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2015年8月14日

【上島嘉郎】安倍談話を超えて

From 上島嘉郎@ジャーナリスト(『正論』元編集長)

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●●自虐史観はなぜ作られたのか、、、
月刊三橋の今月号のテーマは、「大東亜戦争の研究〜教科書が教えないリアルな歴史」です。
http://youtu.be/cx6gcrylFvc

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本稿が配信される8月14日、安倍晋三総理による「戦後70年談話」が発表されます。
これまで「安倍談話に望むこと」と題し、とりとめのない話を書いてきましたが、今回は読者各位に対し、談話の内容がどうあれ、「日本国民」として認識しておくべき最低限のことを書きます。

各メディアの報道によれば、談話には「侵略」に加え「お詫び」にも言及する方向で検討がなされ、それは「お詫び」への言及を求める公明党に配慮した結果の判断であるという。

改めて思うのですが、談話を出す目的は一体何でしょうか。
先の大戦の歴史認識における戦勝国と敗戦国との相互理解を深め、「和解」を完全ならしめん、ということでしょうか。
そうであるならば、現実の国際社会に望んでも詮無いことと言わざるを得ません。

日本がかつての戦争を「侵略」と認め、それを「謝罪」する、そしてそれを繰り返すことが世界人類に何か普遍的な進歩をもたらすのか。
日本国憲法前文にある「崇高な理想と目的を達成」することになるのか。

日本国憲法それ自体が、戦後日本を独立国として起たせない拘束具であることに気づかぬ日本人は、「平和」「友好」という、言葉においては理想を謳いながら、実態においては自国を差し置いて他国の利益となり続ける戦後日本を疑うことがない。

「人類の歴史は権力の配分の変更の歴史」(入江隆則氏『敗者の戦後』)という巨視的な見方をすれば、そこには正義の戦争も不正義の戦争もない。当事国それぞれの事情があるだけで、そして敗れた側が、その事情を「不正義」とされ、「侵略」と烙印される現実があるだけです。

日本の「侵略」も「植民地支配」も、結果的に戦争(政治宣伝)に敗れたことで科された(生じた)罪であると言って公正を欠くものではない。

日本などわずかな例外を除いて、19世紀末までに地球上のほとんどすべての地域が白人列強の支配下にありました。
今日、この事実を「公式に謝罪」する旧宗主国が存在するでしょうか。
他が謝罪しないのだから、日本も謝罪する必要はない、と私は言いたいわけではありません。

歴史の流れの中での価値観の変遷を踏まえたうえで、侵略や戦争犯罪について公平に論じようとするならば、「法の不遡及の原則」を前提とするのが文明国の態度である、ということです。
先の大戦を含め、それ以前に国家による侵略が定義され、それを犯罪とみなすことが国際社会で成立していたか。

以前にも触れましたが、今日、文明国であろうとするならば、ロード・ハンキーが概略こう述べていることを妥当とすべきなのです。

〈“侵略”という概念は歴史の夜明け以来、人類がもてあました問題で、定義不可能な問題は不可能なまま放置するのが、正直な態度で、権力によって無理な解釈を押し通せば歴史によって必ず復讐される。

日本が不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)に違反して侵略戦争を行ったという非難は当たらない。不戦条約の提唱者の一人である米国務長官ケロッグ自身がこう語っている。

『自衛権は、関係国の主権のもとにある領土の防衛にとどまらず、この条約のもとにおいて、いかなる行動が自衛の範疇に入るか、いつ自衛権を発動するかは、各国が自ら決定する優先的権利をもち、ただ、その声明がその他の世界各国によって容認されない危険が残るだけである』

したがって、日本だけを侵略者だとするのは欺瞞である。〉

ケロッグの解釈を日本に当てはめれば、当時のABCD包囲網、石油の全面禁輸のような経済封鎖も「侵略戦争・戦争行為」に当たります。

日本経済、国民生活がアメリカからの石油輸入に依存していたことを考えれば、まさに日本が米英との開戦に踏み切ったのは、「自存自衛」のためと言って詭弁ではない。

日本は米英他から甚大な経済的被害を受け、日本はすでにアメリカとの戦争状態にあった。したがって、自衛のための軍事力は行使できる、ということです。

これは、「(日本が)戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障(自衛)の必要に迫られてのことだった」という戦後のマッカーサー証言と符合します。

