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2014年8月20日

【佐藤健志】朝日の異常な愛情

From 佐藤健志@評論家・作家

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本紙編集長の三橋貴明さんは、最近配信された二つの記事「朝日新聞」「日本を貶める朝日新聞」において、いわゆる慰安婦問題をめぐる同紙の姿勢を鋭く批判しています。

厳密に言うと「朝日新聞」には、「続 朝日新聞」という記事も含まれているのですが、それは脇に置きましょう。

むろん、朝日は批判されても仕方ない立場にある。
慰安婦を強制連行したという証言が、実際にはウソだったにもかかわらず、繰り返し取り上げてきたのですから。

証言が虚偽であったことは、朝日も今や認めています。
ウソを承知で載せたのではなく、掲載当時はウソを見抜けなかったのだと弁明していますが、そんなことは何の言い訳にもならない。

映画監督の伊丹万作さん(この人は伊丹十三さんの父であり、大江健三郎さんの義父にもあたります)の名台詞にならえば、「だまされる」ということは、それ自体が一つの悪なのです。

大島渚さんの著書『体験的戦後映像論』(朝日選書、1975年)より、伊丹さんの言葉を紹介しましょう。

「だまされるということは、もちろん知識の不足からも来るが、半分は信念、すなわち意思の薄弱からも来るのである」

「我々は昔から『不明を謝す』という一つの表現を持っている。これは明らかに、知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまりだまされるということも、また一つの罪であり、昔から決して威張っていいこととは、されていないのである」

「だまされた者の罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた(ことにある)」
(『体験的戦後映像論』、276ページ。表記を一部変更)

証言のウソを見抜けなかった(=だまされていた)という弁明が事実だとすれば、朝日には「信念と意思の薄弱」の罪がある。
批判力・思考力を喪失したせいで、家畜的な盲従に甘んじていたことになるのです。

ほかならぬ朝日新聞社が出した本に、そう書いてあるんですから。

何とも恥ずべき話なので、朝日新聞の名誉のためにも、「ウソだと分かっていたが、あえて載せた」のが真相であることを祈りたいところ。
三橋さんも同意見のようですね。

さて。
慰安婦の強制連行というのは、いかにも人聞きの悪い話。
三橋さんが「日本を貶める(もの)」と怒るのはもっともです。
いわく、

「日本国の国益がどれだけ損なわれたことか・・・・。わたくしたちの先祖の名誉が、どれほど傷つけられたことか・・・・。怒りを禁じ得ません」

とのこと。

けれどもここで、考えてみたい点があります。
先週の記事「驚異! 九条せんべい」を思い出して下さい。

憲法九条を崇拝する人々の中では、

「日本が戦争を放棄し、軍事力を持たないことにした(=安全保障上、きわめて弱体になった)ことこそ、太平洋戦争に敗れてなお、日本が世界で最も強く、かつ正しい国である証しだ」

という、倒錯したトンデモ論理が成立している!

したがって軍事力を整備するなど、安全保障政策を真剣に追求したら最後、日本はいっそう強くなるどころか、非武装の際に誇っていた強さや正義を失い、かえって弱くなってしまうのだ!

──これが前回の結論でした。

九条崇拝に取りつかれた人々の中では、国家の「強さ」と「弱さ」をめぐる概念が、完全に逆転しているのです。

しかるに、であります。

三橋さんによれば、朝日新聞は「理屈抜きで日本国を嫌い、日本を貶めるために手練手管の限りを尽くす」新聞。

この姿勢、理屈抜きで九条を神聖なものと見なし、一体化するために手練手管の限りを尽くす、九条崇拝の人々とよく似ているではありませんか。
現に朝日も、崇拝までしているかどうかはともかく、九条を擁護する姿勢を長らく取ってきました。

朝日新聞の中でも、

「誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)」と「賛美」をめぐる概念が完全に逆転したあげく、
「日本を悪として貶めることこそ、日本が強く正しい国であると賛美することだ」という、倒錯したトンデモ論理が成立しているのではないでしょうか?

