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2015年9月26日

【平松禎史】霧につつまれたハリネズミのつぶやき:第十七話

From 平松禎史(アニメーター/演出家)

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 ◯オープニング

前回は日本、日本人のアイデンティティの問題を書きました。
アイデンティティとは、辞書を引けば
「人間学心理学で,人が時や場面を越えて一個の人格として存在し,自己を自己として確信する自我の統一をもっていること。自我同一性。主体性。」
とありますが、追求すればするほどわからなくなる、かげろうのようなものですね。

今回も同様のテーマを別な観点で、原点に戻って映画をヒントに考えてみたいと思います。

第十七話「何の価値もない男の物語」

 ◯Aパート

今回はスティーブン・スピルバーグ監督が2002年に撮った『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』です。
ネタバレして価値の削がれる映画ではないですし、事実を元にした映画なのでバンバン書いていきます。

スピルバーグ監督の映画は、しばしば、監督自身の境遇を映画にあてはめて理解しようとする評論がみられます。
両親の離婚の影響で、父親不在の物語、父親を理想化した物語が多いという解釈です。
ざっくりと書けば、大人への道を示す物語、といえると思います。

たとえば『未知との遭遇』の主人公ロイは、二人の子供持つ父親ですが、彼は「子供」を卒業できていないオトナコドモとして描かれます。
いわゆるオタクです。
その彼が、現実から宇宙へ旅立っていく物語は壮大な現実逃避と解釈することが可能ですが、宇宙への旅が監督にとっての現実で、大人への旅立ちと思えます。
ロイの理解者として登場するラコーム博士(演ずるはフランソワ・トリュフォー監督)は理想的な父親像に見えます。
父親に認められ越える(博士は宇宙へ旅立つロイへ「君がうらやましい」と言う)ことで一人立ちできるという、大人への道を示しています。

父の役割は『E.T』に顕著で、愛人の元へ行ってしまった父親への愛情を埋めるのがE.Tであり、その離別よって現実を受け入れる、大人への道を示しています。

ずっと最近の『宇宙戦争』の主人公レイは『未知との遭遇』のロイとかぶります。
大人になれないダメ父がダメ父なりにがばんばってようやく息子と対等になるお話ですが、宇宙人が敵なのが大きく違っています。監督自身が大人になったってことでしょうか。
ついでに侵略者の宇宙人は地球上のウイルスにやられて自滅します。宇宙戦争でもなければ宇宙人との戦いを描いた映画でもない。
家庭のお話なのです。

舞台設定や事件のディテールは物語の口実(マクガフィン)であって、隠し味こそ本音と言えます。

ヒット作を連発していた頃の映画は、監督個人の境遇と結びつけるのが容易いのですが、社会問題を扱うようになってからは、自身の境遇を意識的に、モチーフとして昇華しようとする試みが見られるようになります。

『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』の主人公は16歳の時、両親が離婚をし、家出して生きていくために詐欺をはたらき、嘘に嘘を重ねる数年間を過ごすことになる。
まさに、ストレートに家庭の物語です。
かつて隠し味だった家族問題が事件として前面に出ていますから、この映画の隠し味・本音は別なところにあると考えられます。

人生経験が作品に及ぼす影響は多大なものがありますが、それだけで解釈できません。
映画、エンターテイメントとして成立させるには、個人の経験やものの見方が(出来る限り)普遍化される必要があります。
少なくとも、ヒットした映画、心に残る映画はそうなっているはずで、監督がキャリアを積めば積むほど映画に対する謙虚さも増していき、個人の心情発露から普遍性へと昇華させる技が積み重なっていくものです。

『激突!』『続・激突!カージャック』(続編じゃないけど)や『ジョーズ』には若々しい明快さがありました。
70年代のアメリカが恐怖していたソ連の象徴や、社会の不可解さをかなり直接的に示唆してました。

ちなみに動物パニック物のお手本にされるヒッチコックの『鳥』。
鳥が人間を襲う事件は物語の口実で、本音は「家族の再生」です。

では
『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』をどう観るか。
これはアメリカを描いた映画ではないか?と思いました。
これも作家性に拠った見方ですが、スピルバーグはユダヤ系ですから、やや離れた立場から見たアメリカととることも可能です。

そういえば『キャッチ・ミー…』と同じ頃に撮った『ターミナル』は、空港という閉鎖空間に「人種のるつぼアメリカ」を設定した非常に明快な物語でした。
主人公ビクターはコーカサス地方ロシア語圏の小国出身で、祖国が軍事クーデターで政府機能が破壊されたため宙ぶらりんになり空港から出られなくなる。
彼を信頼し助けるのは、スペイン系、インド系、アフリカ系の人々…。
ビクターや彼らは、昇進に固執し規則にガチガチな合理主義者(つまりアメリカ社会の象徴と解釈できる)空港警備局長に脅かされるのです。
ビクターがアメリカに来た目的は、あるジャズミュージシャンにサインを貰うこと。
ジャズはアフリカからアメリカにもたらされ定着した音楽です。

