コラム

2019年12月14日

【竹村公太郎】治水の原則 ー1cmでも10cmでも低くー

From 竹村公太郎@元国土交通省/日本水フォーラム事務局長

2019年10月12日、巨大台風19号が関東から東北南部を襲った。50河川以上で70カ所以上が決壊し、首都圏、東北では未曽有の災害となった。テレビ、ラジオそしてインターネットで多くの意見が飛び交い、この災害を理解しようと様々な意見が交わされた。
治水とは何か?治水の核心はどこにあるのか?
この時期、これを整理しておく必要がある。

治水の原則
洪水は自然現象である。自然現象は整然としていない。大きく人間の予測を超えて暴れまくる。その自然に対峙するとき、人間はその自然の気ままさに振り回されてしまう。振り回されているうちに、自分たちの依るべき根拠、原則を見失ってしまう。
この気ままで狂暴な洪水に対峙する際、不動の原則を持つことが重要である。そして、その原則は簡潔で、明瞭でなければならない。
「治水の原則」は堤防に負荷をかけない。つまり、治水の原則は「洪水の水位を下げる」この1点となる。
洪水の水位を10cm、いや2cmでも1cmでも下げる。それが治水の原則である。
この治水の原則は、簡単で、ぶれがない。簡単でぶれないからこそ、この原則から多様な治水の手法が生まれていく。
ただし、多様な治水の手法には厄介な問題が内在している。
全ての治水の手法は、長所と短所を持っている。絶対的に正しい治水の手法などない。
それぞれの河川で、それぞれの時代で、治水の原則に立ち、より良い治水の法を選ぶしかない。

洪水をある場所で溢れさせ、川の水位を下げる
最も原始的な手法は、ある場所で溢れさせることである。ある場所で洪水が溢れれば、そこから下流の洪水位は下がる。
この治水効果は絶大である。古い時代から、世界中で用いられていた。日本でもこの手法は多用された。
江戸時代、御三家の尾張徳川家は尾張地方を洪水から守るため、木曽川の左岸に大きな「お囲堤」を築造した。その結果、尾張地方は見事に守られた。ところが、対岸の低い左岸堤防の濃尾地方は、400年間、洪水で塗炭の苦しみを受け続けた。そのため村を守るため、輪中で村を囲み自ら守った。(図―1)は江戸時代の濃尾地方の輪中を示す。

図―1 木曽三川下流域の江戸時代の輪中分布図
出典:木曽川下流河川事務所

21世紀の今でも、中国の推河(ワイガ)ではこの手法を使っている。2003年の洪水時、堤防を爆薬で爆破した。土地利用の低い地域を洪水で溢れさせ、土地利用の高い下流地域を守った。
この手法は簡単で、効果は絶大である。しかし、決定的な欠点を持っている。
社会的強者のために社会的弱者が犠牲になる点である。現代の日本社会で、この手法は合意を得られない。

洪水を他へ誘導して、水位を下げる
河川の切り替えと呼ばれたり、放水路と呼ばれたりする手法である。
河川を切り替えて、洪水を他へ誘導してしまう。そして、川の水位を下げて沿川の土地を守る。大都市の東京や大阪も川を切り替えて守られている。
400年前、江戸に幕府が開府された。そのとき、利根川は江戸湾に流れ込んでいた。家康は栗橋と関宿の台地を開削し、利根川を銚子へ誘導する計画を立てた。その工事は3代将軍家光までかかり、その後も延々と利根川の拡幅と築堤が続けられた。
その結果、利根川の洪水の3分の2が銚子へ導かれ、東京湾へ流れる江戸川の洪水の水位は低下し、首都圏が守られている。(図―2)の利根川の銚子へのバイバスで南関東が守られている。


図―2 東京を守る利根川の銚子へのバイパス

この手法の効果も絶大で、河川の水位は低くなり、安全性は一気に高まる。しかし、これも重大な欠点を持っている。
河川の流れを向けられた地域は、洪水の脅威に曝されてしまう。
利根川の切り替えで首都圏域は守られたが、利根川下流の茨城、千葉は何度も繰り返し洪水被害を受けることとなった。
そのため400年経った21世紀の今も、利根川下流地域を守るため3カ所の国直轄の河川事務所が治水事業を営々と継続している。

川幅を広げて、水位を下げる
川幅を広げれば、洪水の水位は下がる。
川幅の拡幅は、地先の水位を下げるだけではない。上流一帯の水はけを良くする効果がある。
平成16年、福井市内を流れる足羽川が氾濫した。しかし、この洪水被害を最小限にした治水事業があった。足羽川の下流の日野川の大規模な川幅拡張であった。
この日野川の拡幅は、日野川に合流する足羽川の水はけを良くした。それによって福井市内の氾濫水を速やかに排水した。
もし、この日野川の川幅拡幅の工事がなかったら、日野川の水位は更に高くなっていた。日野川の水位が高ければ、合流する足羽川の水位も高いままで、福井市内は長時間にわたって浸水で苦しむこととなった。(図―3)が、日野川の整備前と整備後の写真である。


