From 佐藤健志
復興大臣を務めていた今村雅弘衆議院議員が、相次ぐ失言によって大臣辞任に追い込まれました。
なんというか、しょうもない話としか評しえません。
まず今村大臣、4月4日の記者会見で「自主避難者は自己責任である」旨を口走ってしまった。
おまけに J-CASTニュースが4月5日に配信した記事によると、問題のやりとりはこうなっているのです。
記者「帰れない人はどうするんでしょうか」
復興相「どうするって、それはもう本人の責任でしょう。本人の判断でしょう」
記者「自己責任ですか。(今村復興相、再び「え?」と聞き返す)自己責任だとお考えですか」
復興相「自分はそうだと思いますよ」
https://www.j-cast.com/2017/04/05294903.html?p=all
記者は「(被災地に)帰らない人はどうするのか」と聞いたのではありません。
「帰れない人」と言っています。
帰ろうと思えば帰れるのに、帰ろうとしない人は自己責任だと言うのならまだしも、
帰りたくても帰れない人まで自己責任なんですかね?!
ヾ(℃゜)々\(◎o◎)/それはただの切り捨てだろう\(◎o◎)/(゜;)エエッ
『右の売国、左の亡国』の「政治経済用語辞典」では
・自己責任
・自助努力
・自立をうながす
・創造的復興
といった言葉について、本当の意味を暴露・・・
もとへ定義しましたが、
今村大臣、これらの定義が的確であったことをみごとに証明してくれました。
https://www.amazon.co.jp/dp/475722463X(紙版)
https://www.amazon.co.jp/dp/B06WLQ9JPX(電子版)
「挑発した記者が悪い」という擁護論もあるようですが、いやしくも政治家、とくに大臣たるもの、
ジャーナリストのツッコミにたいし、余裕を持って受け答えできないようでは話にならない。
アーネスト・ヘミングウェイの名言にならえば
「腹が据わっているとは、圧力のもとでも優雅さを失わないことだ」
(BY GUTS I MEAN GRACE UNDER PRESSURE)
であります。
そして今村大臣、その三週間後、4月25日にこう言ってしまった。
「これ(=東日本大震災)はまだ東北でですね、あっちの方だったから良かった。
これがもっと首都圏に近かったりすると、莫大なですね、甚大な被害があったというふうに思っております」
http://www.news24.jp/articles/2017/04/26/04359900.html
そりゃあ、首も飛びますわな。
例によって、「失言でいちいち辞任に追い込みたがるマスコミが悪い」という擁護論もあるようですが、
大臣を辞任に追い込んだのはマスコミではありません。
安倍総理です。
問題の失言に関する情報は、官邸にいた総理と菅官房長官にもすぐ入りました。
対応を協議した際、総理は迷わず「更迭だな」とバッサリ。
かばいきれないと考えていた官房長官も賛成します。
今村大臣のいる自民党二階派のパーティ会場に向かった総理は、「東北で良かった」失言について謝罪する形で、更迭の意思を表しました。
失言が飛び出してから経過した時間は、なんと、たった70分!
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170427-00000011-asahi-pol
というわけで、失言で辞任に追いやるのは間違っているとお考えの方は、マスコミではなく総理を批判しなければなりません。
現にパーティ主催者だった二階幹事長はそうしています。
http://www.asahi.com/articles/ASK4X4TKQK4XUTFK012.html
けれども今村さん、なんでこんなことを言ってしまったのか?
