コラム

2020年12月12日

【竹村公太郎】日本文明の誕生と発展―奈良盆地と聖徳太子の17条憲法―

2014年広島土石流災害

 日本列島は毎年土砂災害に見舞われている。特に2014年8月20日、広島市は豪雨により大規模な土石流災害に見舞われた。広島市北部の住宅地で、死者74名、家屋全壊133戸という人命と財産が一瞬にして失われてしまった。

 翌朝は嘘のように晴れていて、全国の人々はテレビの生中継でその悲惨さを目の当たりにした。テレビ映像は救助活動に向かう消防団や自衛隊から、ヘリコプターの中継に移って行った。
 
 空中から見ると、山麓に並ぶ沢という沢から土石流が流れ出ていた。沢の出口では、土石流が住宅を無残に襲っていた。なぜ、あのような場所で家を建てたのか、とつぶやく家族の横で、私は全く違うことを考えていた。
 
 日本文明を誕生させた奈良の謎が、一つ解けていった。

奈良盆地へ

 太古の時代、多くの人々が日本列島に住み始めていた。特に、日本列島の南端の九州宮崎に構えていた人々にとっては、あまりにもユーラシア大陸に近すぎた。大陸の暴力の音が間近に響いてきたし、戦いの煙も漂ってきた。
 
 九州は落ち着いて文明を誕生させ、発展させていく土地ではなかった。後の神武天皇は、九州から日本列島を東へ向って移動していった。
 
 日本書記(宇治谷孟「全現代語訳、日本書記」)の中で、神武天皇が東へ向かう「東征」で、塩土老爺(しおつちのおじ)の逸話がある。塩土老爺は、先発して敵陣を見てくる斥候隊であった。どうやら、先発して敵情を探るスパイ役は年寄りの爺様の役目だったようだ。確かに若い斥候では目をつけられ敵に捕まってしまう。
 
 その塩土老爺が、神武天皇に向って「東に美(よ)き地あり。青山四周り(せいざんよもめぐれり)」と報告している。つまり「大将、大将、東に良い土地がありましたよ。全周が山々で囲まれた緑豊かな素晴らしい土地です」。この情報を得た神武天皇はその奈良盆地に向った、という逸話である。
 
 神武天皇の存在や東征は、神話として歴史として扱われていない。しかし、神武天皇一行が奈良盆地の「地形」を目指して進んだ、というのは土木屋の私にとっては実にリアルである。この「地形」の一点で神武天皇の歴史性を感じてしまう。

恵みの地、奈良盆地

 当時、大阪はまだ河内湾と呼ばれる海であった。北からは淀川が流れ込み、南からは大和川が流れ込んでいた。この大和川をさかのぼり亀の背の峠を越えると奈良盆地が展開していた。
 
 この奈良盆地は、塩土の爺さまが報告したように、緑豊かな山々が全周をとり囲んでいた。この森林は、潤沢な建設資材、舟建造資材、そして燃料エネルギーを与えてくれた。
 
 そして、この全周の唯一の出口が亀の背地点であり、ここを抑えてしまえば敵は侵入できない。周囲の山々の沢という沢から、清らかな水が流れ出ていた。流れ出た水は、盆地中央で大きな湿地湖を形成していた。西側の山地は海風を防ぎ、東北の山地は北風を防いでいた。
 
 奈良盆地の湖はまるで鏡のように穏やかであり、小舟を利用すれば奈良盆地のどこにでも簡単に行けた。奈良盆地は、自然の水運インフラに恵まれていた。(図―1)
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 奈良盆地は、①安全 ②森林エネルギー ③水資源 ④水運インフラに恵まれていた。文明誕生のすべてのインフラの条件が整っていた。この奈良盆地に人々が集まり、日本文明を誕生させていったのは必然であった。
 
 ところが、この奈良盆地は、文明を誕生させただけではなかった。奈良盆地は文明を膨張させ、発展させるエンジンも持っていた。それも奈良盆地の地形に深く関係していた。

豪雨と土砂崩れ

 文明が膨張し、発展していくには、人々の欲望の膨張が満たされなければならない。欲望が満たされない社会は停滞していく。奈良盆地はその欲望の膨張を満たした。
 
 その欲望の膨張のエンジンは、豪雨に伴う土砂崩れであった。そのことを、2014年の広島土砂災害の映像で気がつかされた。
 
 災害が少ない奈良盆地にも、何年かに一度、何十年かに一度、大規模な豪雨が襲ってきた。その豪雨は山々の斜面を削り、その土砂は一気に沢を下り、沢の出口は土砂で埋まった。21世紀の広島の土砂崩れ住民にとっての大被害をもたらした。しかし、奈良盆地の土砂崩れは、古代の人々にとって天からの贈り物であった。
 
