【施 光恒】民主主義の終わり

From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学

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【解説】
人口減少で好景気になる理由
https://youtu.be/To6OMrIABwI

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おっはようございま~す(^_^)/

前回のメルマガ記事では、大筋合意が得られたTPPの条文(暫定案文)に日本語訳がないことを問題にしました。また、TPPの正文は、英語、スペイン語、フランス語であり、日本語が入っていないことも指摘しました。

去る12月3日の衆議院の審議(内閣・農林水産連合審査会)で、ほぼ同様のことを、福島伸享議員(民主)が取り上げています。

福島議員と甘利明大臣のやりとりが大変興味深いので、下記のリンク先の動画をぜひご覧ください。

「衆議院TV インターネット中継」(2015年12月3日(木)、上から七番目の福島伸享議員の質疑。TPP案文の翻訳に関することは、福島議員の質疑開始の5分30秒後あたりから12分後ごろまで。甘利大臣の答弁は8分後あたりから。)
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=45355&media_type=wb

まず、福島議員が、「概要だけではなく、TPP案文全文の日本語訳を公開するのか、しないのか」について尋ねます。

すると甘利大臣は、だいたい、次のように回答します。

「英語っていうのは世界共通語でありますから、この種の条約をするときにはですね、日本とどこかの国の二国間協定でも日本語が使われない場合がある。TPP協定の場合は、正文は英語、スペイン語、フランス語だが、解釈問題が生じたときは英語が優先するということになっています。ですから、スペイン語、フランス語でやってもですね、この主張がこうだとおっしゃっても、英語が優先することになっております」。

つまり、甘利大臣は、質問をはぐらかし、そのうえで「TPP協定の条文解釈権は英語のみにある」ということを強調します。

甘利大臣の答弁は、質問に対する回答になっておりませんので、福島議員はあらためて下記のように質問します。

「TPP域内では日本のGDPは非常に大きい。日本語を正文に加えるべきだという交渉をなぜしないのか。正文にしないというのなら、仮訳でもいいから、なおさらすぐに日本語に翻訳して、国民的議論を巻き起こすのが日本国の政治家としての役割ではないか」。

再び答弁に立った甘利氏は、「日本語訳についてはTPP協定が署名されてから出す」と述べたのち、さきほどと同じことを繰り返します。

「例えば、(TPP条文の)フランス語と英語の解釈が違ってきた場合には、英語が優先するんですよ、これは。どういう解釈の違いだと競った時には、英語が優先するんですよ。これは大事な話ですよ、本当に」。

このように、「解釈権は英語にあるのだ」と繰り返す甘利氏の回答は、まとはずれな印象を与えるものです。TPPの案文だけでなく、甘利氏の言葉も翻訳が必要なようです。たぶん甘利氏は、以下のように言いたいのでしょう。

「英語は、世界共通語である。フランス語やスペイン語が英語と並んで正文に加えられる一方、日本語がそうならなかったからといってフランス語やスペイン語を羨んだり、日本語が正文から落ちたことで私を責めたりしてはならない。フランス語やスペイン語が正文に加えられたと言っても、解釈権は世界共通語たる英語にあるのであり、実質上、フランス語やスペイン語も日本語と変わらないのだから」。

甘利氏のこの発言、大変情けないと思います。

特に、「英語が世界共通語である」などと、日本の責任ある政治家がすんなりと認めてしまっていいのでしょうか。

ビジネスマンの発言ならまだ理解できます。しかし、政治家は、それも「国家百年の計」たるTPP交渉を指揮する政治家が、「英語が世界共通語である」と公言してはばからないのは大問題です。

確かに、現在の世界では、事実上、ビジネスや政治の言葉として英語は大いに優勢です。ですが、いうまでもなく、これは、日本をはじめとする非英語国の国民に一方的に不利な立場を押し付ける不当な、公正ではない世界のあり方です。

だからこそ、TPP交渉を指揮する政治家や、実際に交渉に当たる官僚は、「せめてTPP域内では、日本人が活躍しやすい場を作り出してみせる! 日本語や日本の商慣習がなるべく認められ、日本人がなじみやすく能力を発揮しやすい環境を実現するぞ! 日本企業や日本人の海外進出が少しでも楽になるように後押しするのだ!!」というぐらいの気概をもつべきだったのではないでしょうか。

