From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学
こんばんは~(^_^)/(遅くなりますた…)
現在、私は、雑誌『表現者クライテリオン』に「やわらか日本文化論」という小論を連載しています。
少し前までは「園芸文化と日本人」とうサブテーマで園芸について書いていたのですが…
f(^_^; )
今は「言語から考える」という副題の下、言葉から日本の政治や文化をみつめるという趣旨で連載を進めています。
私は、政治学を専門としてますが、言葉の問題に以前から大いに関心があります。
なぜなら、人々を結び付け、社会(共同体)を形作ることを可能にしているもののうち、言葉が非常に大きな役割を果たしていると思うからです。
これに関して、最近、古代の言葉であったヘブライ語を現代語として復活させるのに大きな役割を果たしたエリエゼル・ベン・イェフダー(1858~1922年)の評伝を読みました。
これが非常に面白かったので、今日はそれに関して書きたいと思います。
私が読んだのは、ロバート・セントジョンという米国のジャーナリストが1952年に出版した『ヘブライ語の父ベン・イェフダー』(島野信宏訳、ミルトン社、邦訳は2000年の出版)という本です。
https://www.amazon.co.jp/dp/4895861430
ヘブライ語は、約2000年間、ユダヤ教の聖典やその他の宗教的文献、儀式などでしか使われない言葉でした。日常生活の言語としては、ほぼ死んだ言葉だったのです。
ベン・イェフダーは、帝政ロシア領内のルツキという町(現在はベラルーシ領)に1858年に生まれました。父親を早くに亡くしたため、経済的に苦しい幼年時代を過ごしますが、様々な経験を経て、パリのソルボンヌ大学に留学します。
そこで、ヘブライ語を日常言語として復活させ、ヘブライ語を公用語とするユダヤ人の国イスラエルを建国するのだという目標を持ちます。大学卒業後は、オスマントルコ帝国領内の一都市であったイェルサレムに移り住み、ヘブライ語復興運動を開始します。
当時、世界中に散らばっていたユダヤ人たちは、それぞれ現地の言葉(ロシア語やドイツ語、英語、フランス語など)や、あるいはイディッシュ語(中・東欧に住むユダヤ人が使うことが多かったドイツ語に近い言葉)などを用いていました。
ベン・イェフダーは、ユダヤ教の聖典やその他の宗教的文献、あるいはアラム語やアラビア語と言った古代ヘブライ語と近い言語から、語彙を収集し、ヘブライ語を現代語として復活させる試みに生涯をかけて取り組みました。彼は、イェルサレムでヘブライ語の新聞を発行する傍ら、世界中の図書館などを飛び回り、ヘブライ語の語彙を集めたのです。
ヘブライ語は日常言語としては古代に半ば滅びた言葉でしたので、「自動車」や「飛行機」、「金融」といったような現代の生活に必要な新しい言葉はありません。
ベン・イェフダーは、そういう新しい事物に対しては、収集してきた、意味の近い古い言葉に新しい意味を付与するなどして語彙を補っていきます。
どうしても、うまく当てはまる言葉がヘブライ語の古典文献や近隣諸語のなかから見出せない場合は、ベン・イェフダーが、ヘブライ語の体系を壊さぬよう細心の注意を払いつつ、造語したということです。(しかし、それは非常に少なく、300語以下だったと、ロバート・セントジョンの本には書かれています)。
寝る間も惜しんで、ヘブライ語復興の試みに打ち込み、ベン・イェフダーは、ヘブライ語大辞典の編纂作業を行いました。
彼は、1922年に、辞典の完成を見ることなく死去しますが、家族などが遺志を受け継ぎました。また、亡くなった頃には、ヘブライ語復興の趣旨に賛同するユダヤ人は増え、パレスチナ移住者を中心に数多くの人々に日常言語としてヘブライ語が話されるようになっていました。
結局、彼の努力は、全16巻(概論の巻を含めれば17巻)のヘブライ語大辞典に結実しました。また、1948年のイスラエル建国の際には、ヘブライ語が公用語に定められました。
ロバート・セントジョンの書いたベン・イェフダーの評伝には次のような文章があります。
建国直前のイスラエル(パレスチナ)を彼が取材していたときの話です。
「その年(1948年、建国の年)イスラエルでは、東洋と西洋あわせて60ないし70の異なる国々から集まったユダヤ人たちが、一つの国家を作ろうとしていた」。
セントジョンは、世界各地から集まったユダヤ人を結び付けているものとは何かと自問します。
「彼らに共通する者は何なのか。…… 宗教か?いや、違う。不可知論者や自由思想の人も多かったからだ。
では、みな忌むべき反ユダヤ主義の犠牲者で、迫害という共通の経験があるからか?それも違う。なぜなら、オーストラリアやカナダやアメリカから来た人もいるからである。……
また、共通の文化や知識による結びつきでもない。改革派のニューヨークユダヤ人とイエメンのユダヤ人ほどかけ離れた二人の人間を受けるのも難しい」。
このように、大勢のユダヤ人を結びつけている絆は、宗教でも、迫害の経験でも、共通の文化や知識でもないと論じます。では、いったい何なのでしょうか。
