コラム

2016年4月27日

【佐藤健志】思考の流れが詰まるとき

From 佐藤健志

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かつて日本は「一億総中流」などと言われ、比較的、経済格差の少ない国だとされていた。その「一億総中流」の経済力によって、大きな経済成長を遂げてきた国だった。

しかし、それも「今は昔」。デフレが深刻化するとともに、経済格差の拡大が問題視されるようになっている。

三橋貴明はその原因を政府が「デフレを甘く見ていること」と「実質賃金を軽視していること」と指摘する。特に「実質賃金」は重要なキーワードであるという。

実質賃金とは物価変動の影響を除いた賃金のことだが、要するにモノやサービスを「買う力」を表している。

この実質賃金が、日本では1997年をピークに下がり続けているという。株価が上昇していたアベノミクス初期ですら、実質賃金(=買う力)は下がり続けていたのだ。

なぜ、日本国民の「買う力」は低下し続けているのか。また、この事実はデフレや格差拡大とどのように関係しているのか。

三橋貴明が、デフレの正体やその脱出法とともに詳しく解説する。

『月刊三橋』最新号
「日本経済格差拡大のカラクリ–実質賃金の軽視が招いた大災害」
http://www.keieikagakupub.com/sp/CPK_38NEWS_C_D_1980/index_mag.php

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【おことわり】
今週の記事には、飲食中にお読みになるには不適切な内容が含まれています。
食事の直前や直後にお読みになるのも、避けたほうが良いでしょう。
以上の点にご留意のうえ、ご覧くださいますようお願いいたします。

朝日新聞政治部次長・高橋純子さんによるコラム風の記事「『だまってトイレをつまらせろ』 あなたならどうする」をめぐる考察の3回目です。
1回目は本紙4月6日付、2回目は同4月13日付で配信されました。
また高橋さんの記事は、下記URLでご覧になれます。
http://digital.asahi.com/articles/ASJ2V54CGJ2VUTFK00L.html?_requesturl=articles/ASJ2V54CGJ2VUTFK00L.html

さて。
高橋さん、詰まったトイレ(のイメージ)に「きらめくなにか」を感じてしまい、深くこだわっているのですが、その契機となったのは、ある本で次のような設問に接したことでした。

ある工場のトイレが水洗化され、経営者がケチってチリ紙を完備しないとする。労働者諸君、さあどうする。

で、こんな対応が提起されていたとか。

新聞紙等でお尻を拭いて、トイレをつまらせる。
チリ紙が置かれていないなら、硬かろうがなんだろうが、そのへんにあるもので拭くしかない。意図せずとも、トイレ、壊れる、自然に。修理費を払うか、チリ紙を置くか、あとは経営者が自分で選べばいいことだ――。

高橋さんはこの発想から、「生かされるな、生きろ。私たちは自由だ(=体制の支配に飼い慣らされず、自分の意志で自由に行動せよ)」というメッセージを受け取り、いたく感動したのです。

いやしくも新聞記者が、「新聞紙等でお尻を拭いて、トイレをつまらせる」ことに、そこまで心を打たれなくとも良さそうなもの。
自分の書いた記事が、クソまみれになるかも知れないのですぞ。

しかしこの点は、「キッチュ」(思考停止を伴う自己絶対化)の概念を当てはめることで、キレイに説明できる。
キッチュに陥った人間は、往々にして大便に異様な執着を見せるのです。
旧ソ連の独裁的指導者スターリンの長男、ヤーコフ・スターリンなど、そのために死を選んだくらい。
これについては、過去2回の考察、および『戦後脱却で、日本は「右傾化」して属国化する』をご覧ください。
http://www.amazon.co.jp//dp/4198640637/

他方、朝日と言えば、わが国の左翼・リベラルを代表する新聞。
『戦後脱却で、日本は「右傾化」して属国化する』で論じたとおり、戦後日本の左翼・リベラルは、「絶対平和主義」や「国家権力の否定」、あるいは「憲法擁護」といった点について、キッチュの傾向を強く見せてきました。

高橋さんが〈現体制に負けるな〉という意味合いをこめて、「おのがお尻を何で拭こうがそもそも自由、チリ紙で拭いて欲しけりゃ置いときな、という精神のありようを手放したくはないと思う」と主張したのも、こう考えれば無理からぬことと言えるでしょう。

ただし。
キッチュには「明らかに無理のあるタテマエを、思考停止によって美化・絶対化する」という特徴が見られます。
詰まったトイレをめぐる高橋さんの主張も、決して例外ではありません。

無理はどこにあるのか?
お分かりですね。
「生かされるな、生きろ。私たちは自由だ」などと言いつつ、彼女は〈工場で働くこと自体、経営者の支配を受け入れることではないのか〉という点には、ついぞ思い及ばないようなのです。

どんな工場にだって、就業規則があるに決まっている。
それを受け入れて勤務するのは、「生かされる」こと(=自由の放棄)に該当しないらしい。
ところが当の工場のトイレに、経営側がトイレットペーパーを置かないことを受け入れ、ポケットティッシュなど持参したら最後、経営者に飼い慣らされ、自由を放棄したことになるのです!