TPP域内では、日本は、アメリカと並んで圧倒的な経済大国です。こうした主張をしてもまったくおかしくなかったはずです。

それなのに、最初から、「英語は世界共通語だから」と言っているようでは、ハナから交渉になりません。

くわえて、TPP条文の最終的な解釈は英語条文に依拠するということも、これも、日本など非英語国にとっては、非常に不利なことです。この不利益も、もっと強く意識し、他の非英語国と連携のうえ是正できなかったのでしょうか。

TPP条文は、今後、法的には、日本の国内法よりも上位に来ます。我々の生活を律するかなり多くのルールが、我々の日常感覚では判別できない英語の微妙な解釈に左右される恐れが出てくるわけです。これは民主主義の観点から、とてもまずい状況です。

日本語も正文として認めさせ、そして正文として認められた言語には、それぞれ同等の解釈権を付与すべきだ、と主張し、交渉するべきでした。

11月20日付の三橋さんのブログでも引用されていましたが、『日本農業新聞』の記事(2015年11月19日付)の伝えるところによると、外務省の担当者は、TPP交渉で「日本が日本語を正文にしろと提起したことはない」とあっさり認めています。

外務省は以前、日本語が正文に含まれないことについて、日本がTPP交渉に遅れて参加したことを理由に挙げていました。しかし、これはその場しのぎの言い逃れだったようです。日本と同様、後から参加したカナダは、ケベック州などの国内の一部でしか使われていないフランス語も、正文として認めさせました。

矛盾を突かれた外務省は、『日本農業新聞』のこの記事によれば、フランス語話者に配慮することは「カナダには政治的に非常に重要な課題だ。日本語をどうするかという問題とは文脈が違う」と言い放ったそうです。ひどい話ですよね。

現在の日本の指導者層の人々は、悲しいかな、ホント「内弁慶」ではないでしょうか。国内では「若い人は内向きでけしからん!」「グローバル化の時代だから、これからは中小企業も外に打って出ろ!」「攻めの農業だ!!」などと、とても勇ましく国民を煽るのに、国際交渉では、将来の日本人の生活を大いに左右する言語の問題であっても、やすやすと譲ってしまいます。
(-_-;)

TPP条文の日本語訳の公開は、結局、甘利氏が述べているように、TPP協定の署名後になるようです。それまでは、国会議員を含む大多数の日本人は、TPPの全容を理解するためには、難解な法律用語からなる膨大な英文を読み込まなければなりません。大多数の日本人にとって、TPP条文の全容を把握し、吟味することは、実際上、非常に困難です。TPPの内容に関し、十分な国民的議論ができるわけがありません。

そして、TPP条文の日本語全訳がやっと公開されたあかつきには、政府は、まず間違いなく、今度は次のように言って国内の異論を封じるのでしょう。

「TPPの内容については、これはもう国際的に決まったことだから、つまり、いわば『国際公約』なのだから、いまさら覆すことはできない。 他の交渉参加国に迷惑をかけるわけにはいかない!」

このようにして、日本国内の制度や政策は、十分な民主的審議を経ることなく、グローバルな投資家や企業にのみ有利な形にどんどん変えられていくのでしょう。

ほんと、ヤレヤレですね…
(´・ω・`)

長々と失礼しますた…
<(_ _)>

〈施 光恒からのお知らせ〉
●12月12日(土曜日)に福岡のカフェで開催されるこじんまりとした勉強会の講師を務めます。
前回と同様、「グローバル化が損なう日本の活力」というテーマで話します。今回は特に、自由民主主義の政治の基礎には、ナショナルなもの(国民の連帯意識や国や社会に対する愛着の念)が必要ではないかというような話をしようと考えています。
お近くの方はぜひお越しください。
日時:12月12日(土)午前10時半~12時
「第9回 学ぶカフェ」
場所:箱崎水族舘喫茶室(福岡市東区箱崎1-37-21)
http://www.hakosui.net/
JR鹿児島本線 箱崎駅 徒歩8分、または地下鉄箱崎線 箱崎宮前駅 徒歩7分
会費:1000円(学生500円)(飲食代別)
問い合わせ先:学ぶカフェ事務局
manabucafe@gmail.com

●昨日の『夕刊フジ』(『ZAKZAK』)に、拙著『英語化は愚民化』についての記事が掲載されていました<(_ _)>。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20151210/dms1512101542014-n1.htm

