過酷な現場
数年前、下水道管補修の機械化工法の見学に行った。場所は足立区の建設会社の工作所であった。
多くの土木構造物が現代の都市を下支えしているが、どの都市でも工事は厳しい社会条件の中で進められていく。これらの中で最も過酷な工事は「下水道の補修」である。
下水道管は敷設して30年経過すると、硫化水素の影響により急激に管内の劣化が進む。近年、道路の陥没事故が増加しているが、そのほとんどが下水道管内の劣化によるものだ。(写真―1)は下水道管の劣化と車の陥没事故である。
(写真―1 国土交通省 下水道計画的な改築の推進)
快適な都市生活にとって下水道は不可欠である。近代都市において、水洗トイレがない生活など考えられない。365日24時間、水洗トイレのシステムは動いていなければならない。そのため、下水道施設の補修や更新は、汚水を下水道に流したまま狭い空間で限られた時間内の過酷な条件下で行われる。
日本の技術はその過酷な下水道管の修繕工事を機械化した。その工法は、SPR(Sewage Pipe Renewal)という工法であった。
建設会社の工作所でそれを間近に見て、心の底から驚いた。
下水道管の補修ロボット
その工法を一言でいえば、腕の傷口を包帯で巻く工法である。ただし、下水管の傷なので、管の内側から包帯を巻く。
包帯は硬めの塩化ビニール製で、その塩ビの包帯を重ね合わせ、外れないよう重なる部分の溝が噛み合っていく。塩ビの包帯が連続的に送り出され、その包帯を機械がゆっくりと管壁に押しつけていく。
管内がどのような形状でも、その形状に追従して包帯を押しつけていく。塩ビと管壁に残るわずかな空洞は、あとからモルタルでしっかりと填充する。
(写真ー2)がSPR工法協会のHPで(図ー1)が工法の解説イラストである。
(写真ー2 出典:SPR工法協会HP)
(図ー1 出典:SPR工法協)
施工機械は中空形状なので、汚水は中空部を通過して流下していく。工事現場に立ち会うのは、塩ビの包帯を送り出す作業員たちと、その塩ビがきちんと噛み合っているかを監視する人だけである。
近代社会の最も過酷な土木現場で、日本人は世界に唯一のロボットを生み出してきた。
日本人のロボットは、ここでも人々の過酷な労働を助けていた。
水掛けロボット
日本人の際立った特徴はメカ好きなことである。特に、海外の人々が奇異に思うのが、日本人は工場の産業用ロボットに「太郎」などと名前を付けて、まるで家族のように呼んでいる。欧米の人々は、工作ロボットに人の名前を付けたりしない。それはあくまで動く機械なのだ。
メカは日本人の日常生活にも深く組み込まれている。タクシーの自動ドアー、全自動麻雀卓、全自動シャワレットなど数えだしたら限がない。初めて来日した外国人たちは、メカが溢れている日本に驚く。
私が知る限り、人類最古のロボットも日本である。
平安京へ遷都した桓武天皇の皇子が、日照り続きで人々が苦しんでいるのを見て、水掛け人形を考案した。(「からくり人形の文化誌」高梨生馬、学芸書林1990年)
その人形は胸の前に洗面器のような容器を持っている。人々が川から水を汲んで、その容器に水を入れる。すると、人形はバシャッとその容器の水を自分の顔に掛ける。人形の顔にかかった水は、足もとの田んぼに流れる仕掛けになっていた。その人形の仕草が面白いので、人々は川から水を汲んで、その人形の容器に入れ、人形が水をかぶる様を笑って楽しんだ。そのため、田んぼに水が一杯になったという。
なぜ、これほど日本人はロボットが好きなのか?建設会社の人たちとSPR 工法を見学しているうちにその謎は解けていった。
共同体の喜び
建設会社の作業員たちは、私たち見物客を迎えた時は緊張していた。建設会社の技師長が機械の説明をしている間も、固い空気は変わらなかった。しかし、機械が動きだすと現場の空気は一変した。
そこには社長も作業員もなく、その機械が主役となっていた。その姿は機械だったが単なる機械ではなかった。作業員たちと気持ちを合わせて働くロボットだった。
塩ビの包帯を黙々と巻き付けていくロボットを、社長も作業員たちも懸命に見つめていた。予定通りの作業が終わると、その健気さに全員から笑みがもれた。過酷な作業を行い、作業員たちを助けるロボットは、社長たち幹部の喜びでもあった。
一千年以上前の平安時代の水掛け人形が農民たちの水くみを助けるのは、皇子や工作職人たちの喜びであった。
その集団が共同体かどうかを見分けるのは簡単である。その集団が喜びを共有しているか否かである。
日本では支配者や指導者も労働する人々と共に、ロボットを喜びとして共有していた。ロボットを生んだ日本人たちは同じ共同体であった。
しかし、世界史に登場する多くの文明で、支配者たちと労働する人々は同じ共同体ではなかった。
侵略と奴隷
