アーカイブス

2017年5月5日

【上島嘉郎】憲法論議の前提

From 上島嘉郎@ジャーナリスト(『正論』元編集長)

日本国憲法が施行70周年を迎えました。安倍晋三首相は憲法改正に強い意欲を示し、改憲派が同日東京都内で開いた集会にビデオメッセージを寄せて、憲法9条に自衛隊の存在を明記した条文を追加した憲法改正を行い、東京五輪が開かれる2020年を「新しい憲法が施行される年にしたい」と明言しました。

ところで、共同通信社がこの3~4月に18歳以上の男女3千人を対象に実施した憲法に関する世論調査結果があります。それによると、日本が戦後、海外で武力行使しなかった理由は、戦争放棄や戦力の不保持を定めた「憲法9条があったからだ」とする回答が75%、9条の存在とは「関係ない」は23%でした。9条改正に関しては必要が49%、必要ないが47%で拮抗していますが、安倍首相のもとでの改憲には51%が反対で、賛成は45%でした。
(*注 無回答を省略しているため合計は100%にならない)

9条改正の必要性をめぐって賛否が二分する一方で、戦後の日本が海外で武力行使をしなかった理由が「9条があったから」と答える人が75%もいるとは……かつて司馬遼太郎がこう語っていたのを思い出します。
曰く「日本人というのは不思議な人種やなあ。多くの連中にとってある種の観念の方が目の前の現実よりも現実的なんやから」と。

北朝鮮による日本人拉致被害、竹島や尖閣諸島の領有権問題、直近の北朝鮮情勢の緊迫化等々、一体日本人はわが国を取り巻く「現実」をどこまで認識しているのか。今そこに危機があっても、憲法9条がある限り、現実に迫ってくることはないと思っているのか。

「平和」とはある国家なり社会の現実に在る姿で、ただ心に念じればたちどころに現出するというものではない。現実的な手立ての積み重ねが必要です。この当然の話が「憲法9条信仰」の前では容易に退けられ、自由な現実的議論さえも危険視され封じられてしまう。

筆者はここで「自由な現実的議論」のため、先の世論調査にあった「日本が戦後、海外で武力行使しなかった理由」という設問に関して以下の事実を指摘しておきます。

マッカーサーは、憲法9条の不戦条項、戦力不保持条項、交戦権不行使条項を「あらゆる条項のなかで最も重要な条項」と評価し、昭和21年(1946年)3月6日にこう語りました。
「この保障と制約によって、日本は、本来その主権に固有の諸権利を放棄し、その将来における安全と存続自体を、世界の平和愛好諸国民の誠意と公正にゆだねたのである」

ところが、昭和25年(1950年)に朝鮮戦争が勃発するとこう変わるのです。
「日本の憲法は、国政の手段としての戦争を放棄している。この概念は、近代の世界が知るにいたった最高の理想ではないにしても、最高の理想のひとつを代表している。(中略)
諸君がみずからに課したこの制約は、迫りきたる数々の嵐の脅威にもかかわらず、国家安全保障の問題に関して、諸君の思考と行動を厳密に律してきた。しかしながら、かりに国際社会の無法状態が、平和を脅かし人々の生命に支配を及ぼそうとし続けるならば、この理想があまりにも当然な自己保存の法則に道を譲らなければならぬことはいうまでもない。そして国際連合の原則の枠内で他の自由愛好諸国と協力しつつ、力を撃退するために力を結集することこそが、諸君の責務となるのである(後略)」(昭和26年〔1951年〕元日のメッセージ)

朝鮮戦争の勃発を受け、占領軍として日本にいた米軍は即時朝鮮半島に派遣されました。これによって日本国内に軍事的な真空が生じ、これを埋めるため米国は、日本を再び米国の「脅威」たらしめないという戦後の基本政策と、それを反映させた憲法9条に直接抵触せざるを得ない選択を決断します。

