From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学
おっはようございまーす(^_^)/
私事で恐縮ですが、今回で本メルマガ「『新』経世済民新聞」の私の記事、たぶん100回目です! どうもありがとうございます。第一回目が、2012年11月30日付でしたので、もう足掛け6年ですね。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
昨日付の『産経新聞』(九州・山口版)のコラムに、次のような記事を書きました。
「リカちゃん人形の視線と日本文化」(2018年2月1日付)
http://www.sankei.com/region/news/180201/rgn1802010033-n1.html
リカちゃん人形は1967年生まれですので、昨年で50周年を迎えたそうです。それで、昨年3月の東京を皮切りに「誕生50周年記念リカちゃん展」が全国のいくつかの都市を巡回しています。
以前、このメルマガにも少し別の角度から書いたことがあるのですが、リカちゃん人形の目は、まっすぐ前を見つめておらず、少し左上に視線が行くように作られています。子供がリカちゃんで遊ぶときに目が合ってしまうと圧迫感を覚えるかもしれないため、それを避ける配慮だそうです。
リカちゃんの目のこの特徴は、発売以来半世紀、変わっていないとのことです。
その一方、リカちゃん人形は、そのときどきの流行を敏感に取り入れてもいます。産経のコラムにも書きましたが、例えば、現在のリカちゃんの趣味は、「SNS更新」だそうです。
設定では、リカちゃんは小学校5年生ということですので、「SNS更新」が趣味とは、昭和生まれの私からすると「ちょっとませてるなぁ」とか思ってしまうのですが、まあ今の子はそんなものなのかもしれませんね。
リカちゃん人形が半世紀にもわたってながく親しまれてきたのは、「不易流行」の理念をよく踏まえているというのが一因でしょう。「不易」、つまり「いつの時代にも変えてはならないもの」と、「流行」、つまり「そのときどきの状況に合わせて変化を重ねていくべきもの」のバランスがとてもよいのだと思います。
日本の子どもが、米国などの子どもに比べて、他者の視線に敏感で、あまりじっと見つめられると圧迫感を覚えやすいという特徴は、時代を経てもなかなか変わらない部分です。
日本の家庭や学校での子育てでは、「やさしい子」「素直な子」「人の気持ちによく気がつく子」を育てようとします。これはかなり昔から変わらない特徴だと言えます。
この子育ての特徴から、人の気持ちによく気がつく敏感な子が育ち、それが「おもてなし」「思いやり」の文化を生んでいます。また世界に誇るべき日本の治安の良さや整然とした秩序、清潔さの源でもあるでしょう。(むろん、悪い面を強調すれば、他者の顔色を窺いがちで、自己主張が苦手な日本人を生み出す要因ともいえるわけですが)。
人の気持ちや視線に敏感だという日本人のこうした特徴が変わりにくいことは、「やさしさ」という言葉の語源からもうかがえます。
「やさしい」の語源についてはいくつかの説がありますが、「現在もっとも説得的でほぼ定説化している説」は、「痩せる」という言葉と同根だという説です。
つまり、「やさしい」という言葉は、「人の見る目が気にかかって身もやせ細る思いがする」「やせるほどつらい」「身もやせるように感じる、はずかしい」というのが原義だそうです(参照、竹内誠一『日本人は「やさしい」のか──日本精神史入門』ちくま新書、1997年、76-77頁)。
面白いですね。「やさしい」ことと「人の見る目が気にかかって身もやせ細る思いだ」ということは、元来、表裏の関係にあるようです。「やさしさ」を持つこととは、同時に、他者の目を気にして、ときとして胃が痛くなるような思いもしがちだということなのでしょう。
上記の原義に今の「おもいやり」「細やかな配慮」という肯定的な意味合いが千年ほど前から徐々に付け加わってきたようですので、日本人の性格は、かなり昔からあまり変わらないんだなと思います。
他者の視線に敏感であるというのは、日本文化の根幹の一つで、そうそう変えられるものではありません。
これは、実際、子育ての習慣や言語習慣(人の呼び方や敬語表現など)に深く根差しているものであって、変えようとすれば、「文化大革命」的な日本文化の根本的かつ大規模な変革が必要となります。これは不可能でしょうし、望ましくもないでしょう。
リカちゃん人形は、日本人の子どもは他者の視線に敏感だという変化しにくい事柄に配慮しつつ、そのときどきの流行を積極的に取り入れることによって長い人気を保っています。
このリカちゃんの知恵は、日本の政治や社会、経済の「改革」を考えるうえでも大いに役立つはずです。「リカちゃんに学べ」です。
「やさしさ」に代表される日本人の心のかたちは、良くも悪くも、そう簡単に変わるものではありません。無理に変えようとすれば、どこか歪みが生じます。
例えば、日本人が最も動機づけられるのは、つまり仕事などへの「やる気」を感じるのは、今も昔も、周囲の他者の期待を受け、それに応えようとするときだと言われています。
「きみはわが社の大黒柱だ」「〇〇さんのおかげで皆、助かっているよ~」といった言葉が、日本人を一番動機づけるのです。
