From 三橋貴明
【今週のNewsピックアップ】
グローバリズムという疫病(前編)
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12538161970.html
グローバリズムという疫病(後編)
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12538513150.html
我が国の古代史では、以前は、
「日本列島で縄文人が狩猟や採取で
暮らしていたところに、
紀元前200年頃に大陸から
膨大な渡来人が押し寄せ、
稲作や弥生式土器、金属器を伝え、
弥生時代が始まった」
という「常識」があったわけですが、
現在は完全に覆され、否定されています。
そもそも、多数の渡来人が来たという
事実がありません(精々、年に数家族程度)。
さらには、縄文時代から「稲作」は
行われていました
(水田ではありませんでしたが)。
水田方式の稲作にしても、
紀元前900年前後に北部九州
(菜畑遺跡など)で始まっていたことが
明らかになっています。
しかも、
水田跡が発掘されている遺跡であっても、
普通に縄文式の器物が見つかります。
つまりは、縄文人⇒弥生人という区分自体が
間違っており、我々の先祖は
紀元前1000年頃から、水田稲作を
少しずつ、地域ごとに異なるタイミングで
受け入れていった、というのが真実です。
ちなみに、関東で水田稲作を初めとする
弥生文化が浸透するまで、菜畑の時代から
700年~800年もかかっています。
縄文式の熱帯ジャポニカ米を畑に撒く
方式よりも、水田で温帯ジャポニカ米を
育てる方が、圧倒的に生産性が高い。
それにも関わらず、なぜ我々の先祖
(縄文人)は、なかなか水田稲作を
受け入れようとしなかったのでしょうか。
一つの仮説ですが、水田稲作は
「灌漑設備」が必要になります。
灌漑設備は個人や家族単位では
建設できませんので、どうしても
「大組織」が必要になります。
また、水田稲作で生産性が高まると、
次第に「農業に従事しない階級」が
生まれます。灌漑建設などを組織する
「指導者階級」ですね。
さらには、組織をもって土地を開墾し、
水田施設を建設すると、「我々の田んぼ」
という意識が強まり、人間は土地に
執着しがちになります(当然ですね)。
そして、水田稲作に必須の「水」という
リソースをめぐり、「勢力」と
「別の勢力」との間に「権益」争いが
発生します。
結果的に、何が始まるのか。
そう、戦争です。
日本を代表する考古学者である
故・佐原真氏は、日本では弥生時代から
組織的戦争が始まったと主張されて
いましたが、正しいと思います。
つまりは、縄文時代の先祖にとって、
大陸由来の「水田稲作」「人々の組織化」
「水利権」「土地の私有」といった
弥生文化は、現在の我々にとっての
「グローバリズム」と同じだったのでは
ないかと思うのです。
だからこそ、できるだけ忌避しようとした。
結果、各地で縄文文化の人々の抵抗が続き、
全国的に水田稲作が広まるまで1000年
近い歳月が必要だったのではないかと。
三橋は、1543年のポルトガル人の
種子島漂着を、
「日本にグローバリズムが押し寄せた瞬間」
と定義していますが、実際にはそれ以前から、
日本人は「外国」からの文化的な影響を
受け続け、可能な限り取捨選択し、
足掻き続けてきたのでしょう。
それこそ、縄文時代から。
無論、争いが少ない代わりに、
生産性が低い縄文時代に戻るべきだと
言いたいわけではありません。
単に、現在の我々が「グローバリズム」
という疫病に苦しめられているのは、
数千年前の先祖と同じと主張したいだけです。
我々の先祖も、大陸から次々に押し寄せる
「文化的な疫病」に苦しみつつ、
何とか生き延びる道を探り、
結果的に現在の日本国民がいるのです。
上記を理解すると、今の我々が「子孫」の
ために何をしなければならないのかが、
はっきりと見えてくるはずです。
日本的な要素を守りつつ、
文明を「生存」のために進化させ、
国民が幸福に暮らせる道を探る。
それこそが、我々の御先祖様が
苦心しつつも辿り続けた道なのです。
◆【歴史音声コンテンツ 経世史論】
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※長浜浩明先生の特別コンテンツ
「日本人はどこから来たのか?」が、
10月31日をもちまして
視聴終了となります。
ご注意ください。
◆ビジネス社
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◆経営科学出版
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◆週刊実話 連載
「三橋貴明の『マスコミに騙されるな!』」
第342回 公共投資否定派への怒り
なお、週刊実話の連載は、以下で
(二週遅れで)お読み頂くことが可能です。
http://wjn.jp/
◆メルマガ 週刊三橋貴明 Vol544
ロシアはなぜデフォルトしたのか?
http://www.mag2.com/m/P0007991.html
ロシアはなぜ98年に財政破綻
(デフォルト)したのか?