マッカーサーは、7万5千人の警察予備隊の創設、8千人の海上保安庁要員の増員を日本政府に命じました。自ら「戦力不保持条項」を破ったわけです。このとき海上保安庁は機雷の掃海任務に就くことを求められ「特別掃海隊」を編制、日章旗ではなく無標識の掃海艇で出動(朝鮮海域にあるときは国際信号旗のE旗だけを掲揚)するという超法規的なことをやらされました。事実上日本の海上部隊は朝鮮戦争に参加したのです。そしてその任務において多数の”戦死傷者”を出しました。

「憲法9条によって守られている」――こんな観念はとっくの昔に破綻しているのです。

日本を再び米国の「脅威」たらしめないためには、日本をいつまでも非武装状態にし、不戦の誓いを守らせ、交戦権を放棄させたままにしておくのが望ましい。しかし現実問題として冷戦下の北東アジア情勢は緊迫化し、米国の世界戦略上も日本にある程度の軍事力を持たせる必要が生じた。マッカーサー発言の変化は、日本国憲法が本質において米国の都合による欺瞞の産物であったことを示すものです。

その後も現実には軍事力を一定程度保持することを認めつつも、日本人の精神には憲法9条という枷(かせ)をはめておく。この枷は「先の大戦を反省した日本人が平和を希求するため自ら求めたものだ」という虚構の建前に立っていて、日本を再び「脅威」たらしめないという米国の基本政策の反映だとは見えないようになっている。

米国の脅威とならないということが、戦後の日本の言語空間では、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という理想主義的な言辞に置き換わって、人類の普遍的な価値観を先導するかのごとく、ある種の酔いの心地よさに日本人を耽溺させるようになっています。酔っているから、憲法9条と日米安保条約がコインの裏表のような関係になっていることが見えません。

入江隆則氏は『敗者の戦後』でこう述べました。
「真に脅威を取り除くには敗戦国民の精神に自分たちの過去への嫌悪の念を植えつけると同時に戦うこと一般への忌避の気持を育て、しかもそれが勝者の戦後処理の政策として押しつけられたのではなくて敗者の自発的選択として為されたようにする。
勝者への復讐心を取り除くためには、勝者は敗者に対して寛大だという印象を与え、思想改造を強制する場合も、それが勝者による強制だという印象を薄めて敗戦国民の自発的な自己批判の形をとらせるのがよい。
戦勝国から強制されたとなれば、占領の終結と同時に元に戻ってしまうが、自発的変身だと信じ込ませておけば、より長期的な効果が期待できるからである。この精神的武装解除がかつてなかったほど巧妙に実施された典型的な例が日本の戦後であると思う」

――護憲であれ、改憲であれ、議論の前提はここにあります。

〈上島嘉郎からのお知らせ〉
●大東亜戦争は無謀な戦争だったのか。定説や既成概念とは異なる発想、視点から再考する
『優位戦思考に学ぶ―大東亜戦争「失敗の本質」』(PHP研究所)
http://www.amazon.co.jp/dp/4569827268

●慰安婦問題、徴用工問題、日韓併合、竹島…日本人としてこれだけは知っておきたい
『韓国には言うべきことをキッチリ言おう!』(ワニブックスPLUS新書)
http://www.amazon.co.jp/dp/484706092X

関連記事

【上島嘉郎】憲法論議の前提への6件のコメント

  1. 拓三 より

    今回の安倍晋三日本国内閣総理大臣の9条に対しての考えがこんな薄っぺらいものだったとは怒りを越え脱力感を覚えた次第で御座います。

    ポンコツ安保法制を利する為の9条改正……くだらん!

    言いたい事は山ほどあるが脱力感と絶望感で…..あっ!絶望を口にしてしまった….

    さあ!私はこれから新自由主義的弱い者イジメをしてカネを儲ける事に勤しみます!そもそも私はそちらの方が得意で御座います。そう生きてきました。だからこそ日本の強み、弱みを解ってきたつもりです。しかしそれを日本が望むのであれば仕方のない事です。こんなアホばかりの日本人を食い物にするのは正直簡単で御座います。

    しかしながら…このレトリックはテロリスト左翼と同じレベル?今や保守も同じ!いや、もともと同じ! と言う事はさらに『絶望』…アカン、アカン、男が『ため息』と『絶望』を口にしたら終わりや! 『神様あ〜』….アカンアカン、信者になっても終わりや!解決にならん!今出来る事は…..