すなわち、
〈おのがお尻を何で拭こうが自由だが、職場を辞める自由は存在しない〉
というのが、高橋純子さんの考える「労働者の自由」のあり方。

まあ、そうとでも構えないかぎり、高橋さん自身、朝日新聞社の支配のもとで生かされていることになりかねないのですが、何ともみみっちく、ついでにクサい自由ではありませんか。
トイレ以前に、思考の流れが詰まっているのでは? と思われても仕方ないでしょう。

ついでに。
高橋さんによると、労働者が新聞紙などで尻を拭き、トイレを詰まらせる戦術に出た場合、経営者には次の二つの選択肢しかないらしい。
1)トイレの修理費を払う。
2)会社の経費でトイレットペーパーを置く。

またもや、相当に思考の詰まった発想です。
私の考えるところ、こんな選択肢だってあるのですから。

3)監視カメラを置き、誰がトイレを詰まらせているか突き止める。その労働者(たち)を解雇したうえ、器物損壊で告訴する。
4)トイレの入り口に板を打ち付け、使用禁止とする。用を足したい労働者には、遠かろうが何だろうが、工場周辺にある公衆トイレを使ってもらう。ただし、だからといって休憩時間の延長はしない。不便さに耐えるか、我慢できずに失禁するか、あとは労働者が自分で決めればいいことだ――。

要するに高橋さん、
〈自分たちが何をしようが、体制側は「支配を受け入れて生かされる権利」を保障してくれるし、そのためのインフラ整備もやっておいてくれる〉
ことを自明の前提と見なしているのです。
ここで言う「インフラ整備」とは、「工場内のトイレを、つねに使用可能な状態にしておく」ことですよ、念のため。

体制に依存しながら反体制を気取り、みずからの矛盾に気づきもしないまま、〈真の自由人〉であるかのごとき陶酔にひたる!
まさに思考停止を伴う自己絶対化、すなわちキッチュではありませんか。
とはいえ、こんな「自称・反体制」が、体制をくつがえす力を持つことはない。
そもそも体制に甘えているのだから、当たり前の話でしょう。

「チリ紙で拭いて欲しけりゃ置いときな、という精神のありようを手放したくはないと思う」
という主張も、こうなると
「現体制の枠内で甘えながら反抗する、という左翼・リベラルのあり方を変えたくはないと思う」
と読み替えねばなりません。

ここまで思考の流れが詰まっているからこそ、
「クソまみれの新聞紙で詰まったトイレ」のイメージが、ますますきらめいてしまうのですよ。
〈詰まる〉ことが勝利をもたらす点で、高橋さんにとり、くだんのイメージは「思考停止は良いことだ」という含みを持っていたに違いありません。

そうです。
キッチュにおいて、行き詰まることは良いことなのです。
とはいえ客観的に見れば、それは矛盾だらけになったあげくニッチもサッチも行かなくなることでしかない。
「だまって思考をつまらせろ」
あなたならどうしますか?

なお来週(5/4)と再来週(5/11)は、都合によりお休みします。
5/18にまたお会いしましょう。
ではでは♪

<佐藤健志からのお知らせ>
1)残念ながら思考停止は、左翼・リベラルの専売特許ではありません。詳しくはこちらを。

『愛国のパラドックス 「右か左か」の時代は終わった』(アスペクト)
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2)左翼・リベラルが反体制を気取りつつ、じつは体制に依存してきた経緯についてはこちらを。

『僕たちは戦後史を知らない 日本の「敗戦」は4回繰り返された』(祥伝社)
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3)行き詰まりが良いことのように思えてしまう背景には、近代日本そのもののジレンマがあります。それについてはこちらを。

『夢見られた近代』(NTT出版)
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4)「物事をぶち壊したり、台なしにしたりするには、手腕ではなく腕力があれば十分だ。そんなことに議会はいらぬ、暴徒にやらせておけばよい」(196ページ)
とはいえトイレを壊すには、腕力すら不要のようです。

『新訳 フランス革命の省察 「保守主義の父」かく語りき』(PHP研究所)
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5)「主体性は本来、誰にでも備わっている。固定観念に縛られたあげく、それを放棄してしまう者が多いだけのこと」(118ページ)
思考停止の弊害は、アメリカ独立当時から認識されていました。

『コモン・センス完全版 アメリカを生んだ「過激な聖書」』(PHP研究所)
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6)そして、ブログとツイッターはこちらをどうぞ。
ブログ http://kenjisato1966.com
ツイッター http://twitter.com/kenjisato1966

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かつて日本は「一億総中流」などと言われ、比較的、経済格差の少ない国だとされていた。その「一億総中流」の経済力によって、大きな経済成長を遂げてきた国だった。

しかし、それも「今は昔」。デフレが深刻化するとともに、経済格差の拡大が問題視されるようになっている。

三橋貴明はその原因を政府が「デフレを甘く見ていること」と「実質賃金を軽視していること」と指摘する。特に「実質賃金」は重要なキーワードであるという。

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なぜ、日本国民の「買う力」は低下し続けているのか。また、この事実はデフレや格差拡大とどのように関係しているのか。

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