと思います。先生の記事を読み、日本人でよかったとますます思えるようになりました。そしてこの幸福感は先人によってもたらされているということも忘れてはならないと気づきました。すごく大事なことです。もし生まれ変わったらと考えたら、私はその時はまた日本人として生まれたいと思います。そしてその時にも今と同じく天皇陛下がわたくし達を見守って下さっていると信じているし、そう思うと、とても心強く、ありがたく温かい気持ちになります。御皇室は私にとってそのような存在です。(原発をどうして欲しいとか、、どうしても考えも及びません。)これからも、いろいろなことを気づかせ、考えさせて下さる施先生の投稿を楽しみにしています。こんなただのおばさんが、なんだか場違いかなぁ、、と何度も躊躇しましたが、初めてコメントします。まとまりもなく、乱文失礼しました。「一周年記念」に免じてお許し下さいm(__;)m。

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  3. yoko より

    先生の書かれる文章、毎回楽しみにしています。今回は先生のお育ちになった暖かい家庭の事を思い浮かべつつ・・・御皇室と日本人の心についての考察、大変納得しました。言葉で表現するのは難しいですが、先生のお書きになった日本人の心を持っていれば、やはり山本太郎議員の様な行動は出来ないと思うのです。畏れ多いとか、議員としてルールに反するという前に、陛下が戸惑われたり、皇后陛下が身の危険感じられ身構える、このようなお姿を見たくはないのです。そして、陛下が国の為を思い祈って下さる、この事に日頃は忘れていても、思い出すためにホッとするのです。天皇陛下がいらっしゃらず、皇居の場所がビルで埋まってしまったら、日本人の心はすさむと思います。これは西洋の王様を思い浮かべていたら、理解されないでしょうね。タイの国王に対する国民の姿には、通じるところがあるように感じます。

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  4. 一筆 より

    >皇室制度って、日本人の「心のかたち」に適っていると感じます。皇室を中心とする秩序というのは、日本人にとって非常に自然なんじゃないかと思うんですね。>日本人は、子どもでも頭ごなしに直接的に命令されるのに慣れておらず、嫌悪を感じるのです。だからこそ、いわば「皇室型」の秩序のつくりかたでなければならないのだと思います。直行にして秀逸な論説です。天皇をお支えする御皇室は、日本人及び日本社会を構成する各家族にとって、鑑とし、守るべき対象なのでしょう。であれば筆者に問いたい。日本の秩序を念頭に、公且つ社会に対し自らの論意を公開される言論人として、施さんの「保守」すべき対象は、御皇室を基盤とした「国体」であるところの天皇と解釈して宜しいですね。