最も簡単な説明は「本人の不見識のせい」でしょうが、じつはもっと根深いものがあります。
これについては、産経デジタル「iRONNA」に
「『東北でよかった』失言を誘引した安倍政権の逆ギレ論法」
と題して寄稿しましたので、ぜひご覧下さい。
http://ironna.jp/article/6424
し・か・し。
辞任にいたる経緯が、「壮大な勘違い」としか形容しえないものだったとしても、勘違いは今村さんの専売特許ではありません。
以下の記事をどうぞ。
「復興相辞任『東北で良かった』…東京の皆さんの本音ではありませんか?」
(産経新聞「イザ!」、4月26日配信)
記者は同紙の東北特派員・伊藤寿行さん。
書き出しはこうです。
米国のジャーナリスト、マイケル・キンズリーは「失言とは政治家が本音を話すこと」と語っている。
今村雅弘前復興相の「(東日本大震災は)東北で良かった」は本音が出た。
「中央は東北をさげすんでいる」と改めて思い知る。
http://www.iza.ne.jp/kiji/events/news/170426/evt17042623190031-n1.html
マイケル・キンズリーによる「失言」の定義は
例によって例のごとく、「政治経済用語辞典」の定義とほとんど同じ。
わが辞典の正しさを、あらためて裏付けるものと言えるでしょう。
けれども気になるのが、その後に出てくる「中央は東北をさげすんでいる」というフレーズ。
伊藤記者にとって今村失言は、東京の人間の東北蔑視を表したもののようなのです。
現に記事はこう続く。
日本人は危機に直面すると、国の形を大胆に変えて乗り切ってきた。
震災ではどうか。東京は相変わらず埋め立て開発に突き進んでいるし、下町の防火対策も進んでいない。
お上の防災対策は不十分で、国民の危機意識も高まらない。
それは震災があっても、中央が国の危機と受け止めていないからだ。
(中略)
中央にとって結局「人ごと」で、復興相の言う通り「あっちの方」の出来事でしかない。
この国は東京が痛い目に遭わないと目を覚まさない。
東京の人に聞きたい。
あなたも「東北で良かった」と思っていませんか。
震災対策に関し、政府や国民の意識がまるで不足しており、国土強靱化が進んでいないというのは、まったくその通りだと思います。
ただし、そういう中央(=東京)の風潮が今村失言を生んだという記事の論旨には、いささかヤバい点がある。
今村雅弘さん、国政にこそ関わっていますが、東京の人ではないのです!!
九州は佐賀県鹿島市の出身。
東大法学部を経て、1970年、国鉄(現JR)に入りました。
政治家になる前の最後のポストは、九州旅客鉄道(JR九州)の関連事業本部企画部長ですから、九州勤務が長かった可能性が高い。
http://www.imamura-masahiro.com/index.html
ウィキペディアによれば、選挙区も最初は佐賀2区。
現在は比例九州ブロックです。
上記のホームページには、「ふるさと再生一直線!」「国を支えるふる里の足腰を強く(する)」と謳われていました。
九州の人が「東北でよかった」と言ったら、東京が東北を蔑んでいることになるんですかね?!
W(^_^)W\(^O^)/ああ勘違い\(^O^)/W(^_^)W
さらに伊藤記者、こうも書いている。
復興庁ができて5年。この間に大臣が6人代わった。全員が初入閣。
「入閣適齢期」を過ぎた議員の「滞貨一掃」で用意された椅子にしか見えない。
どの党が政権を担っているかに関係なく
(復興庁ができたのは民主党政権時代です)
政府は復興大臣のポストを軽く見ており、つまり復興をちゃんと推進する気がないというのも、遺憾ながらその通りかも知れません。
しかし歴代復興大臣の顔ぶれを見ていると、面白いことが分かります。
実質的な初代大臣の松本龍さんは福岡出身。
正式な初代大臣の平野達男さんは岩手出身。
2代目の根本匠さんは福島出身。
3代目・4代目の竹下亘さんは島根出身。
5代目の高木毅さんは福井出身。
で、6代目の今村雅弘さんが佐賀出身。
現在の吉野正芳さんは福島出身。
・・・そうです。
いまだかつて、東京出身者が復興大臣になったことはないのです!!!
で、東京の人に何を聞きたいわけ?
それとも伊藤記者、
〈国政に関わる者はみんな東京人に決まっている〉
とでも思っていたのでしょうか。
中央が地方を蔑視しているのではなく、地方が地方を蔑視しているのではないかという
これまた、しょうもない話でありました。
ちなみに岩手県の達増拓也知事は5月1日、吉野新復興大臣が県庁を訪問したのを受けて
(要するにお詫び行脚しているのです)
以下のようにツイート。
内閣として、被災地に一層寄り添うように、復興推進の仕切り直しを期待したいと思います。
吉野正芳復興大臣が岩手県庁を訪問。おわびと決意の言葉を頂きました。この後、岩手県内の被災と復興の現場を視察。内閣として、被災地に一層寄り添うように、復興推進の仕切り直しを期待したいと思います。 pic.twitter.com/OsU5By3WDn
— 達増拓也 TASSO 希望郷いわて (@tassotakuya) May 1, 2017
復興推進のみならず、日本には随所で仕切り直しが必要なのでしょう。
ではでは♬(^_^)♬
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