世界の歴史はユーラシア大陸を舞台にして展開した。その世界史を一言でいえば、暴力による侵略と被侵略の繰り返しであった。
歴史に登場したメソポタミア、エジプト、インダス、黄河、ギリシャ、ペルシャ、イスラム文明で侵略されなかった文明はなかった。
侵略した暴力は、土着の言語を圧殺し、風俗を蹂躙し、女性たちを犯し、男たちを過酷な労働へ追いやった。そして、その労働する人々を奴隷とする絶対的な社会制度を固めた。
なぜ、そこまで激しい圧政を敷いたのか。それは、いつ奴隷たちに逆襲されるか分からなかったからだ。事実、富を持ち、文化の衣をまとった支配者たちの子孫たちは肉体的に軟弱になっていった。彼らは強靭な肉体と精神力を持つ奴隷たちに反逆されていった。
支配者たちにとって、奴隷の苦しみは自分たちの安全を意味した。逆に、奴隷の喜びは支配者たちの不安の種となった。そのため、奴隷はいつまでも過酷な労働を強いられ、その労働を楽にしてやるという思考は生まれなかった。
ところが、この侵略と被侵略の繰り返しの世界史の中で、一度も侵略されず、奴隷制度が根付かなかった文明があった。
侵略されなかった文明
日本が侵略されなかった理由は簡単である。
日本はユーラシア大陸の極東に浮かぶ列島であった。ユーラシア大陸と日本列島の間には100km以上の東シナ海が横たわり、激しい潮流が流れ、大陸の暴力の侵略を防いでいた。
日本国内にも貧富の差はあり、差別はあった。しかし、日本国民全体が他民族に蹂躙され支配される奴隷の経験はなかった。
日本での過酷な労働は、同じ共同体の仲間が担っていた。仲間が過酷な労働を担っているのなら、その労働を少しでも楽にしてやろうとしたのは当然であった。過酷な労働を助ける機械の登場は、共同体みんなの喜びであった。その喜びからロボットに名前を付けて、自分たちの仲間にした。日本の漫画で登場する主役ロボットはみんな人間の味方だ。(写真―3)のアトムとガンダムである。
(写真ー3 日本のロボットは子供の味方 出典:Wikipedia)
それに対して、欧米人はロボットに根強い不信感を抱いている。
それは「人間を造りたもうたのは神であり、人間は神のまねをしてはいけない」という宗教的観点で論じられる。しかし、欧米人のロボットへの不信感は、もっとドロドロとした下部構造にある。
それは「ロボットは労働する奴隷」と考えていたからだ。
奴隷制度を持つ文明では、奴隷の反逆は何度も繰り返された。だから、奴隷のロボットもいつか反逆する、という恐怖感を心の奥底に抱えている。
欧米のロボット映画は、人間に反逆する物語が圧倒的に多い。(写真―4)のハリウッド映画「ターミネーターー」シリーズも、ロボットが人間に反逆して人間と激しい戦いを繰り広げる物語である。このようなところに欧米人の深層心理が表れている。
(写真ー4 出典:Wikipedia)
製造をリードするロボット
日本の総人口は1億2千万人をピークに減少していく。人口が減ることに恐れを感じる必要はない。
日本人には過酷な労働を引き受けてくれるロボットがいる。日本文明は侵略されたことはなく、奴隷制度も知らず、機械と限りなく良い関係を築いてきた。
20世紀、日本の人口増加は停滞していく中、日本の産業用ロボットは増加し続けた。日本の産業用ロボットは他の国の追従を許さないほど世界のトップに躍り出た。20世紀の人類の製造は日本の産業用ロボットが引率した。
その日本のロボット技術は世界中の注目の的となり、21世紀になり、各国が競って日本のロボットを導入した。著しいのは中国への導入であった。21世紀になって中国のロボットが急増している。その分、日本のロボットが減っている。現在、中国は世界の製造の拠点と言われている。しかし、その製造を支えているのが日本からのロボットの移転であった。
奴隷にならなかった日本人が、過酷な労働を助けてくれるロボットを生み、ロボットを世界の人類の仲間にしていった。
極東の島に浮かび、侵略されなかった日本の歴史は人類の宝となった。
【竹村公太郎】忠実な仲間―ロボット大好き日本人―への4件のコメント
2020年7月11日 12:31 PM
これは下水道整備で昔に使っていたヒューム管のことです。だから平成以降はその腐食を避けるために塩化ビニール管を殆ど全部の自治体で使用している為にコンクリートの頻度が軽減されているので、全体的でも各々の集積所などのマンホールとか特別な箇所にあるコンクリート部分などのメンテナンスだけだと思います。但し日本は地震大国なので地震が起きれば道路と同じく造り直す必要があるのです。また少子化問題とも合わせたロボット化による社会を目指すのならば、現在の学歴社会の弊害を見直すことが肝要です。つまりこれらの背景には国防が存在しているわけで、日本の国民国家が豊かで実りある社会を実現するべきと思うのです。それだから日本社会のデジタル化は多大に危険であるので、アナログとバランスを取るべきだと思います。