    返信

    コメントに返信する

    メールアドレスが公開されることはありません。
    * が付いている欄は必須項目です

  2. たかゆき より

    王様は 裸だ ♪

    日本は とても素敵な 
    「絹布」もとい 「憲法」の
    お洋服を 身に纏っているらしい
    が、、、

    マック君に言われたような
    「じゅうにさい」の ぼくの目から見たら
    日本は 裸だ。。。

    この国を 裸にして 世界の笑いもの
    それを 70年も 晒される、、

    「明治屋」の 素晴らしい生地で
    いまの 身の丈に合うように 採寸し
    自由自在に身動きが できる姿に
    仕立て上げれば よろしいのに

    「テーラー アメ屋」に気兼ねしてか
    chin cup やら ブリキの兜やら 竹槍で
    身を飾ろうとする ありさま、、

    核武装と 明治憲法
    それが 日本国の 正装だと
    ぼくは 信じているのだ ♪

    返信

    コメントに返信する

    メールアドレスが公開されることはありません。
    * が付いている欄は必須項目です

  3. 憲法9条を廃止し、自衛隊を軍隊にし、交戦権も明記するのが正解やと思います。
    せやけど、安倍ちゃんはいつも、政治家は結果やと言うてはります。9条を残したままで自衛隊を違憲でなくすために何らかの明記をして事実上の交戦権を持たせれば、とりあえず2020年には間に合う、ということとちゃいますか?
    9条を残して、という度肝を抜く発想は、さすがやと思いました。
    改正後には北朝鮮の核施設や、支那全土の軍閥の核施設をアメリカと共に予防的に撃滅できるようになってることを切に祈ってます。
    コピペだらけの憲法前文は醜悪ですが、今、目の前の危機に対応するのが先やと私は思います。

    返信

    コメントに返信する

    メールアドレスが公開されることはありません。
    * が付いている欄は必須項目です

  4. 泉 正男 より

    三橋先生も仰っているように、我が国のためになるのなら憲法改正もやるべきです。
    ですが現状では、より悪くなってしまうのではないか・・・・と危惧されます。
    我が国の政治は根幹をアメリカに決められ、それに沿って政治劇をしているだけの属国状態なのではないのでしょうか?
    然も政治家は上げ足をとることしか考えられない方々ばかり。
    官僚も国民に気付かれないように如何に無駄遣いするか・・・・
    自分たちの利権の維持拡大しか考えてないのではないのか?と、不安になります。
    こんな状態で9条をいじれば、アメリカのいいように利用されるだけでは・・・・アメリカにNoと言えない我が国は、最後の切り札として、9条を必要としているのではないのでしょうか。
    中・東欧、中東の混乱のほぼ全てアメリカが仕組んだもののように聞いています。最悪なのはリビアのカダフィー大佐。極悪の独裁者のように報道されていましたが、石油収入により理想的な福祉国家を構築し、アフリカ中央銀行、アフリカ開発銀行、アフリカ開発会議という、アフリカ全体の発展を考えた組織を立ち上げようとしていたそうです。私が聞いていることが正しいのなら、アメリカなど「悪の枢軸国」より極悪のテロ国家です。
    我が国が自国のため、世界平和のために独自の視点で活動できるようになるまでは、9条は大切にしておくべきではないでしょうか。
    また、中国、北朝鮮の脅威は現実のものですが、9条があれば対応できないというものではないでしょう。防衛予算の1%枠というのは、法に規定されたものではなく、本当に必要なら5%でも10%でも拡大すればいいのでは・・・・
    兵器と言われるものの独自開発も考える必要があるのではないでしょうか。アメリカの馬鹿高い兵器以上のものを安く作れるのではないのでしょうか?
    9条は「ただ守ればよいもの」でも「改正すればよくなる」ものでもないのでは・・・・
    そして今最も必要なのは、我が国の安全をどのように守っていくのか、我が国が世界平和にどのように貢献していくのかというビジョンを確立することではないでしょうか・・・

