コラム

2018年10月1日

【三橋貴明】おカネの話(後編)

From 三橋貴明

【今週のNewsピックアップ】
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いわゆる「国の借金」と戦争(後編)
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前回からの続きです。

人類は伝統的に
おカネに関する誤解を継承し、
「おカネは貴金属(モノ)」
であるという間違った認識を
持ち続けて来ました。

それが、決定的に壊されたのが、
1600年代です。

1600年代の覇権国オランダの
アムステルダム銀行では、
手形と振替の決済が大流行しました。

(1)
A商人が、
アムステルダム銀行に預金しておく

(2)
A商人がB商人から
1,000グルデンの
商品を仕入れた際に、
貨幣(金貨、銀貨)ではなく
手形(借用証書)を振り出し、支払う。

(3)
B商人は手形を
アムステルダム銀行に持ち込み、
A商人の口座から自分の口座に、
1,000グルデンを振り替える

という形で、交易の決算が
行われるようになったのです。

まさに、今の小切手、
約束手形と同じ仕組みですね。

上記の時点で、
おカネは貴金属ではない、
債務と債権の記録(=表券主義)
であることが確定したのですが、
さらにアムステイルダム銀行は、
1680年代に、

「振り替えられたおカネについて、
貨幣化を禁止する」

という英断(今にして思えば)
を下します。

つまりは、
振り替えられたおカネについて、
預金者は「引き出す」「現金化する」
ことが不可能になったのです。

だから何か問題があったのか。

別に、何の問題もありませんでした。

貨幣化はできなくなりましたが、
手形(今風に書くと小切手)は
別に構わないのです。

商人は仕入れの際に手形を振り出し、
支払いを受けた売り手は
手形をアムステルダム銀行に
持ち込み、清算する。

ただ、それだけの話です。

アムステルダム銀行により、
それまでは貴金属が
中心だった貨幣は、単なる
「債務と債権の記録」に
戻りました。

つまりは、
おカネが正常化したのです。

ところで、
当時の諸国の国王は貨幣観について、
未だに金属主義にとらわれており、
戦争のたびに公債を発行し、
金貨銀貨を借り入れていました。

貸し手側は、その国の
「将来の税収」を担保に
公債を引き受けます。

つまりは、
金貨銀貨を貸し付けました。

戦争が終わると、
国王は国内から徴収される税金で、
借金を返済しなければ
なりませんでした。

まさに、
「税金で国の借金を返済する」
というわけです。

「国の借金は税金で
返済しなければならない!
国の借金は将来世代へのツケの先送り」

というレトリックは、
中世欧州では正しかったのです。

その後、アムステルダム銀行、
イングランド銀行といった
「金融システム」が整備されていき、
やがて中央銀行は
「無期限無利子公債」の
発行が可能となります。

要するに、現金紙幣の印刷です。

中央銀行(あるいは政府)が
現金紙幣の発行を独占する場合、
公債の発行残高は
「インフレ率」のみに
制限されることになります。

インフレにならない限り、
政府や中央銀行が
どれだけおカネを発行しても
「問題ない」という話になるのです。

まさに、今の日本がそうなのですが。

とはいえ、政府はインフレ率を
無視してでも公債の発行を
迫られる状況があります。

ずばり「戦争」です。

中世欧州も今も変わらず、
戦争のためには政府は
公債を発行せざるを得ません。

ということは、

「政府に公債を発行させなければ、
戦争は起きないのではないか」

と、一見、正しいロジック
のように思えるわけですが、
現実的には「狂気の発想」に
染まる人が出てきても
不思議ではないのです。

その話はブログのエントリーを
お読み頂くとして、
とりあえず真実の「おカネの話」
を知りたい方は、
下記メルマガで解説しておりますので、
是非ともご購読を。

【週刊三橋貴明 ~新世紀のビッグブラザーへ~】
Vol488 国王公債と中央銀行(中編)
https://www.mag2.com/m/P0007991.html

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【三橋貴明】おカネの話(後編)への1件のコメント

  1. 日本晴れ より

    お金や通貨を物々交換の手段と考えてる人が多いですよね
    だからお金その物に価値を与えようとする
    しかしお金や通貨とは債務や税の記録を記録する手段の物でしかない。そう考えれば日本の財政破綻論者がよくいう通貨の信認が~とか国際的な信認が~とか言ってるのがいかに間違いか分かります。それはお金自体に貴金属的な価値を見出す金属主義の通貨として見てるのと一緒です。

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