From 小浜逸郎@評論家(国士舘大学客員教授)
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今回から「新経世済民新聞」に書かせていただくことになりました、評論家の小浜逸郎です。よろしくお願いいたします。
さる1月27日、トランプ米大統領が移民・難民の入国制限を謳った大統領令に署名したことで、全米が、いや世界中が大騒ぎとなりました。
2月3日、シアトル連邦地裁が大統領令を差し止める仮処分決定を下し、サンフランシスコ高裁は6日、仮処分決定の効力即時停止を請求した米司法省の訴えを棄却しました。
もし事案が最高裁にまで持ち込まれると話が厄介です。たまたま最高裁判事に一人欠員がいて、リベラル派4人、保守派4人で拮抗しています。トランプ大統領はすでにゴーサッチ氏を新判事に指名しましたが、彼が職務に就くのは2か月後だそうです。
下馬評的に言えば、ゴーサッチ氏が命令の合憲性を決めるカギを握っていることになります。でも連邦最高裁は一般に法律や命令の合憲性にかかわる訴訟を取り上げたがらないそうです。すると、ここにも、長きにわたる選挙戦の再来のような事態が出現します。
いずれにしても、米国内では、これからも行政府と司法の権力分立そのものが、深刻な分裂を引き起こしかねないわけです、巷の国論分裂だけでなく、権力の中枢部もその可能性があるということは、米国の民主主義体制が根本的に先行き不透明な運命を抱え込んでしまったことを意味するでしょう。
ところでこのたびの移民・難民にかかわる大統領令ですが、リベラル派が騒ぐように、本当にムスリムに対する「人種差別」「宗教差別」的なものなのでしょうか。トランプ氏は、本当にアメリカの国是であり最高の価値である「自由」に対する裏切りを行ったのでしょうか。
まずはこの大統領令の中身をきちんと調べてみましょう。これは大きく言って次の四つです。
?シリア難民受け入れの無期限禁止
?その他の難民受け入れの120日間凍結と年間5万人の上限設定
?シリア、イラク、イラン、リビア、ソマリア、スーダン、イエメン七か国の一般市民に対するビザの発給の90日間凍結
?難民入管審査が再開した際には、難民発生国において宗教的迫害を受けている少数派宗教のメンバーが最優先される
?ですが、これには「シリア難民の入国が国益に沿うとUSRAP(合衆国難民入管プログラム)が保証するのを確信するまでは」という条件がついています。オバマ政権が2016年よりも前にやっていたことに戻っただけのことです。
オバマ政権は、シリア内戦が激しさを増しISが急速に台頭してきたころ、シリア難民の入国をほとんど拒絶していたのに、政権末期の16年になって突然13000人以上のシリア難民を受け入れました。明らかに民主党政権を存続させるための人気取りでしょう。
シリアは現在も全国土が戦闘地域といっても過言ではありません。またISの「ジハーディスト」がいくらでもいます。「難民」に紛れ込んだテロリストを平和な市民の中に招き寄せることが国益に叶うと考える国家のリーダーがいるでしょうか。もっともメルケル氏のような超理想主義者なら別ですが(彼女は見事に失敗しましたね)。
?ですが、120日間の凍結というのは、2016年にオバマ氏が劇的に受け入れ数を増やして入国管理をずさんなものにしてしまった状態を、もう一度正常に戻すための見直し期間という意味があります。
5万人という数ですが、これもブッシュ政権の時より多く、オバマ政権の安定期よりやや少ないといった程度です。トランプ氏がごくバランスある政策を取っていることがわかります。
?が一番問題になりましたね。七か国の一般市民のビザ発給を凍結するとなると、それはやり過ぎなんじゃないの、と民主国家の住人ならだれでも言いたくなるでしょう。私もメディアから流れるニュースを聞いたときにはそう思いました。
ところが、これにも例外条件がちゃんと付いています。
「国務長官と国土安全保障省は時と場合によって、また国家の利益に沿うものであれば、ビザ(中略)を禁止された国からの国民に対してもビザの発給を行うことができる」
しかも例の七か国は、ジハーディストのテロに深刻に悩まされているか、または政府そのものが彼らの影響下にあるかどちらかに属する国ばかりです。
マスメディアでは、グリーンカードの持ち主までが対象にされたと大騒ぎしていましたが、それは入国管理の現場における、命令周知の不徹底が招いた事態でしょう。そういうところばかりことさら取り上げて印象操作をはかる反権力メディア、リベラルメディアの常套手段です。
?が非難の対象になっているのはまったく解せません。