アメリカ人による以下の弁論も記憶しておきましょう。

〈東京裁判は、日本が侵略戦争をやったことを懲罰する裁判だが、それは無意味に帰するから、やめたらよかろう。なぜならば、それを訴追する原告、アメリカが、明らかに責任があるからである。
ソ連は日ソ不可侵条約を破って参戦したが、これはスターリンだけの責任でなく、戦後に千島、樺太を譲ることを条件として、日本攻撃を依頼し、これを共同謀議したもので、これはやはり侵略者であるから、日本を侵略者呼ばわりして懲罰しても、精神的効果はない。〉
(米国陸軍法務官プライスによる1945年12月のニューヨーク・タイムズへの寄稿)

私たちはアメリカにこうも言い得ます。

軍人や軍事施設ではない一般人を標的にした東京をはじめとする日本の諸都市への無差別爆撃は何だったのか。広島、長崎への原爆投下は「残虐非道」ではなかったのか。これらの戦争犯罪はなぜ裁かれないのか。「リンドバーグの第二次大戦日記」に示されているような米軍の日本兵捕虜虐殺など具体例を持ち出せばきりがない――。

では、中国や朝鮮半島に対する日本の行為は「侵略」「加虐」ではないのか、という意見にはどう応えるか。

たしかに、明治開国以後の我が国の朝鮮半島とシナ大陸への関わりは複雑で、今日的な定義における「侵略」行為がなかったかと言えば、そうは言い切れない。一国の「自衛」が、他国にとって「侵略」となり得るのは論理的には何ら矛盾しない。
だからそこに安易に、善悪や正義・不正義を持ち込むのは、「人類がもてあました問題」で、その紛争に関わった各国がそれにこだわり続ける限り、「和解」や「示談」は不可能に近い試みとなるわけです。

日本の韓国併合とその後の統治は、帝国主義時代における日本国家の生き残りをかけた決断でした。明治政府はそれを好んだのではない、やむを得ざる政治の手段として選択した。しかも併合は大韓帝国と大日本帝国との間の条約というかたちで為されました。

「日韓併合は口惜しかった、無念だった」という韓国の人々の感情を汲むとしても、日本が韓国を、欧米列強がアジアやアフリカでやったような「植民地」にしたのでないことは、歴史の事実として譲れない。これは韓国の人々にとって承服しがたいとしても、統治の実態を見れば、植民地でなかったことは事実であって、私たちは父祖のためにも子孫のためにもそれを曖昧には出来ない。

アメリカの女性歴史家ヘレン・ミアーズ氏は『アメリカの鏡・日本(Mirror for Americans: JAPAN)』でこう書いています。

〈日本が韓国を併合したのは、新皇帝(純宗)が請願したからだった。…列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど合法的手続きを踏んでいなかった。〉

独力で生存がはかれない国について周辺国が国際的秩序の観点からその国を取り込むことは当時よくあった。これは今日の欧米の国際法学者の見解においても一般的な見方で、日韓併合条約が国際法上、不法でなかったことは明白です。

韓国がいくら不当だ、無念だと日本を非難しても、当時の国際政治の現実を否定するのは無理があり、それを日本の側からわざわざ今日的価値観をもって寄り添おうとするのは、仮にそれを良しとしても、もっと相手の性根を見てからにすべきでした。

今も国際社会で続いていることは、紛争や戦争状態の終結にともなう「和解」や「示談」の条件を少しでも自国に有利となるような情報戦、宣伝戦です。

そして、「現実に存在し得る平和」とは、各国が砲弾やミサイルをもって相手の街々を破壊したり人命を傷つけたりすることなく、情報や宣伝によって自らの制御下に置くべく「洗脳戦」を継続している状態のことです。

戦後の日本人は、“閉ざされた言語空間”の中で、この戦いに敗れ続けてきました。しかも敗れ続けているという自覚すら持たずにきたのです。

日本が現在の国際秩序を尊重する立場から「洗脳戦」を戦うとすれば、最低限以下の事実は記憶しておかねばなりません。

公明正大の名に値しない東京裁判ですが、それでもそこで科された戦時賠償と戦争犯罪に関わる問題は、サンフランシスコ平和条約で決着していること。
この条約に署名していない韓国とは昭和40年の日韓基本条約と日韓請求権並びに経済協力協定で、中国とは昭和47年の日中共同声明と53年の日中平和友好条約で、それぞれ政府間で問題に終止符を打つことで合意しているのです。

戦争犯罪についても、通常犯罪であるB、C級戦犯容疑で約一千名の日本軍人と軍属が国内外で処断され(復讐や冤罪の可能性の極めて高い事例も少なくない)、まさに日本人は命で贖ったのです。

付言すれば、日本は終戦当時の政府予算の約10倍相当の資産を中国に、4倍相当を朝鮮半島に残してきました(請求権を行使しないのですから、これは中国、韓国・北朝鮮の資産になったわけです)。