スタンリー・キューブリック監督の有名な映画の邦題にならえば、さしずめこんなところ。

「朝日の異常な愛情──または彼らは如何にして心配するのをやめて、日本を貶めることこそ日本を愛することだという錯覚に陥ったか」

この心理的メカニズムを理解するには、ふたたび『僕たちは戦後史を知らない』を参照していただかねばなりません。

ここで私は、いわゆる「昭和の戦争」について批判的な立場の人々が、戦前の日本の悪い点、わけても軍が犯した(とされる)残虐行為については熱心に語り継ごうとする一方、敗戦後の占領体験については、さっぱり語り継ごうとしないことの矛盾を指摘しました。

「もとより外国に占領されるのは、常識的に言えば、不名誉かつ情けないことである。日本人が占領期について目を向けたがらないのも、その意味で分からなくはない。だがそうなら、あの戦争にたいする否定・反省の度合いも知れたものと言える」
(36ページ。読みやすさを考え、表記を一部変更)

だってそうじゃないですか。
日本は戦争に負けた結果として占領されたんですよ。
ついでにポツダム宣言を読めば分かりますが、占領もまた、日本と連合国の間の戦争の一部。

占領を直視したがらない者が、戦争を真に反省しているはずがない。
ならばなぜ、戦争体験(とくに日本を「悪」と位置づけるもの)については、熱心に語りたがるのか。

「これらの人々は『戦前の残虐行為』について、内心では恥じるどころか、じつは誇っているのに違いない。
国が占領されたのは、こちらが相手より弱かったことの決定的な証拠なのにたいし、他国に攻め込み、残虐行為を実践できたのは、こちらが相手より強かったことの決定的な証拠だからである」

「『日本軍はこんなに殺しまくったんだぞ、バンザイ!』と胸を張るよりは、『戦争は狂気です、本当に恐ろしいものです』と、しおらしい顔をしてみせた方が、格好がつくだけの話なのだ」
(同)

このトンデモ、かつ偽善的な論理について、さらに追求したい方はこちらをどうぞ。
http://amzn.to/1lXtYQM

さあ、九条崇拝と朝日的な日本批判の関連性がますます見えてきましたね

九条崇拝のもとでは、安全保障における弱さこそ、国の強さと正義の証しとなります。
裏を返せば安全保障における強さは、国の弱さと悪さの証し。

しかし『震災ゴジラ!』収録の評論「戦後日本の政治的エロス」で論じたとおり、これは「インポこそ絶倫」と言い張るようなものです。

現実の世界では、
インポは厳然としてインポであり、
絶倫は厳然として絶倫。

『マクベス』の魔女の台詞じゃあるまいし、「弱さは強さで、強さは弱さ」などという理屈は通用しません。

政治思想にも下半身があることを、もっと知りたい方はこちらをどうぞ。
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──日本だって、本来の意味で強い国であってほしい!
正常な愛国心を持ち合わせた者であれば、こう考えて当然です。

しかるに九条崇拝的発想では、本来の意味で強い国は、弱く悪い国ということになってしまう。

当のジレンマを解決するには、

1)戦後日本とは全く別物である(ということになっている)戦前の日本について、強さを繰り返し強調する。
2)ただしその強さは、正義のあらわれではなく、戦前の日本がいかに悪かったかの証拠だと位置づける。

これが最も有効なのです!
かくして「朝日の異常な愛情」は完成する。

今回問題となったのが、慰安婦の強制連行という、下半身に直結する事柄だったのは、その意味で偶然ではありません。
強制連行、それはインポが憧れた絶倫の夢なのです。

私の公式サイト「DANCING WRITER」(http://kenjisato1966.com)でも、このような戦後日本特有のトンデモ論理について、さらに取り上げています。
ぜひ、あわせてご覧下さい。

ではでは♪(^_^)♪

PS
ドイツとEUの闇とは?
https://www.youtube.com/watch?v=DID9wg3PIVo

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【佐藤健志】朝日の異常な愛情への8件のコメント

  1. 日本財布論、改め、日本連帯保証人論 より

    >『マクベス』の魔女の台詞じゃあるまいし、「弱さは強さで、強>さは弱さ」などという理屈は通用しません。かの『マクベス』は、「省略の美学」の陥穽をめぐる悲(喜)劇という一面を持つと思います。その事を踏まえ、「弱さは強さで、強さは弱さ」を冗長性を厭わず一義性を期して読みかえてみましょう。すると、こうなる。「(腕っぷしの)弱さは(、しばしば、おつむの)強さ(を発揮洗練する好機たり得、その一方)で、(腕っぷしの)強さは(、往々にして、おつむの)弱さ(に甘んじる安易さに流れがちである)」こうしてみると、摩訶不思議な神秘性など何ひとつない、実に単純で平明きわまりない命題です。「平板」といっていいくらいに。