連邦難民保護法によれば、「難民」の定義は、「宗教もしくは別の理由によって迫害される、またはされる恐れがあるために自国に戻れない人物」ということになっています。トランプ氏の大統領令は、この法律に完全に則ったものです。しかもオバマ氏が16年にシリア難民受け入れを劇的に増やした時には、少数派のクリスチャンは後回しにされ、13210人のうちたったの77人だったそうです(シリア人口の約1割はクリスチャン)。
要するに、今回の大統領令には「ムスリムの入国を禁止する」などとは一行も書いてないのですね。その証拠に世界にはインドネシア、サウジアラビア、トルコ、エジプト、アラブ首長国連邦、クウエートなどムスリムが主流である国はいくらもあり、そこからの入国は制限されていません。
もともとアメリカは、星条旗に忠誠を誓い英語を話すという条件を満たせば、移民の「自由」が寛容に認められてきた「移民国家」です。「なのになぜ制限するのか」ではなく、逆にそうだからこそ、入国管理がいったんルーズになってしまうと「不法」入国者が後を絶たない状態が日常化します(現にしています)。テロに対する厳重な対策がなされなくてはならない切迫した状況を考えれば、今回のトランプ氏の措置は、ごく妥当なものだと言えるでしょう。
こうした現実をよくふまえずに、トランプ氏に「差別主義者」「自由の裏切り者」といったレッテルを貼るのは、感情的な反トランプ・キャンペーン以外の何ものでもありません。極端なPC(ポリティカル・コレクトネス)を傘に着たこの種のマス・ヒステリア現象に私たちはけっして巻き込まれてはならないのです。
ちなみに私は格別トランプ氏を擁護しようと思っているわけではありません。まず冷静に事態を認識してから、起きていることの意味を判断しようと呼びかけているだけです。
ここで、旗を掲げる者の都合でいかようにも使える「自由」という言葉のあいまいさ、両義性について考えてみましょう。
「仕事が終わったら自由に外出していいよ」――これが普通の使い方ですね。個人の意志が自分以外には束縛されない状態を指しています。でも時間帯や行ける場所は限られていますね。いつまでもどこまでもというわけにはいかず、生活の規範に従わなければやがては身を滅ぼすことになるでしょう。
「あそこは、意見が違う者どうしが自由な雰囲気で討論できる」――とてもいいことですね。しかし討論にはおのずからルールというものがあります。みんながてんでに言いたいことをしゃべって相手の言うことを聞かなければ、討論は成り立ちません。しかもある意見の持ち主自身がほとんどの場合、自分では気づかずに誤った認識や偏った感情や誰かから刷り込まれた考えに拘束されていますから、そこから「自由」になるのは至難の業です。
「中国は独裁国家だから、自由に思想を表現できない」――これは困ったことです。こういうところから「自由」の大切さが叫ばれる必然性が育っていくわけですね。それはとても大切なことです。しかし、だからといって、どんな表現でも許されるわけではありません。社会的な自由は他者に相渉る行為の形を取ります。そこで、よく言われるように、自由の行使には必ず責任が伴います。誰が、誰に対して、どんな環境の下で、どういう形で「自由」を行使したのかが絶えず問われなくてはなりません。
「国家からの個人の自由(人権)は最大限保障されなくてはならない」――これが近代国家の法的な建前です。近代化された日本もこれを法で謳っています。しかしさあ、どうでしょうか。この原則は無条件に正しいでしょうか。
日本国憲法でも「公共の福祉に反しない限り」という但し書きがついていますね。公共の福祉とは、メンバー全員の自由がなるべく守られるために必要な概念装置です。国家は個人の自由を制限しますが、同時にそれを守ってもいるのです。
このことは国家の保護を失って裸の大地に放り出された個人が、いかに苛酷な侵害に曝されるかを経験してみれば、すぐにわかるでしょう。
「TPPなど、貿易の自由の拡大はよいことだ」――本当でしょうか。すでに終わったのに、いまだにどこかの国の首相は(政府もマスコミも)このグローバリズムの典型を信じているフシがあります。
経済協定とはそもそも衝突する利害の調整にすぎません。ですから経済的国境を低くすることは、現実には強国の言い分を弱小国が呑まされることになります。そういう政治的背景抜きに「経済協定の自由」など成り立たないのです。歴史を見てもウィンウィンになることはめったにありませんでした。強国の自由はすなわち弱小国の不自由です。
ですから、それぞれの国情に合った適度な通商関係がよいので、保護貿易は悪、自由貿易は善などという単純図式が成り立つはずがありません。