韓国にはさらに、昭和40年の協定によって5億ドルの経済協力(無償3億ドル、有償2億ドル)を実施、中国に対しても合計3兆円を超える政府開発援助(ODA)を供与し、今日の中国経済の発展に寄与しました。
(他にも、個別の平和条約に基づき、日本はビルマに2億ドル、インドネシアに2億2308万ドルの賠償を供与しています。ちなみに、インドは賠償請求権を放棄)

「日本は、先の大戦に関わる賠償、補償をしていない」などという中国や韓国の“言いがかり”に日本人は惑わされてはならない。

日本人は、こうした戦いの渦中にあることを自覚し、攻勢に転じていかねばなりません。
そのために自らの物の考え方、思想の根本を疑ってみることが必要です。
私たちが70年過ごしてきた「戦後」という時間を支配した情報、言語空間はいかなるものだったか。そこで私たちの思想は無意識、無自覚にある方向、ある価値観に規定されてきたのではないか――。

「戦後70年談話」は、日本を制御したいと考えている国々に様々都合よく使われるでしょう。
本質的に「和解」や「示談」を求める気のない相手に、日本は必死に寄り添おうとしている。この滑稽にして無駄な努力に費やすエネルギーを、日本は自らの独立性、自立性を高めることに振り向けるべきです。
すなわち、「誰に(どの国に)寄り添うべきか」という議論をやめ、「我々はいかなる存在でありたいのか」を第一に考える日本国民となることです。

談話をめぐる議論にかぶせて、中韓からは時期的にも公人の靖国参拝批判がなされるでしょう。
戦後70年の夏に、我が閣僚たちは、国会議員たちは、どのように振る舞うのか。

故江藤淳の以下の言葉をもって本連載の結びとします。

〈ソポクレース以来、自国の戦死者を、威儀を正し最高の儀礼を以て追悼することを禁じられた国民が、この地上のどこにあっただろうか。国人よ、誰に謝罪するより前にこのことを嘆け。そして、決して屈するな。〉

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●自虐史観の始まりはGHQの・・・?
●大東亜戦争という名称が消えた理由とは・・・?

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【上島嘉郎】安倍談話を超えてへの3件のコメント

  1. 神奈川県skatou より

    上島先生のお話が響く若者が増えていると自分は信じております。桜Chの討論でのご発言も、一番すっと自分に入って来ました。自分は戦後70年、今やっと、親世代と、表層でない政治と戦争を話すことができるようになりつつあると感じております。「終戦でなく敗戦である。それをよく考えてこれから生きてほしい」80歳の父親が小学生のとき、先生から教わった話だそうです。今日初めて聞きました。そして父はこうも言いました。「今の平和運動なるものが、なにか現実感のないもののようだ」と。(自分はそれを宗教だと表現して父の了解を得ましたが)「平和を希望する老人たち」にも、おのれの人生という時間的継続の中での戦争というリアリティの有無で、かなりの違和感を感じているようです。でも、それが何なのか。絶対的平和という戦後生まれらの宗教の前に黙らされた戦前、戦中派が高齢で亡くなる前に、彼らに本当の気持ちを語ってほしい、70年間続けてきた「戦争はもういやだ」という押し付けられたステレオタイプの再生でない、昔の本当の気持ち、それを聞かないことには、敗戦の反省も歴史の継続も保守もないのでは(西部先生の理屈は難しくて分からん)、そのような思いを新たにした敗戦記念日でした。

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  2. たかゆき より

    連載ありがとうございました。貴重なご意見とても勉強になりました。日本が行ってきた「謝罪」とはどのような性質のものなのか戦勝国や近隣諸国がどのような存在であり続けようとしているのかそして彼等の思惑通りに操られているこの国の者たちとはいかなる存在であるのかよく理解できました。以上のことをいつまでも心に留めておくとともに子孫にも語り継いでいこうと思っております。最後になりましたが上島嘉朗さまの増々のご活躍を祈念いたしております。

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  3. 言起 より

    2月13日のその1話からずっと読み続けています。今回はまさにその総括と感じます。読んでいて感慨深いものがありました。読み進めて行くなかで、私の中に新たな発見や気付きなどがたくさん浮かび、大変有意義でした。いくつか列挙させてください。1.「謝罪」「お詫び」など、我々現代の日本人が口にする事は、当時を生きてきた方々に対して失礼だということ2.この戦争を機に、日本国そして日本人は、島国から世界史の中に引きずり出され、もういやでもその中で生き残っていくしかなくなったこと3.そのためには日本国として「ブレない軸」が必要であることブレない軸=国のありよう=国体・・・さて、明日は8月15日。すべての英霊の皆様へ静かに両手を合わせたいと思います。

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