コラム

2017年3月30日

【小浜逸郎】「聖徳太子」が「厩戸王」に!?

From 小浜逸郎@評論家/国士舘大学客員教授

「過ぎた話」ということになるのかもしれませんが、文科省が今回の小中学校指導要領改訂で、「聖徳太子」の名を「厩戸王」と改めようとしていたことは、みなさんお聞き及びだったと思います。

理由は、聖徳太子という名が一世紀ほど後でつけられたものだからだそうです。釈然としないことしきりです。
ただし、文科省では、2000字以内でパブリックコメントを求めていました。すでに締め切りの3月15日を過ぎてしまったので、これから意見を寄せるというわけにはいきません。

でも、確定情報ではないものの、どうやら文科省は、批判が多かったので撤回する模様です。一安心というところですが、国民が長くなじんできた日本の歴史を、一部の勢力が恣意的に改竄(かいざん)しようとするこうした傾向は、これからも続くと思いますので、要注意です。

中国や韓国もわが国に関わる近代史をさかんにでっち上げています。これを機会に、一国の歴史とは何かについて考えてみたいので、私が送ったパブリックコメントに若干アレンジを加えて思うところを述べます。

このたび学習指導要領改訂にともない、歴史的分野において、「聖徳太子」の名を「厩戸王」に変更するとの提案がなされましたが、私は断固反対です。聖徳太子が後世の呼称だからというのはまったく理由になりません。歴代天皇の名も多く諡名(おくりな)が使われています。

そもそも歴史とは単なる一回的な事実ではなく、それを共有する共同体のメンバーにとって、今とこれからを生きていくために、受け継ぎ伝えていかなくてはならない「必要不可欠な物語」です。

欧米語でも、歴史を意味するhistory(英)、histoire(仏)、Geschichte(独)などの言葉は、同時に物語という意味にもなります。だからこそ神話と歴史とのあいだにも精神の連続性が存在するのです。

聖徳太子の名は、わが国の精神的・社会的秩序の礎を築いた人として、永らくすべての国民の間に浸透し、親しまれ、紙幣の肖像にも使われてきました。この名を変更することは、日本の歴史の重要な部分を抹消するにも等しい愚挙と考えます。

科学の時代となり、人文系の学問にもその方法をそのまま適用すべく、実証主義的歴史学が主流となっています。事跡をなるべく正確に定めるためにこの方法を駆使することを認めるのにやぶさかではありません。

しかし何事も過ぎたるは及ばざるにしかず。個々の些末な「事実」に過度にこだわると、その学問固有の基本特性を毀損しかねません。

歴史学は時間的連続性の概念を基軸として一定の事象を総合することによって初めて成り立つ学問です。なので、個々の要素に分断してとらえてしまうと、学問としての意味がなくなります。個物をあれこれ抽出して研究する自然科学的な分析とはそこが根本的に違うのです。

今回のような提案をする現代日本の歴史学者たちは、このことがまるで分っていないようです。過度の実証主義は学問のオタク化を招きます。

また、今回の提案は、ことさら聖徳太子を選んで、それにかかわる当代の断片的事実のみに固執し、その後の人々のとらえ方を無視しようとしています。この提案には、オタク化した現在の実証主義的傾向を利用して、天皇家の歴史をなきものにしていこうとする歪んだ政治的意図が感じられます。

将来の日本人のために特に公正中立を期すべき文科省が、このような提案を大真面目に取り上げる試みそのものをたいへん残念に思います。これはまた、官僚の中枢部に、歪んだ政治的意図を実現させようとする勢力が深く食い込んでいることをも意味するでしょう。まことに嘆かわしいことです。

ついでに申し添えます。

いつのころからか「士農工商」が小中学校の教科書から消えました。筆者は大学で、「江戸時代の身分制度を表す四字熟語は?」と質問したことがあります。するとほとんどだれも答えられず、びっくりしました。それでその事実を知ったのです。

これもまったく納得できません。

この言葉が消えた理由は、当時の厳しい身分制度や序列を表す「公式の用語」ではなかったというところにあるようです。それはおそらくそのとおりでしょう。しかし、言葉自体は人口に膾炙(かいしゃ)して広く存在しました。実際にこの言葉を用いる当時の人々の意識の中で、身分(アイデンティティ)感覚が自覚されていたことは疑いないところです。
およそかつてあった言葉を抹殺することは、歴史に思いをいたすことにとって大きな障害になります。キーワード的な言葉がないと想像力のはたらきようがないからです。

今回の指導要領改訂案では、「鎖国」「元寇」の表記も消すことになっていました。

「鎖国」について。

たしかに中国やオランダを通して外国と通商していたのですから、完全に国を閉ざしたのではありません。けれどもそれに近い状態であったこともまた事実です。

この言葉はオランダ語の訳語だそうですから、他国から日本を見た時の否定的な形容だったようです。おそらく明治近代以降に、日本人自身が封建制の過去を否定的に振り返ることによって日本語として定着していったのでしょう。

江戸時代をことさら否定的に見ること自体には確かに問題があります。しかしこの言葉は、幕末に西洋文明に触れた衝撃の大きさをきっかけとして、日本の近代化が急速に成し遂げられた過程を理解するのに象徴的な意味を持っています。

士農工商にしろ鎖国にしろ、たとえそれらの言葉がどれほどネガティブなニュアンスを連想させようと、人々の間でそれらがごく普通に用いられたという事実は消えません。要は、いつごろ、どのような仕方で使われたのかということも合わせて学ぶようにすればよいのだと思います。

現在の時点から見たいわゆる「史実」と異なるからといって、かつて人々の生活史の中で深い意義をもっていた言葉を抹殺してしまうというような現在の歴史学界の傾向には、とうてい賛成できません。