「自由は人間の普遍的な価値だ」――これが欧米的な理念ですね。でも。ここまでくると、ちょっと待てよと言いたくなります。トランプ氏は大統領という権威と権力によって、アメリカ国民の生命と財産の「自由」を守るために、「普遍的な価値」としての「自由」に一時的な制限を加えました。
何が話を混乱させているのでしょう。
いま述べてきたことをまとめてみます。「自由」について議論するときには、最低限次のことを踏まえておかなくてはなりません。
?無限定の自由というものはあり得ず、人は必ず制約の中で、制約を通して自由を実現する。
?自由の行使とは、人から人へ相渉る関係行為なので、相手の自由を奪うことになりうる。
?「自由」が主張されるときにその背景や文脈を見ずに、ただ抽象的にそれを善とすることはできない。
ちょっと迂遠なことを言います。これらをきちんと踏まえるためには、言葉の使われ方を注視することが大切です。上に挙げたいくつかの例を順にたどっていただくとわかりますが、下に行くほど、「自由」という言葉を取り巻く具体的な文脈が脱落して、その抽象度が高まっています。
この抽象度の高まりは、「自由に」とか「自由な」といったように、副詞や形容詞としてこの言葉を使っている間は、さほど発生しません。名詞として固定化するやいなや、一気に抽象的になります。
副詞や形容詞だと必ず前後に別の言葉が張り付いていて、全体で具体的な状況を説明するように使われます。ところが名詞として自立させると、そこに何か「自由」というモノ(実体)が存在するかのような錯覚に導かれるのです。
個人の自由、貿易の自由、普遍的な価値としての自由――そんな「モノ」があるわけではありません。でもあると思ってしまうと、それをいつの間にか神かイデーのように崇めてしまう心理にかられるのですね。みんながそれに勝手なイメージを描きます。バベルの塔の混乱はここから始まります。
こういう心理からなるべく「自由に」なって、現実の状況に即して具体的に物事を語ることが、混乱を避ける第一歩だと思います。
トランプ氏は「普遍的価値としての自由」に一時的な制限を加えました。しかし見方を変えれば、これは、アメリカという国家が国際社会の中で持つ「主権の自由」を行使したとも言えるわけです。
一方から見れば自由の侵害である行為が、他方の立場からは自由の行使でありうる。こうした複眼的な見方を常にキープすべきでしょう。そうすれば、デモ隊のプラカードみたいに「自由を返せ! 自由を奪うな!」などと単純なスローガンをいくら投げつけても問題は解決しないということがわかるはずです。
*参考資料
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-02-05/OKX8HA6TTDSF01
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/02/post-6908.php
https://www.facebook.com/michio.ezaki/posts/1268894393227055?pnref=story
(小浜逸郎からのお知らせ)
●小浜逸郎ブログ「ことばの闘い」
http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo
●最近著
『13人の誤解された思想家』(PHP研究所)
『デタラメが世界動かしている』(PHP研究所)
●雑誌掲載原稿
「老人運転は危険か」(『Voice』2017年1月号)
「単なる報復ではない極刑の理論」(『正論』2017年1月号)
「私の初夢!? プーチン、トランプ、習近平の三巨頭会談」(『正論』2017年2月号)
「誤解された思想家たち(23) 鈴木正三」(『表現者』70号)
「誤解された思想家たち(24) 伊藤仁斎」(『表現者』71号)
●ネットテレビChannel Ajer出演
http://ajer.jp/video/search?k=%E5%B0%8F%E6%B5%9C%E9%80%B8%E9%83%8E&x=12&y=12&c=1&t=all
「日本の民主主義が正しく機能していない」
「公共投資を増やさなければ日本は亡びる」
—発行者より—
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中国の人民元安に歯止めがかからない。
外貨準備取り崩しによって、
かろうじて暴落を防いでいる状態だ。
だが、その外貨準備が尽きたとき、
人民元暴落による通貨危機の可能性もある。
これから中国がどうなるのか、
注意深く観察する必要があるだろう。
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