From 柴山桂太@京都大学准教授
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●●三橋貴明が実践する経済ニュースを読む技術とは?
http://keieikagakupub.com/lp/mitsuhashi/38NEWS_CN_mag_3m.php?ts=hp
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大阪市の住民投票が近づいてきました。すでに多くの論者が指摘しているように、今回の住民投票はあくまでも「特別区設置協定書」の是非を問うものであり、賛成多数となったからといっていきなり「大阪都」になるわけではありません。
今回決まるのは、これまで大阪市に認められてきた税限と財源の仕組みが、まったく新しい制度のもとに作りなおされる、ということだけです。大阪市は政令指定都市でなくなり、五つの特別区に分割再編されます。このことの是非についてはいろいろな論評がありますが、市が特別区に「格下げ」されるのは間違いないところです。政令指定都市ではなくなるわけですから、これは当たり前のことと言えます。
他にも、特別区の設置に初期費用(六〇〇億円以上)がかかるのも確かです。また、特別区になれば大阪府および区間の「財政調整」が必要になりますが、具体的にどのようなルールに基づいてそれが行われるのかは、協定書を読むかぎりはまだ決まっていないようです。新制度の移行に伴う未知の部分は他にもありますが、政令指定都市を解体した前例がない以上、これは避けられないことでしょう。問題は、この「社会実験」のコストを上回るだけのメリットなり利益が、本当にあるのかどうかということです。
大阪府の権限を強めることのメリットは、橋下市長がテレビCMなどで盛んに宣伝してきました。逆に今回の構想の危険性についても、多数の指摘が行われています。
http://satoshi-fujii.com/scholarviews/
最終的には住民の判断ですので、あとは有権者が判断すればよいことですが、気になる点を二つほど。
まず、反対派は「対案を出せ」という推進派の物言いです。今回の住民投票は、行政が提案した改革案を受け入れるか、拒否するかを問うものであって、対案や代替案を検討するものではありません。住民投票とはそのようなものでしょう。ここで参考になるのは、政治哲学者のマイケル・オークショットの次の言葉です(『政治における合理主義』)。
「改革による利益と損失は、後者が確実に生ずるものであるのに対し、前者はその可能性があるに過ぎない。したがって、提案されている変化が全体として有益なものと期待して良い、ということを示す挙証責任は、変革を唱えようとする側にある。」
変革が有益だということを示す「挙証責任」は推進派が負うべきである。これはどんな改革についても言えることで、今回も例外ではありません。
また、推進論の中には「(やってダメなら)法律を作って元に戻せばいい」というものがありますが、これは無理筋の議論です。元に戻すということは、特別区を政令市にふたたび「格上げ」するということですが、今のところそういう法律はありません。例えば以下の記事。
http://www.sankei.com/west/news/150512/wst1505120025-n1.html
「現行法令上、政令市になるには「市」であることが前提で、「特別区が市に戻るための規定はない」(総務省担当者)という。政令市になるには「人口100万人以上」「既存の政令市と同程度の行政能力を持つ」などの条件を満たす必要があり、現実的にその“権利”を手にすることができるのは中核市だ。」
それに、大阪市が解体されるということは、大阪市の復活を決める「主体」がなくなってしまうことです。仮に復活を決める投票が法律上可能だったとしても、もうその時には、「大阪市民」は権利上、存在していません。
従って今回の投票は、「ダメでも元に戻せる」という可能性が排除された選択肢を、住民に突きつけるものです。その事実を十二分に踏まえた上で、投票に望まれるべきでしょう。
PS
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【柴山桂太】「大阪市民」の権利とは?:失ったものは戻らないへの1件のコメント
2015年5月16日 3:04 AM
柴山先生の仰る通りだと思います。 学者さんの名簿に柴山先生のお名前がありましたね。
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