近年、日本人ビジネスマンの仕事への熱意の低下がときおり話題になりますが、この一因は、やみくもな「構造改革」の結果、アングロサクソン型の組織のあり方や雇用制度を取り入れようとし、結果的に、日本の会社組織が日本人のやる気をうまく引き出せなくなってしまったことにあるのではないかと思います。
(この点については、以下の拙コラムをご覧ください。「『仕合わせ』な改革を」(【国家を哲学する 施光恒の一筆両断】2017年6月1日付))
http://www.sankei.com/region/news/170601/rgn1706010026-n1.html
日本社会をよりよくするためには、何よりも、日本人や日本文化の特徴をよく知り、それを前提としたうえで、よりよき形に伸ばしていくことを目標にすべきではないでしょうか。
人々や文化の性格を根本から大変革してやるというのは、傲慢かつ不可能であり、様々な副作用を招くものだと思います。
リカちゃん人形のように、不易と流行のよきバランスを探していきたいですね。
長々と失礼しますた<(_ _)>
【施光恒】リカちゃん人形の不易と流行への4件のコメント
2018年2月2日 4:11 PM
不易流行。。。
最近の自分の愚考を4文字に切り抜いて頂いたようで感激しました。猪瀬氏・磯田氏の明治維新の本、またもうじきKindle版が出る?石平氏の本などで、連続してるもの、してないものを、少しでも知りたいと思うようになっておりました。
そんな折、先日ワークスタイル変革という、今風なテーマのワークショップに行って聞いた話があります。
「終戦後の日本の会社組織というのは、とても家族的であった。社員温泉旅行にはじまり、仲人や結婚相手の世話など、そうしたゲマインシャフト的つながりを大切にしていたのは、戦後GHQによる日本の地域社会解体の後、日本政府がなんら受け皿を用意できず、会社が各々それを負担したからである」
そういう話を聞きました。
その後、平成になり、バブル崩壊、リーマンショック等、会社はその負担をどんどん打ち捨て、そして我々は個人となり、妙にイラつき理屈ばかり振り回し、頑なな守銭奴になりがちなののかもしれません。
もしも、日本の会社組織を大陸的、Not農耕的な、合目的的な、組み換え可能なものにしたいのならば、地域社会の復興等、受け皿を別途用意する必要がありそうです。同窓会でも活用すればよいでしょうか。
もし、そうでない、日本は農耕社会の遺伝子であり、目的に合わせ仕事集団が形成されるのでなく、集団があって、構成員の連帯があり、環境の変化に即して、臨機応変に対応できる構成員を保持する、という形態にすべきなのか。
前者は専門性や合理性が重視され、
後者は柔軟性(汎用性)とコミュニケーション力が求められる。
どちらも良し悪しはあるのでしょう。
では、日本の未来はどちらである「べき」か。
世界標準に合わせろ、というのならば前者でしょう。ただ、標準に合わせるということは、独自色、売りを殺してしまうことも覚悟の上になりそうです。自分の知ってる範囲の生物学から考えれば、前者をわざわざ選ぶのはナンセンスなのでは。。
ふと最近そんなことを考えます。
いや、前者を選んでも、実は日本的に上手にカスタマイズされ洗練されるのか?
べきの選択では、WHYの再確認が大事だと最近考えております。サイエンスやテクノロジの先端自体に、人々の幸福がないとすれば、また「文化大革命」みたいに、理屈で理想を描いて、その狭い空想に現実を暴力で当てはめても、むしろ目的と逆な結果となってしまう愚を避けるのならば。
古い、人らしい暮らしを保存するのも、
進化の袋小路に嵌まらないための、
お役目かと、自分は思います。
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2018年2月2日 10:19 PM
>私の記事、たぶん100回目です! どうもありがとうございます。
施先生のこのメルマガを読み始めたのは、自身を調べてみると、2013年8月9日の「移民受け入れは人道的か?」からでした。
以後、施先生のメルマガは全巻Docuでファイリングし読み返しています。
現代の保守(思想)とは、施先生そのものです。
博多で時折行われる勉強会にも一度足を運んでみようと思っています。
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2018年2月2日 11:53 PM
日本精神史
「日本」精神史 か
「日本精神」史 か
せいしん の 欠片も持ち合わせていない
小生は
大上段に 日本 精神を 語られてしまうと
少々 ひいて しまう ので
ございます。。。
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2018年2月3日 8:51 PM
文人の堕落、士人の絶滅、武人の台頭、文人の一新、士人の誕生。
徳を重んじる気風が、日本の国家指導者層からほぼ消え、武人の躍動が難しい現在、その権勢無しで、この流れをつくることは可能なのだろうか・・・。
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