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2020年7月11日 6:03 PM
ガンダムは人間の味方ではなく戦車の様な装甲と機動力と重火器を備えた二足歩行機動兵器、ハインラインの宇宙の戦士原作通りの人間兵士の個々の戦闘力を向上させる為の生体強化スーツですよ。
それに欧米はロボットに冷淡じゃありませんよ、禁断の惑星のロビーは人間命令に忠実だしキカイダーのような良心回路を備えているし、宇宙家族ロビンソンのフライデーはDrスミスの漫才相手だしスターウォーズのC3PO,R2D2は黒澤映画隠し砦の三悪人の凸凹コンビ千秋実と藤原鎌足です。
それはさておき中国でもアメリカでもロボット兵器は人的損害なしに正面突破も隠密行動もでき前者は飛行ドローンの飽和攻撃、後者は蠅ロボットによる隠密偵察と工場据え付け生産ロボット日本スゴイは今は昔。野戦兵器開発分野では明らかに後塵を拝しているのが現状でしょう。
ムーンショット計画で遠隔操作アバターとか言ってますがオウムの様な頭に電極 チップ入れられた改造洗脳人間はロボットとはいえ身体能力が人間のままでは人間自爆爆弾か銃乱射刃物テロリスト位の働きしかできないだろう。
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2020年7月16日 3:57 AM
とても面白く拝見いたしました。
いわゆる欧米のロボット不信感というのは、すべてではないにしろある程度共有されてきたものであると言われていて、その源流は、戯曲「R.U.R.」という、時代で言うと戦前、ちょうど今から100年前の作品の影響があるようです。
この戯曲自体、第二幕まではロボット(アンドロイド)による反乱と人類抹殺なのですが、ほぼ公開されなかった第三幕では人とロボット(アンドロイド)の関係がまた別の局面になったりしますので、興味深いです。
ちなみに、R.U.R.を知ってていて、アンドロイドは人間になれるのか、という問いを少女向けアニメの数話分にぶち込んだものもあります。はぐっとプリキュア、第18話ぐらいまで。
また少し古いですが、勇者刑事ジェイデッカーなど、ロボットが人になるとはどういうこと、という素朴な問いかけ等、日本の創作物では、いろいろなところで繰り返されていて、そのすそ野の広さは、他の文明を圧倒している、かもしれませんね。
(ジェイデッカーを魂にしてロボットOSを作ったと思われる若き技術者も日本にはいるようです)
働き方と共同体については、長文で別途させて頂ければ・・・
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2020年7月16日 4:07 AM
働き方と共同体。
株主資本主義は悪であり、かつての日本型経営は家族のような、、という主張をよく聞きます。自分はイメージ先行で明日のためのビジョンだとは思えません。
会社は利益集団であり、カネ(価値)を産み出しているやつが正義です。
でも、仕事にはやり方というものがあります。
定型作業でない、まだ見えぬ答えをその場で作り続ける、少なくともサービス業は全てそうだと思いますが、そんな業態では、一人で全てを担当して頭で考えて結果を出すには限界があります。
三人よらば文殊の知恵、誰かと話し合って協力して、その時の最善を決めて実施することになります。そんな仕事に普遍的正解はありません。
でも、エンドユーザ含む納得解は、必要です。
納得解とは何か。
納得解は、どのようにして作ることができるか。
それは共通認識。そしてそれだけでなく、当事者意識の共有も前提になります。さらに、その意識を醸造させるためにも、程度により、継続的な雇用関係が必要となります。
それは、家族というイメージとは少し異なると思います。
同じビジョンや目的を共有する、合目的的な連帯感こそが、いわゆる契約社会(責任分解)な欧米企業と差別化できる、日本のかつての強みだったのではないでしょうか。
成果主義、年棒制など、個人に分解して評価管理することで、目的の共有と連帯感、つまり、チーム意識は、日本から霧散しました。プロジェクトはあってもチームはない。会社の中でも個人責任。自己責任。自己弁護の理屈ばかりに勤しみ、目的や目標、ビジョンを仲間と語り合わない。そんな仕事は楽しいでしょうか。
景気がよくなっても、働き方はどうなるか。働くことが楽しく、幸せになるのか。
カネがあっても空虚では、仕方ない、そんなことを最近考えています。
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