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  5. 正直屋 より

    メルマガ一周年おめでとうございます\(^_^)/ これからも楽しくてためになるお考えを聞かせてください。 ですが・・このたびの施さんのお考えは、私にはやや分かりにくかった・・。 というのも、私は山本太郎さんの件については、やはり外国人が言うように、マナーの問題じゃないかと思うのです。マナーの問題だからたいしたことじゃないというのではなく、むしろマナーの問題だからこそたいしたことだといいたいのですが。 ありえないことですが、もしもなにかの手違いがあって、私が園遊会に行くことになったとしたら、とても緊張するんだろうと思います(^_^;) それはなぜかと考えてみると、天皇陛下が神々しいからではない。とくべつの血筋をお持ちだからでもない。きっと無私でいらっしゃるからです。いいかえれば、公人中の公人であるからです。とうぜん、園遊会のようなお楽しみの場であっても、もっとも公的な場になってしまいます。じぶんはそのような場にふさわしいマナーを身につけているだろうか、心根が田舎者であることがバレはしないだろうか、そうした気がかりのせいで緊張してしまうのにちがいありません。そして、そのような緊張を抱えている身には、天皇陛下にお手紙をお渡しするなど思いもよらないことです。 もちろん、天皇陛下を神々しいと感じる人もいると思います。けれども、そのことをあまり言いすぎてもいけないでしょう。日本人のなかには、キリスト教徒もいますし(敬虔な)仏教徒もいます。天皇陛下が国民を統合するさいに、その人たちが外れないようにしないといけません。このあたりは、たぶん福沢諭吉と同じです。まだ読んでないですけど(>_<) ついでながら、天皇陛下はとくべつの血筋をお持ちだと言いたがる人も増えている気がします。さいきん「お血筋」を連呼している人をみかけました。気持ち悪いです(-_-;) いっぽう、山本太郎さんが天皇陛下を政治利用したのがけしからんとも言われます。でもそれを言うなら、政府が高円宮久子妃殿下をIOC総会に出席させたことのほうが、もっとけしからんのではないでしょうか。IOC総会は国際的なコンペティションであり、招致活動のためにカネがばら撒かれたとさえいわれるようなところです。そのようなところに妃殿下をお連れするのは、場をわきまえない振る舞いであり、やはりマナーに触れると思います。天皇陛下と妃殿下とは同じでないとはいっても、あのような場での「穢れ」を身にまとわれたままでは、祭祀をお扶けになることはできないでしょう。 ところで、祭祀とは国家と国民のための祈りですが、それはほんとうのところ、効き目があるんでしょうか。そんな子供のようなことを、私はふと考えてしまいます。たとえば、東日本大震災からしばらくののち、被災地出身の少女が「神様がいらっしゃるのに、どうして苦しまなければならないのでしょうか」と質問したのに対して、ローマ法王はまるで官僚のような答弁をしていましたm9(^Д^)それでは、国民は天皇陛下に対して、同じことをお尋ねしてはいけないのでしょうか。皇室報道にはいまだにタブーがあるとかよく言われますが、それはじつはたいしたタブーではなくて、ほんもののタブーはここにあるのだと思います。だから、子供は尋ねてもいいけれど、大人はお尋ねしてはいけない。おそらくそれが答えなのでしょう。 またしてもありえないことですが、かりに天皇陛下が祭祀をお止めになったとして、そのせいで禍々しいことが起きるとは信じられません。けれども、国民がすくなくとも公の場において、それを信じているかのように振る舞えなくなったときには、ほんとうに禍々しいことが起きるのではないか。いいかえれば、天皇陛下が古式の作法に則り祈りを捧げてくださることに、せめて敬意を払ってみせるのが国民としての古式の作法に適うのだと思います。さらにいいかえれば、日本人のマナーの体系の中核を占めるものとして、天皇陛下の祭祀を位置づけることができるのではないでしょうか。もっとも、こんな堅苦しい話は大人の世界に限ったことであって、子供の世界には「心の絆」に支えられた「気持ちへの働きかけ」がありうるのでしょうが。 ともあれこうしてみると、政治利用の問題とされるものも、じつはマナーの問題に還元されてしまうような気がします。天皇や皇族を政治利用してはいけないのは、憲法が禁止しているからではなく、むしろ憲法が無視している祭祀の存在とその性格によるのだと思います。 長々と書いてしまい不作法ですが、一周年記念に免じてお許しください。

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  6. 古事記 より

    長文は歓迎です。天皇陛下は位に生きておられます。日本人の師表なのです。一般人とは明らかに違いますし一般人が同様の生活をひと月同じ様に過ごすのは非常に辛く無理だと思います。私利私欲は禁止で我は出せないのです。人に対して自由に物も言えない、意を発する事が出来ないし発してはならないのです。まして政治に対しては『うなずく事だけしか基本的にしてはならない』  日本国民の安寧と平和を願い祭祀として生きる事を天皇の位をお受けになられた時からだけでなく生まれた時からその教育を受け生きられる事を義務付けられておられます。聖職者と言えばローマ法王を一番と考える人が多いが、天皇陛下は世界一の歴史ある聖職者です。和の師表です。又その成り立ち自体が皇室と世界王室とは違います、他国の事は控えますが日本の皇室は祭りの神輿と同じです、国民の人々の敬愛尊敬の心と言う力で担がれ地位が保たれ、国民の心の力で上に押し上げられた存在で日本人の心そのものです。日本人の心に対して 自らの欲にかられて山本某は余にも無知無礼であるばかりか日本人の心そのものを馬鹿にして和の精神、思いやりの精神を持つ古来伝統文化、自然を愛し規律を重んじる礼儀正しい日本人を侮辱し冒涜した行いです。施氏が本稿でいつも訴える事とは真逆の日本人です、本日の文も表面的パフォーマンスでは無い、奥ゆかしい真の優しさ隠れた和の心、我慢強さ、辛抱強さを教え、それが愛欲では無い慈愛の精神を育む日本教育への回帰を促す物だと思います。その象徴、穏やかな日本人、人格の師表が陛下です。

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  7. くるみ より

    施先生、メルマガ一周年おめでとうございます!!(*'▽'*)上品で分かりやすく、しかも元気の出るお話、激しく同意しながら読ませていただいてます♪これからも先生のお話を楽しみにしています(_▽`)

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  8. Y.Kaito より

    施氏のお書きになった文章にはいつも発見があり感心しながらよんでいます。

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