セントジョンは、次のように結論します。
「イスラエルを離れる前に私はやっと合点した。自分たちの国が欲しいという燃えるような思いと同時に、異なった諸要素を結び付けている偉大な接着剤は、彼らの共通の言語なのだと。」
セントジョンによれば、背景の異なる多数のユダヤ人たちをまとめイスラエル建国を可能にしたのは、自分たちの国や政府を持ちたいという彼らの熱望と同時に、共通語としてのヘブライ語だったというのです。
この点、非常に興味深く感じます。
現在の主流派の政治理論では、国や社会へと人々をまとめているのは、結局は、自由民主主義や人権といった共通の政治原理への同意だとみなすべきだとされます。例えば、いわゆる社会契約論は、そうみなす代表的理論です。
しかし、こういう見方は、少なくとも非常に一面的だと言わざるを得ません。
やはり、もっと自然な見方としては、共通の言語、あるいは言語をその一部とする何らかの共通の文化的要素でしょう。
そういう見方に立たないと、政治学の言っていることが、現実の世界の動きからどんどんズレていくように思います。政治学者は、もっと言語や文化の問題に関心を持つべきでしょう。
また、日本の近年の英語偏重の社会改革、教育改革も、共通の言語こそ、社会や国の最重要の基盤の一つであるということをもっと意識すれば、そうした改革のまずさがよく見えてくるように思います。
今回は、なんか小難しい、まとまりのない話になってしまいました…
<(_ _)>
【施 光恒】ヘブライ語復活の奇跡から見える言語の大切さへの4件のコメント
2020年2月28日 10:09 PM
国家とは言語 である
それ以外の 何物でもない
と
西欧のどなたかが 仰っていた
かと
どなたか 名前は失念
検索しても 行方不明
そして 日本
個人とは言語であると
饗庭孝夫
以下
~ karl の不定期日記 ~
2014.08.11 Monday より 引用
最後の授業では、彼らのために激励の意味を込めて、95年度センター試験(本試)の第1問、饗庭孝男『想像力の考古学』からの問題を解きました。
本文は非常に難解ですが、平たく要約すれば次のようなことが書かれています。言語はその言語圏の歴史や生活体系と表裏一体をなしている。そしてその言語を話す「私」という存在は、言語圏の歴史や生活体系という根によって、「私」の前に生きた無数の人々、そして「私」とともに同時代に生きている人々とつながっている。もし「私」が一人、異なる文化の中に飛び込み、その巨大な背景に圧倒されて「私」が小さな存在に思われたとしても、この「私」の中には、その巨大な背景と同じ大きさの、巨大な歴史や生活体系が流れているのだ、という文章です。そして文章中に次のリルケの詩が引用されています。
ぼくはひとりだったためしはない
ぼくより前に生きて
ぼくより先に別れてゆこうとした人々も
ぼくという存在のなかに
生きていたのだ
引用終わり
小生も 試験問題に挑戦
ちょっとした 自慢
全問不正解 もとい 全問正解 ♪
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2020年2月28日 10:13 PM
失礼
饗庭孝男 さまで ございます
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2020年2月28日 10:25 PM
全くその通りかと。
国家、国民というのは言語とそれに基づく文化によって出来上がってると思います。
思考ってのは言語と文化と自然環境にある程度制約されると思いますしね。
例えば地震に関しての考え方なんて、日本という自然環境にいて文化として言語として教訓を得るんだと思うのです、それが最議事の行動として自然に出てくるのではないかと…
英語、英語の自己植民地化の今の教育には忸怩たる思いです。
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2020年3月6日 5:37 PM
施先生の著作は読みますが、人となりは全く知らないにもかかわらず園芸でそんなイメージだなあと思ってしまいましたw
言語はホント不思議ですね。なんでこんなものを獲得するに至ったのか?ヒトはすべて言語を獲得できる可能性を有するにもかかわらず、なぜ臨界期があるのか?とか。
ヴィトゲンシュタインはライオンが言葉を話しても我々は理解出来ないだろうと言いましたが、人については未開人であろうとある程度理解可能な所も面白いです。
ヘブライ語は儀式で使用されていたのなら、発音は出来たという事ですね。しかし、これは長い世代の間におそらく変形してるはずですよね?全く古代から変わらず伝承されているとは思えません。気づかないうちに伝言ゲームのように変化している感じがします。
現代は録音できるので1000年後も保存されていればわかるはずですが、やっぱり大分変わっているのではないでしょうか?
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