    返信

    コメントに返信する

    メールアドレスが公開されることはありません。
    * が付いている欄は必須項目です

  5. あまき より

    憲法改正の目的は、自由民主党結党時の政綱第6項に言い尽されている。つまり、真の自主独立を果たすため国情に見合った自主的改正を目指すのであり、それは占領諸法制の見直しと、駐留外国軍の撤退を前提としたものでなければならない旨が書いてある。要は現憲法が占領憲法・暫定憲法に過ぎないと言っているに等しく、入江さん小堀さん井尻さんの主権回復の日を祝賀する国民運動もこの認識に立脚している。

    個人的には、バークやトクヴィルを引用するのと同じくらい、この昭和30年綱領は戦後日本の保守にとって重要な意味を持っていると思う。さらに言うなら、この認識に立脚していない保守は保守でなく、この認識に基づかない改憲は真の意味での改憲たり得ないとさえ思っている。

    したがって、安倍首相がビデオメッセージでこの認識に触れず、触れないことに保守論客が異を唱えない体たらくに、安倍さんとその周辺の本性を改めて見た気がした。中川昭一の跡には続かない(憲法改正などに命はかけない)と言っているようにすら聞こえた。萩生田官房副長官は自ら命がけと言っているが、命がけで刻み込んだと思われる党綱領を踏まえない命がけが果たしてあるだろうか。この方は本当に自由民主党総裁なのだろうか。

    入江さんは9条第1項第2項とも平和条項として存置するという安倍首相の方針をどのようにお聞きになられたのだろうか。あるいは井尻さん。いやあさすが現実感覚に優れた安倍さんらしい、巧みな戦略で結構だね、と地下で莞爾と首肯されるだろうか。

    憲法改正について従前から観念論でない、我が身に引き寄せた正直な論考をコメントで重ねてきた拓三さんが深く当惑、失望されている。保守なら当然の反応だろう。

    返信

    コメントに返信する

    メールアドレスが公開されることはありません。
    * が付いている欄は必須項目です

  6. 玉澤 修 より

    「憲法改正」がこんなにも大ぴらに話せるようになったなんて、隔世の感があります。感激!ではあるのですが、でも、なんか変ですよね?・・・戦後も70年も経って、やっと憲法改正の議論が始まりましたなんて、戦争に負けた代償の大きさを痛感します。
     憲法改正はすべきです。何せ、アメリカ占領軍が1週間で作り上げた代物で、日本に拒否権は無かったんですから。外国が作った憲法を70年にも渡って一語一句も変えないで守り通してきた日本人は偉大でした。これもそれも9条がある為なんでしょうね。
    別に9条のせいで日本の平和が守られたわけじゃないのにね!

    返信

    コメントに返信する

    メールアドレスが公開されることはありません。
    * が付いている欄は必須項目です

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。
* が付いている欄は必須項目です

名前

メールアドレス

ウェブサイト

コメント

メルマガ会員登録はこちら

最新記事

  1. 日本経済

    【三橋貴明】決して許してはならない凶行

  2. 日本経済

    【三橋貴明】聖徳太子の英雄物語

  3. アメリカ

    政治

    日本経済

    【藤井聡】成田悠輔氏の「老人集団自決論」が論外なのは、...

  4. 日本経済

    【室伏謙一】「金融緩和悪玉論」を信じると自分達の首を絞...

  5. 日本経済

    【三橋貴明】聖徳太子の英雄物語

  6. 日本経済

    【三橋貴明】政府債務対GDP比率と財政破綻は関係がない

  7. アメリカ

    政治

    日本経済

    【藤井聡】『2023年度 国土強靱化定量的脆弱性評価・...

  8. アメリカ

    政治

    日本経済

    【藤井聡】【3月14日に土木学会で記者会見】首都直下地...

  9. 日本経済

    【三橋貴明】無知で間違っている働き者は度し難い

  10. 日本経済

    【三橋貴明】PBと財政破綻は何の関係もない

MORE

タグクラウド