日本人のボクから観た『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』は、「正義のアメリカ」が抱える矛盾を抽出しているように見えるのです。
その矛盾や嘘とどう対峙すべきか、と。

前回からつながっているテーマはここです。

尚、宗教的なモチーフについては勉強不足で手に負えないので棚上げしています。
重要な気がしますがこればっかりは想像の域を出ません。

 ◯中CM

『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』のあらすじを改めてご紹介。
「Catch Me If You Can」とは直訳で「できるもんなら捕まえてみな」
日本的な言い回しなら「鬼さんこちら」だそうです。

冒頭、ちらっと書いた通り、主人公フランク・アバグネイル・ジュニアは、両親の離婚のショックで家出をしてホテルを転々とし、不渡手形をどうにかして使う工夫から、銀行システムの弱点を突く詐欺を開発します。
パイロット、医師、弁護士と、社会的地位の高い職業を次々偽り大金を稼いでいきます。
冷たかった銀行頭取やプライドの高そうな女が立派な身なりや肩書でフランクを信頼し、簡単にだまされる。
かたや、離婚後一人暮らしをする父親は、経営していた会社を差し押さえられ、どんどん落ちぶれていきます。
フランクは、彼が信じていた父、母を虜にした父の威厳を取り戻すため嘘を重ねていくのです。

フランクを執拗に追うFBI捜査官カールは、フランクに真実を問うていく。
フランクに無垢な愛情を寄せるブレンダ、その父は「君の正体は?」と問う。
「ボクは医者でも法律家でもパイロットでもない、何の価値もない男です。」
純真なブレンダ家族に押され、フランクは初めて本当のことを言います。
「違う。君は私と同じロマンチストだ。愛する女に全てをかける男なんだ。」
ブレンダの父は、フランクをすっかり信頼して気に入ってしまうのです。
フランクはブレンダの家族に理想を見出しますが、同時に、嘘で塗り固めた自分に絶えられなくなっていく。
嘘の自分が、他人にとって本当の自分になってしまったら、もう嘘をつき続けるしかない。
いつまで?・・・。

この物語は実話を元にしています。
1960年代。銀行詐欺をはたらき、おおむね映画のように職業を次々偽って当時のレートで250万ドル相当の不渡手形を26カ国で乱発した。
逮捕後は、偽造手形などの摘発に協力し、偽造防止のコンサルタント会社を設立をして社会復帰を果たしているそうです。

実在のフランクの行動はかなり複雑ですが、映画ではシンプルに整理されています。
映画では、整理の仕方、物語化に演出意図が表れます。

フランクが求めたものは何だったのか。

 ◯Bパート

この映画は、劇中に五回クリスマスを迎えます。
クリスマスと言えば、家族で楽しく過ごす日ですよね。
フランクはクリスマスの夜、カールへ電話をかけます。
カールはフランクが話し相手のいない寂しい人間なのだと見抜いてしまいます。
なぜなら、随分前に妻と離婚しクリスマスの夜に仕事をしている彼もまた独りだったからです。

そんなこんなで心の交流が…なんてのはハートフル(?)な映画ではよくある展開です。
しかし、フランクはカールの真意を最後まで測りかね、カールはフランクが司法試験をパスした「インチキ」を追求し続けます。

双方が求めるものが重ならないまま
三回目のクリスマスの夜、フランクは母の生地フランスで現地警察に逮捕されてしまいます。

 _ _ _

この映画は信頼を取り戻す映画だと思うのです。

フランクは両親の離婚で、母への信頼を失います。
母が、父の友人と「できていた」ことをフランクは察知していました。
二人のフランク(主人公はジュニア)は、母に裏切られ捨てられたのです。
加えて、フランクがすっかり覚えるほど聞いていた両親の馴れ初めが、実は誇張されていたことが示唆されます。
理想の両親は幻だった。

実在のフランクの母もそうですが、冒頭から示されている通り、母はフランス人です。

ここで突然飛躍するようですが、アメリカの歴史を思い出してください。
アメリカ独立の時フランスとの同盟を締結しています。
アメリカにとって自由の女神に象徴されるフランスはまさに女神のような国だったはずなのです。
第2次大戦でもフランス開放のためナチスドイツと戦いました。
さらに時代はおりて様相は変わります。同時多発テロの前からフランスはアメリカに協力せず、後のイラク戦争にも参加しませんでした。
ブッシュ大統領が戦争の大義として繰り返し主張していた大量破壊兵器は見つからず、そもそもないことがわかっていて戦争に踏み込んだのでは?という疑念が国内外で広がりました。

嘘を根拠に正義を振りかざしたのか!?