「元寇」について。

これはおそらく、現在の中共政府が、自国の歴史の「善なる一貫性」を担保するために、明らかな侵略行為であった史実を抹消しようと意図していることに関係があります。

元は漢民族がモンゴル民族に支配されてできた王朝ですが、中共政府は、その歴史をも抹消したいのでしょう。エビデンスはありませんが、ここでも、文科省の中枢部に、そういう考えを承認する勢力が入り込んでいることが推定されます。

もしこの推定が当たっているとすれば、中共発の「歴史戦」は、国際社会という表舞台においてだけではなく、わが国の中枢部において、「深く静かに潜航」しているのです。今回は危うくその魚雷を避けることができましたが、国民はこれからもずっと警戒を怠ってはなりません。

 

 

(小浜逸郎からのお知らせ)
●小浜逸郎ブログ「ことばの闘い」
http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo
●最近著
『13人の誤解された思想家』(PHP研究所)
『デタラメが世界動かしている』(PHP研究所)
●雑誌掲載原稿
「誤解された思想家たち(23) 鈴木正三」(『表現者』70号)
「誤解された思想家たち(24) 伊藤仁斎」(『表現者』71号)
「誤解された思想家たち(25) 山本定朝」(『表現者』72号・未発売)
「プレ金なんて関係ない(仮)」(『正論』2017年5月号・未発売)
「サイコパスは生まれつきか(仮)」(『Voice』2017年5月号・未発売)
●ネットテレビ
〇チャンネル桜「討論」
「世界は今、そしてこれからー西部邁氏を囲んで」
https://www.youtube.com/watch?v=FHEalfD_4wc&t=1420s
〇Channel Ajer出演
「日本の民主主義が正しく機能していない」
「公共投資を増やさなければ日本は亡びる」
「トランプ氏の難民政策は自由への裏切りではない」
http://ajer.jp/video/search?k=%E5%B0%8F%E6%B5%9C%E9%80%B8%E9%83%8E&x
https://www.youtube.com/watch?v=1cjSk_5JePE&t=3s
https://www.youtube.com/watch?v=pA6Ij3d6uyk&t=351s

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【小浜逸郎】「聖徳太子」が「厩戸王」に!?への4件のコメント

  1. 赤城 より

    日本国には先進国が絶対に欠かしてはならない国家を維持する上で必ず必要な防御機構が意図的に無くされている。それは国家国民のために他国のように武器が使える軍と国家国民を他国の諜報員から守護する対スパイ諜報組織とスパイ防止法である。軍隊は表で他国の脅威から国家国民の命を財産を守るために他国の軍事力に最低限対抗できる力を保持する必要がある。当たり前のことだろう。対スパイ諜報組織は裏で暗躍する他国の諜報員の活動の脅威から日本人を物理的にも精神的にも守るために必ず必要である。そして他国の諜報に同等に対抗するためには自国の諜報員を他国で活動させることも重要になるが日本にはまず自国内で日本人を守ることができないことが致命的であるので最低限これだけは何とかするべきなのである。もうその致命的な状況が何十年も続いて放置された結果、日本の中枢の政治家と官僚はほとんど完全に隣国の諜報活動に浸透されきってしまい他国の都合で国家を壊され続けている。そしてそれに対抗する手段も何も当然ないのである。致命的な病気に完全に冒されてしまったようなものだ。裏で暗躍され続ければ表では何も変わってないように見えるが水面下では、もし日本人の権力者が日本のために動こうとしても身動きが取れない事態が作り出されていて打つ手は無くなってしまう。国家のために動く他国の諜報組織の活動に個人が太刀打ちなどできるわけがない。だからこそ当たり前のように日本の亡国は必然になっていくのだろう。免疫のない裸の体でいつでも食い殺して下さいとやっているようなものだ。現政権はこうするしかないというように頼りにしているアメリカ様に完全に食べてもらおうと必死になっているようだが。

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  2. たかゆき より

    神 狩り♪

    神を消すには まず 言葉からなのでしょう、、、

    「仮想敵国」も 「なんちゃって同盟国」も
    政治家 官僚中枢部に工作員を潜り込ませているかと。。

    最も優秀な工作員とは
    工作員と己で自覚させないように 仕立て上げた工作員とか

    その意味では
    現総理は とても 優秀

    この国が日本として存続できるのは
    天皇制が存在するおかげ
    昨今の天皇制に関する議論を眺めるにつけ

    天智以来の Y染色体を
    根絶やしにしてしまおうという
    どす黒い意図を感じる今日この頃

    左翼でも右翼でもない
    垂直尾翼であるべき皇室が
    左旋回しつつあるのでは ないか??と
    思ってしまうのだ ♪

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  3. あまき より

    「青葉しげれる」も「海ゆかば」も「仰げば尊し」も学校で教わらないし歌わないというから、年寄りの恥かきっ子みたいな我が家の低学年に楽器を教える際、たまに弾いて聴かせている。弾きながら、林光の編曲の妙、子どものころテレビで聴いた立川澄人を思い、ひとり密かに感じ入っているが、子どもは、歌詞がぜんぶ「君が代」に聞こえる、と言う。

    何たることぞと思い、ならばと国歌を弾くと、これは元気に歌って得意だから、へええと思った。いまは学校で「君が代」をちゃんと教えるのだそうで、確かに球場でもいい大人たちより子どもたちの方がてらいなく歌っている。

    しかし世代間を連帯させているのが「君が代」くらいしかないのは喜ぶべきか悲しむべきか、と言いかけたら、すかさず子どもが、あと「トムとジェリー」もあるよと言った。聞けば70の祖母が覚えていて歌えるのだった。

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