図―3 日野川 昭和41年拡幅前と平成14年拡幅後
提供:国土交通省

しかし、この治水手法にも難題がある。河川拡幅には、川沿いの土地を必要とする。日本各地のどの川沿いの土地も、何百年もかけて血と汗で開発してきた貴重な土地である。
河川拡幅ではその貴重な土地を潰さざるを得ない。潰される土地の所有者の合意を得ることは至難の業となる。
この手法は、貴重な土地を守るために、その貴重な土地自身を潰すという自家撞着に陥ってしまう。

川を直線化にして、水位を下げる
川が蛇行していると洪水は滞り、水位は高くなる。その蛇行部分を直線化すれば、洪水の流れは速くなり水位は下がる。
この手法は用地的な問題が少ない。直線化したことで、蛇行部の土地利用は高度化する。そのため、全国の河川において蛇行部を直線化し、洪水の水位を下げ、安全性を増していった。全国各地でこの事例がある。川を直線にしてコンクリートで固めたのである。(図-4)がコンクリートで固め、流速を早くした河川である。


図―4 コンクリート直線で流速を早め水位を下げる

この手法も欠点を持っている。水辺環境と風景という財産を消失させてしまうことだ。
蛇行する川は場所により水深と流速が異なり、多様な環境が形成されている。蛇行する川の周辺には森があり、林があり、草むらがあり、地域の原風景を形成していた。
明治の近代化以降、河川行政は限られた予算と急成長する社会に追われ、効率性を強く要求された。その結果が、川の直線化であった。
この河川の直線化は、日本各地の豊かな生態系と原風景を、人々の目前から消してしまった。

川底を掘って、水位を下げる
この手法は説明する必要がないほど簡単だ。川底を掘れば水位は下がる。当たり前だ。
この川底を掘る工事は、川の中で行われる。放水路や川幅拡幅のように新たな用地を必要としない。近代の日本社会で、用地の心配がない公共事業はこの浚渫ぐらいだ。
浚渫は洪水の水位を確実に下げ、かつ、用地の心配はない。これは美味しい話だ。
しかし、美味しい話ほど、危ない落とし穴が待ち構えている。治水事業でも同じだ。
日本の河川行政は、この浚渫で重大な失敗を犯した。
昭和22年、キャサリン台風が関東を襲い、利根川が栗橋で決壊した。濁流は東京まで襲い、未曾有の大災害となった。国は利根川全域で大規模な治水事業を展開することとなった。
利根川の上流域で藤原ダム、相俣ダム、園原ダムの治水ダムを建設した。中流域で渡良瀬遊水地を築造した。そして、下流域で大規模な川底の浚渫を行った。
治水事業の全ての手法が、この利根川で勢ぞろいした。ところが、これら治水の手法の中で、川底を掘る浚渫という一番単純な手法に、大きな落とし穴が持っていた。
利根川下流部の大浚渫が完了した直後の昭和33年、利根川の上流奥深い50kmまで海の塩水が逆流した。利根川沿いの千葉、茨城一帯の農作物は壊滅的被害を受け、飲料水も使用不可能となった。流域の人々は「潮止め堰を造れ」と叫んだ。(図―5)は当時の塩害を報じる新聞である。

図―5 昭和33年、利根川浚渫による大塩害

国は後追いで、潮止め堰の利根川河口堰を建設することにした。この痛い失敗の末、下流部の大規模浚渫では必ず河口で塩水を止める、という教訓を得た。
長良川河口堰建設事業もその一環であった。長良川河口から15km地点の大きな砂州を浚渫し、洪水の水位を下げる。(図―6)が、川底の大きな洲である。その洲が海からの海水の逆流を止めていた。そのため、その洲を浚渫することに伴い、塩水の逆流を防止する潮止め堰が必要であった。