 豪雨が去った晴天の下、人々は沢の出口に集まった。そして、堆積した土砂を見て、歓声を上げて喜んだ。彼らは力を合わせ、その土砂を湖岸に向かって押し出していった。土砂を押し出し、土砂を平らに均し、新しい土地を造成していったのだ。(図―2)が土石流で堆積した土。
画像
 
 奈良盆地の周囲の全ての沢で、この作業が行われた。豪雨と土砂崩れが土砂を運んでくれ、それで湿地を埋めていく。自然の力を利用した新規開田が、奈良盆地全体で展開されていった。新しい土地の誕生が、文明発展の欲望のエンジンであった。

富の分かち合い

 奈良盆地の川はどれも直線型をしている。直線の川は、日本国内を見渡しても少ない。20世紀に入って干拓された八郎潟の川は直線になっている。(図―3)で示される川の直線の形状が、奈良の土地と水路が人工的に形成されたことを示している。
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 奈良盆地では土地が拡大されていった。土地が拡大する過程で、土地所有のルールを定める必要が出てきた。奈良盆地で最古の土地区画整理事業の「班田収受法」が誕生したのは偶然ではない。
 
 これは人々の利害を制御するための制度であった。新たに生まれた土地を巡って戦うのではなく、ルールに従って、話し合う。話し合いで分かち合った土地を役所に届ける。財産を決め、役所に登録していく、死んだら土地は国に返す。というきわめて近代的な文明の誕生であった。
 
 日本で最初の憲法もこの奈良盆地で生まれた。聖徳太子の「十七条の憲法」の第一条は、「和をもって貴しとなす」とある。これは聖徳太子による「精神な訓話」だと長いあいだ思っていた。しかし、これは単なる精神訓話ではない。
 
 奈良盆地では、拡大する土地の所有を巡って、話し合い、和して、分かち合った。近代的な社会規範を形成し、日本文明を誕生させていった。
 
 「十七条の憲法」の第一条は、単なる精神訓話ではない。現実的な生活の知恵から生まれた社会規範、と考えると胸にもストンと落ちていく。

文明の誕生と発展

 世界史の興亡を見ると、暴力が他の富を奪う繰り返しである。誰かが勝ち、誰かが負けるゼロサムゲームであった。
 
 しかし、文明が誕生する時には、人々の協力と、分かち合いが必要である。メソポタミア文明やエジプト文明でも、人々は協力して大河川の洪水を制御し、川から水を引き、協力して耕作地を増やしていった。その過程では、話し合い、ルールを作って土地を分かち合っていったはずだ。そうでなければ、多くの人々が力を合わせて創りだす文明など誕生しない。
 
 しかし、ユーラシア大陸やアフリカ大陸には、必ず強大な移動する暴力が湧きあがっていた。それらの暴力は凄まじい勢いで移動し、分かち合う人々が創った社会を襲い、富を奪って行った。世界の各大陸の分かち合う古代文明は、21世紀まで生き残ることはできなかった。
 
 ところが、日本列島はユーラシア大陸の極東に浮かんでいた。世界史の中で唯一、日本だけが、大陸の暴力に侵されず、21世紀まで存続した。奈良盆地に人々が集まり、分かち合いの条里制を生み、和の憲法を生み、律令で社会を制御する文明。記録を取り、その記録を役所が保存する。そのような歴史を21世紀まで継続して存続させたのが日本であった。

 今でも日本人の心の中には、話し合い、分かち合う精神は生き残っている。何しろ、奈良で生まれた精神は、2000年の歴史がある。だからと言って日本人が遺伝子上で優れていると主張するつもりはない。この日本人の精神を誕生させたのは、奈良盆地の地形と気象だからだ。地球上のどの民族も、その地形と気象に適応していく宿命にある。

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【竹村公太郎】日本文明の誕生と発展―奈良盆地と聖徳太子の17条憲法―への2件のコメント

  1. 赤城 より

    川沿いの地形が大きく変わるのは大雨の時であり
    大豪雨のあとは土砂崩れで山や谷の地形も大きく変形する。
    逆にそれが無ければダイナミックな地形の変化は10年単位では起こらない。
    それを見続けていれば大雨がもたらす自然の変化も人間の営みと深くかかわっているというのは間違いないだろう。

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  2. 大和魂 より

    これが古来からの【大和】の語源ですね。
    なので日本社会の基本のベースも古来より明治維新までは、農林水産業が中心でしたのです。

    そして具体的には、大自然との共存共栄であるために、地形や気象や環境などと密着した維持管理の取り組みの実用主義と、もちろん大自然相手だから災害や気象変動などに向き合う取り組みが【和を以て貴しとなす】されていたのが、日本の伝統であり文明の根幹です。

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