デフォルトと国債、そして「為替レート」
の関係について知って下さい。
◆メディア出演
三橋TV、続々リリースされています。
三橋TV第153回
【自由と権利、民主制について
本当の話をしよう】
https://youtu.be/4mvwJUg6O3Y
三橋TV第154回
【質問回答編①
特別会計、おカネを刷る!?、
高家さんの休日、私立Z学園の憂鬱などなど】
https://youtu.be/rtF5ec_NhmA
三橋TV第155回
【質問回答編②
MMTはハイパーインフレで
ヘッジファンドで国債暴落で
日銀破綻!?】
https://youtu.be/pH5mimYM-70
10月28日(水)
チャンネル桜「Front Japan 桜」に
出演します。
http://www.ch-sakura.jp/programs/program-info.html?id=1651
◆三橋経済塾
令和元年10月19日(土)
三橋経済塾第八期、第十回対面講義を
配信致しました。
https://members8.mitsuhashi-keizaijuku.jp/?p=730
インターネット受講の皆さま、
お待たせいたしました。
ゲスト講師は 上島 嘉郎先生
(元正論 編集長)でした。
◆チャンネルAJER
『日本の少子化をくい止めるにはーその2ー
(前半)』三橋貴明 AJER2019.10.22
https://youtu.be/RVExK3HGSy4
【三橋貴明】数千年前から我々の先祖が戦った相手への5件のコメント
2019年10月28日 8:05 AM
前回掲載されなかったのでテスト
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2019年10月28日 8:17 AM
縄文人直系でなかった西北九州弥生人 ゲノム解析で判明
米山正寛 2019年7月23日
写真・図版
下本山岩陰遺跡から出土した人骨の一つ。臼歯を用いてDNAを抽出した(国立科学博物館提供)
弥生時代に現在の長崎県周辺にいた「西北九州弥生人」は、縄文人直系と考えられていたが、実は渡来系弥生人との間でかなり混血が進んでいたことを、国立科学博物館などのグループが人骨に残された遺伝情報(核ゲノム)を解析して明らかにした。日本人類学会の機関誌Anthropological Science(日本語版)に発表した。
九州の弥生人は三つに大別される。大陸から北部九州にやって来た渡来系弥生人、鹿児島県付近に住んでいた、頭の前後が極度に短いなどの特徴を持つ南九州弥生人、そして、西北九州弥生人だ。渡来系弥生人が在来の縄文人と交じり合う形で、現代の日本人につながる人々が生じていったとされるが、西北九州弥生人は影響をほとんど受けず、顔の彫りの深さや腕の太さなどに縄文人と共通する特徴を残していたと考えられてきた。
今回、下本山岩陰遺跡(長崎県佐世保市)から1970年に発掘された約2千年前の西北九州弥生人の男女各1体の人骨を対象に、核ゲノムを構成するDNAの変異に注目して遺伝的特徴を解析した。2体はともに縄文人と現代日本人との中間に位置付けられた。縄文人直系と考えられてきた西北九州弥生人も、渡来系弥生人との間で混血が進行していた可能性が高まった。
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2019年10月28日 8:19 AM
現在のアイヌ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
D1a2* 81.25%: 縄文系
D1a2a1 6.25%: 和人系
C2 12.5%: オホーツク文化人系
現代琉球人 Y-DNAハプログループ比率
D1a2–45.1% : 縄文系
O1b2-23.3%(旧表記O2b) :長江系稲作民
O2—18.9%(旧表記O3):漢民族系
C2—-1.5% :縄文系
C1—-6.8% :縄文系
O1b1–0.8%(旧表記O2a) :長江系稲作民
現代日本人 Y-DNAハプログループ比率
D1a2a–32% :以前は縄文系だと言われていたが否定された、四川省の焼畑農耕民の可能性が高い
O1b2-32%(旧表記O2b) :長江系稲作民
O2—20%(旧表記O3):漢民族系
C2—-6% :縄文系
C1—-5% :縄文系
O1b1–1%(旧表記O2a)
O1a—1% : 長江系稲作民
N1—-1%
D1a,Q1–1%未満
(2013 徳島大 佐藤等 サンプル数2390)
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2019年10月28日 8:20 AM
2019.5.13
縄文人は現代の日本人と比べ肉や魚を消化しやすい遺伝子を持ち、遺伝的な多様性は低いことがゲノム(全遺伝情報)の解析で分かった。国立科学博物館などの研究チームが13日、発表した。
日本人全体ではゲノムの10%、アイヌ民族ではゲノムの70%が縄文人に由来することが分かった。
今回の解析では、国内の地域ごとに縄文人から現代人に受け継がれたゲノムの割合が大きく異なることもわかった。
東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。
縄文人は現代の日本人と比べ肉や魚を消化しやすい遺伝子を持ち、
遺伝的な多様性は低いことがゲノム(全遺伝情報)の解析で分かった。
国立科学博物館などの研究チームが13日、発表した。
縄文人が狩猟や漁労を中心に小集団で生活していたことが遺伝情報からも裏付けられた。
チームは北海道・礼文島の船泊遺跡で出土した3500~3800年前の縄文女性の歯から採取したDNAを分析。
その結果、肉など高脂肪食の消化を効率的に助けるタンパク質を作るよう遺伝子が変異していることが分かった。
アザラシなど肉食が中心の北極圏のエスキモーに多くみられる現象で、現代の日本人にはみられないという。
また、ゲノムの多様性が低い状態が旧石器時代から約5万年にわたり続いていたことも判明。
小集団で生活していたことを示すもので、獲物を求め移動を繰り返す縄文人の生活を反映しているらしい。
このほか日本人全体ではゲノムの10%、アイヌ民族ではゲノムの70%が縄文人に由来することが分かった。
また、縄文人は1万8000年~3万8000年前に大陸民族から遺伝的に分かれたことも判明した。
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