図―6 浚渫以前の長良川の川底の洲
提供:国土交通省

下流部の大規模浚渫は、潮止めの河口堰という河川横断工作物を必要とする宿命を持っている。(図―7)が、海からの塩水の逆流を防いでいる長良川河口堰である。


図―7 長良川河口堰下流側
出典:長良川河口堰/木曽川下流河川事務所、
水資源開発公団 長良川河口堰管理所

ダム・遊水地で洪水を貯め、川の水位を下げる
ダムや遊水地は、洪水を一時的に貯め、全川の水位を下げる。極めて効率的な手法である。台風19号でも遊水池、ダムは大活躍した。
しかし、この手法には克服すべき困難な壁が2つある。
まず第1に、この手法は広大な用地を必要とする。
用地を必要とするだけでない。用地を提供する地先にはなんらメリットがない。メリットを享受するのは、遠く離れた下流都市である。ダムや遊水池の用地を提供する人々は、一方的な犠牲者となる。
特に、ダム事業においては、山間部の村落をそっくり水没させる。生まれた家、学校、森や小川、田植えや稲刈りのお祭りの思い出を根こそぎ消してしまう。
家や田畑はどうにか金銭で補償できる。しかし、水没者たちの思い出は補償できない。ダム事業とは、水没者たちの思い出を犠牲にする厄介な事業なのだ。
第2に、一般の人たちは、ダムの治水効果を理解できないことだ。
ダム洪水調節は、横軸が時間、縦軸が流量のグラフ上で、ハイドログラフと呼ばれるダム流入量曲線とダム放流量曲線で説明される。
このグラフはダム専門家にとって当たり前だ。しかし、一般の人々にとっては当たり前ではない。横軸の時間の概念も分かりにくいが、縦軸の流量毎秒何百m3とか何千m3というともう勘弁してくれとなってしまう。
一般の人々は、生活の中でこのようなグラフを使うことは決してない。
追い討ちをかけて、ダムの洪水調節の機能が難解である。
ダム流入量曲線とダム放流量曲線を重ね合わせ、その差がダム洪水調節の貯留量である、と説明される。これが難解なのだ。これは数学の積分の概念である。 
日常生活で出会ったことのない図で、積分の概念を使用して「ダムの治水効果はこれだけあった!」と説明されても間単に理解できない。
理解できないことを、得々と説明されるほど腹が立つことはない。一般の人々は、ダム管理者の難解な説明を延々と聞き、ダムへの反感を高めていく。

「治水の原則」それは「洪水の水位を下げる」こと。
そのための様々な手法がある。どの手法も水位を下げる。しかし、どの手法もそれぞれ欠点を抱えている。
特に、利根川のような大河川では、これらの手法を総動員しなければならない。そのためには、それら手法の長所と短所を明確に示し、流域の人々の意見を聞き、流域の人々の思いに共感を示し、最後に国が責任を持って「手法」を選択していかなければならない。
大河川の利根川、気象が狂暴化して行く利根川、首都圏を抱えた利根川では、一つの施設などでは、治水は解決しない。チーム・利根川で首都圏の安全を守っていく。
江戸時代からある堤防を強化する。川底の浚渫をする。遊水池を整備する。ダムを建設する。既存ダムの嵩上げをする。そして、気象の狂暴化に応じて、先輩たちが整備した施設の運用を見直していく。
複数の施設がチームとなり首都圏を守る。江戸時代の知恵と21世紀の最新の知恵がチームとなって首都圏を守っていく。これしかない。(図―8)は江戸時代の隅田川(荒川)の河川空間を利用して造られた荒川遊水池である。今回の台風19号でもめいっぱい洪水を貯めてくれた。


図―8 荒川の洪水時の遊水池
写真提供:荒川上流河川事務所

江戸時代の遺産が21世紀の東京都民を救ってくれたのであった。

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【竹村公太郎】治水の原則 ー1cmでも10cmでも低くーへの2件のコメント

  1. 近藤欣司 より

    今日の治水の話はとても参考になりました。素人にはこのような治水については断片的にしか理解しておりませんで全体像(各工事の利害得失)は全く分かりませんでした。
    昔から治山・治水は優れた武将(指導者)の条件であったこともよく理解出来ます。
    それに比べ、現在の政治家はすべて愚将ばかりなのでしょう。

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  2. 斑存・不苦労 より

    >気象の狂暴化

     昔の建物は現代よりも簡単に流されてしまっていたんだろうなぁとしか思えなく、やはり狂暴化はしているのだろうとは思います。
     築土構木に因る強靭化も是非とも・・・と考える一方、マクロ的には宇宙物理学、ミクロ的には遺伝子工学、等の科学分野は物凄い進化を遂げた現代、
    気象工学に依って地球全体とは言えなくともある範囲内では雨量を抑制する等のコントロールが可能なのではないかと思えてなりません。多分気象コントロールはある種外国からの武器兵器として利用出来ることから、日本は攻撃されている気がしてなりません。
     日本としては国民や外国スパイには隠蔽するしかないにしても北朝鮮のようなOEM支給技術ではなく、独自に気象コントロール技術も進めて欲しく思います。同時に国土強靭化もパラレル二重的にも当然として。

     またもあり得ない話ばかりばか垂れの私、妄想してしまいました。失礼しました。

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