  2. 三須雅彦 より

    宣戦布告から、講和条約発効までの期間が法的には戦争であると思います。日本国憲法が成立した時、法的には戦争は終了していません。9条を崇拝する人々だけでなく、憲法学者も、憲法学上、占領軍を日本に留め置くことや、講和条約を締結する法的行為は9条2項の交戦権の行使に該当するのではないかということを全く考えてこなかった。個別的だろうが集団的自衛権だろうが、憲法の条文から直接導き出したのではなく、日本も主権国家なのだから、それらの権利は持っている。それを9条が否定しているとは言えないだろうというのが解釈の論理構成らしい。武力を行使する場合、最小限に止めなければならないことから、集団的自衛権は認められないと解釈されてきた。9条1項を読めば、最小限どころか、武力による威嚇すら放棄したと読めるが、どこからともなく最小限という法解釈が出てくる。私の考えでは、日本が主権国家であるという前提で、憲法9条は解釈しなければならないと思う。というか、実務上はそのように解釈している場合もあると思う。だが、それでは、9条は死文化してしまうので、何とか守っているように、集団的自衛権は持っているが、行使はできないとか、自衛隊は軍隊ではないとか、奇妙な理屈を編み出している。自衛隊が軍隊でなければ、そこに所属する者も軍人ではないはず。だから、文民であるはずだが、文民統制というおそらく軍人に対して使う言葉を自衛官に対して使う。無意識に、軍人として扱ってはならないはずの自衛官を軍人扱いしているのだろう。私は、日本人は憲法9条を遵守していないと思う。陸海空軍も持っているし、交戦権も行使している。2項に書いてあるその他の戦力に米軍が該当すると思う。基地や金を米軍に提供していることは集団的自衛権の行使に当たると思う。当たらないというなら米軍に対して、土地や金を提供することは何という権利の行使なのだろうか。湾岸戦争の時に、戦争が遂行できる十分な戦費を出したことがあったけれども、あれは個別的自衛権の行使なのだろうか。安全保障における弱さこそ、国の強さと正義の証しと考えているのかどうかはわかりませんが、日本人は、憲法9条にとって、都合の悪い事実は見ないで、守ってもいない規範を、守っているかのように思い込んでいる間抜けにしか思えない。

  3. あまき より

    >インポが憧れた絶倫の夢さすが。この新聞の本質を言い表すのにこれ以上適切な表現はない。サンゴのイニシャル事件が起きた時だったと思うが、この新聞は猥褻だと年上の人が言うのを聞いて、その意味がわからなかった。意とするところを問うと、「教師というのはオトコもオンナも大抵ムッツリだ。その連中が支持して飽きないってんだから、うす汚ねえキワモノの類いに決まっている。つまり、スケベネタはすぐ飽きられる。連中の飽きが来ないようにどんどん過激にして繰り返す。連中のアタマが真っ白になって、昂奮で何も考えられなくなるまで、刺激がないと収まらなくなるまで繰り返すんだよ」と平気で言い切った。その人はいわゆる団塊の世代で、江藤淳を悪しざまに言う人だったから、あまりに意外だったので、よく覚えている。「ひとたび新聞に書かれたらその汚名はそそげない」事ある毎に憤っていた山本夏彦が泉下で莞爾とするときが、ほんの少しだけ近づいたか。

  4. Etsuko Ueda より

    もちろん、当時のマスコミが検閲を受けて、それをどう内部規制化していったかについての回顧録も誰か書き残すべきでしょうね。

  5. Etsuko Ueda より

    言論統制を受けた当時のマスコミがそれをどう内面化していったか、ですよね。「自分は言論統制で検閲の仕事をして高給を貰っていた」という回顧録・告白を書いた人はいないのでしょうか。

  6. 日本財布論、改め、日本連帯保証人論 より

    >ついでにポツダム宣言を読めば分かりますが、占領もまた、日>本と連合国の間の戦争の一部。法的、形式的には(言うなれば治者の論理からは)そうでも、当の国民自身の認識としてどうだったのか。後世の「歪んだ歴史意識」なるものの下ばかりではなく、当時から、戦争は8.15をもって(実質的に)終ったと見られており、占領を戦争の一部としてカウントするという感覚は希薄だったのではないでしょうか。そうでなければ、政府の方針が何であれ、それこそ、山野に立てこもってゲリラ戦でも何でも続ける者がそこかしこに出てきてもおかしくはないはずです。そういう動きが一部たりとも見られなかったということが、当時の国民の心のもちようの何たるかを物語っていると思います。当時ですらそうだったのだから、「占領を戦争の一部として後世から回顧する」という発想が、私どもパンピーには「独自研究」じみて見えてもおかしくないでしょう。

  7. Etsuko Ueda より

    私にはどう見てもストックホルム症候群にしか見えません。被征服者であることを直視できなくて、征服者に従っているのは被征服者の地位から逃れられないからではなく、それは自分が望んだことであり、それが正しいからという議論に救いを見出すほかない。それを正当化しようと躍起になればなるほど、つじつまの合わない詭弁になる。そういう側面もあるのではないかと思います。

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