アメリカは、この時、国際社会の信頼を失いました。
フランクの父は、理想のアメリカなのです。

アメリカとフランスという関係で言えば
独立の拠り所、自由の国アメリカを担保していたフランスにそっぽを向かれた構図は、父が自慢していた美しい母が他の男のもとへ行ってしまった構図と重なります。
偶然にしては出来過ぎた話ですね。

堕ちた父の権威を取り戻そうとする息子フランクは、父以上に嘘を重ねてしまう。
誰もが信頼する見た目や肩書やお金を身につけようとする。
まるで病のように、とり憑かれたように。

フランスの独房からアメリカへ連れ戻されたフランクは逃亡を図ります。
たどり着いた先は母が暮らす家。
四回目のクリスマスです。
そこには新しい家族を作っている幸せそうな母がいた。
父は死に、母は別な人生を歩んでいる。

現実を直視しないといけない。
しかし、まともな大人への道を知らなかったフランクには厳しい現実です。

信頼なんて幻だったのか。

 _ _ _

五回目のクリスマス。
アメリカの刑務所に収監されたフランクに面会に来たカールは、フランクの偽造手形を見破る能力を認め、FBIに雇ってもらうよう手配します。
カールと一緒に働くことになりますが、周囲には懐疑の目、フランクは不安で仕方がない。
猜疑心に絶えられずパイロットの制服を買って再び逃亡を図ります。
映画をここまで観ていくと、フランクは本気で逃げるつもりはないと思えてきます。
空港まで来たフランクをカールが追ってきます。

「嘘の暮らしの方がラクか? 止めないよ。月曜には戻るだろう?」

カールは(自分以外)フランクを追う者はいないと告げ、去っていきます。
もし逃亡を許せばカールはクビになるでしょう。フランクもそれはわかっている。

カールとしては精一杯の、信頼表現でした。
君は何の価値もない男なんかじゃない。
それを知っているのは俺だけだ、と。

 ◯エンディング

YouTubeで音楽動画をいろいろ見ていて最初に検索したキーワードを忘れた頃、アーロン・コープランドの「市民のためのファンファーレ」が出てきました。

初めて聞く曲でしたが、初めてじゃない気がして聴いていると『プライベート・ライアン』の祈りの曲によく似てると気が付きました。特に遠くから響くトランペットが。
確認してみると、やはりよく似ています。
ジョン・ウィリアムスはコープランドの曲を意識して書いたに違いないと思いました。

「市民のためのファンファーレ」の原題は「Fanfare for the Common Man」
別な訳し方をすれば
「なんでもない人のためのファンファーレ」、作曲は1942年。
戦争中ですから依頼した指揮者グーセンスは「兵士のための」とか「荘厳な儀式のための」とか「四大自由のための」とか、とにかく立派な、威厳に満ちたタイトルを期待していたそうです。
しかし、コープランドが付けたのは「市民のためのファンファーレ」でした。

何の肩書もない、何の価値もない、そんな風に思っている全ての人々のために、というタイトルです。

『プライベート・ライアン』の原題「Saving Private Ryan」とは「兵卒ライアンの救出」という意味で、どこの誰ともわからないただの兵士を8人の精鋭が救けに行く物語です。
コープランドの「市民のためのファンファーレ」がモチーフに選ばれたとして不思議ではありません。
この映画のテーマを思うと、とても意味深く思えて、さすがだと唸ってしまいました。

《肝に銘せよ 我々の大義とモットーは
「我等の信頼は神の中に有る」ということを
勝利の歓喜の中、星条旗は翻る
自由の地 勇者の故郷の上に!》

これはアメリカ国歌「星条旗」の4番、最後の部分です。
『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』で、「信頼」が繰り返しクリスマスの日に問われたのは意図したものでしょう。
「信頼は神の中にある」、これが彼らの大義、フェアネスだとすれば、それを問い直すこと、歴史に嘘はつきものだとしても新たに着飾って隠すのではなく、事実を直視しなければならないのだ。
この映画の本音はそこにあるのだと思います。

われわれは

もし自分の国が、とるに足らないちっぽけな国だったとしても
もし自分の国が、愚かで恥ずかしい行いをしていたとしても
もし自分の国が、歴史に嘘や過ちがあったとしても

逃げることなく真実を直視し、信頼しあうことができるだろうか?

 ◯後CM

現実を見直すこと、愚かしさを認めることができなかった人々の物語。
アニメ(ーター)見本市第22話 「イブセキ ヨルニ」
原作:さかき漣「顔のない独裁者」、監督:平松禎史
http://animatorexpo.com/ibusekiyoruni/

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