—メルマガ発行者より

【解説】
人口減少で好景気になる理由
https://youtu.be/To6OMrIABwI

9 thoughts on “【施 光恒】民主主義の終わり

  1. 日本の政治家が日本語より英語を優先させると言ってるなら国際的交渉では必ず負ける、と言ってるのと同じでは。JP Stateになるのがグローバル化の必然なのかな?日本語の背景にある歴史常識とか日本語と日本人が蓄積してきた文化伝統を次世代に引き継ぐことを放棄するのって自己基盤が失われるのでは。画一化と一億総供給者から豊かな想像力とかレベルの高い需要者は生まれるのかな。

  2. >多くのルールが、我々の日常感覚では判別できない英語の微妙な解釈に左右される恐れが出てくるわけです

    まさにここが大事どすわよね。
    言葉は歴史や民族としての郷愁や感情などの歴史的経緯を軸として形作られるものであって、
    日本列島で生きてきた日本人がいくら上辺だけ英語が出来る様になっても、彼らの様な感性で英語を理解する事はできませんし、
    彼らアングロ&白ユダの戦略までは読み解けませんよね。

    少なくとも人様が耕した畑を横から三角合併的手法で強奪してやろうという様な狩猟民族的な発想は、本来の日本語からは出てこないのではないでしょうか?

    所謂特ア系日本人のみならず、ケケ中や小前や珍念の様なグローバル日本人は、アングロジャパニーズ(笑)的価値観の中で生きているのでせうか?

    彼らとは感性そのものが違う気がしております。
    歴史問題だけは保守的な奇麗ごとを言っていても、TPP的な政策に対してどう捉えるかで、政治家も知識人も観た方が良さそうですよね。

    ISILのバックの組織(民間軍事会社に投資する連中で、妙にTPP極右が多い)が米国でも糾弾されるにつれて、
    日本の「いわゆる保守界隈」においても、偽物がどんどんと炙り出されてきておりますよね。
    面白くなってきそうどす。

  3. >TPP協定の署名後になるようです。

     第2のポツダム宣言署名?‥‥現代の無条件降伏!

    母国語を亡くした野蛮国民、邪パニーズ芸能事務所!
    専務理事甘利。取締役安倍。

    どうかJAPOOS(家畜人)と呼んでください。by芥川流之介

    「いくらなんでも自虐的にも程がある。
    野田政権TPPと全然っ変わらないっのだっ」

    妄言の庶民より

  4. 保守派の爺さん連中はサヨク批判から、グローバリスト批判に飯の種を切り替え、逃げ切りを図る様だ。
    どうせ止める気なんてありゃあしない。

    若い世代は批判はしつつも、現実的に植民地の中、生き抜く方法論をさぐらなきゃいけない。

    ほんと、ヤレヤレですね…
    (´・ω・`)

  5. force to work を強制連行ではない。
    と、言い切ってしまうほどの英語力しかない政府が、
    日本語訳もなく、しっかり判断できるとは思えないですね。

  6. 政治家や官僚が内弁慶なのは、いくら国を売るような言動をしてもほとんど国民から責められないからでしょうね。少なくとも現在は、昔のようにテロル等によって自らの命が危険にさらされることはない。これが問題ですね。

  7. >>現在の日本の指導者層の人々は、悲しいかな、ホント「内弁慶」ではないでしょうか。国内では「若い人は内向きでけしからん!」「グローバル化の時代だから、これからは中小企業も外に打って出ろ!」「攻めの農業だ!!」などと、とても勇ましく国民を煽るのに、国際交渉では、将来の日本人の生活を大いに左右する言語の問題であっても、やすやすと譲ってしまいます。

    常々思っているのですが、指導者が内弁慶な理由は、日本国民から何も反発がないとなめ腐っているからではないでしょうか。
    であれば、彼らが耐えられなくなるほど抗議し、そしてユーモアを交えて馬鹿にし続けてやるのが我々の使命ではないでしょうか。
    どんな国民の身の丈に合った政府しか手に入れることができない というのは福沢諭吉の有名な言葉。施先生の”英語化は愚民化”にも書かれていましたが、従順や協調が裏目に出ることもあるのです。
     実際私は、TPPを正当化している某政治家のブログに、平成24年衆議院選で自民党がポスターを貼ったとき~党と国会の決議~譲歩の過程 、大筋合意までの過程を書き連ね、「このような詭弁、公約違反、信義則にもとる行為をした様な者がどの口で『TPP即亡国との考えには首をかしげざるを得ません』と言うか、貴様らが国民を騙すことに対して何の疑問や抵抗感も抱いていない時点で既に亡国なのだ。」と書いたことがありますし、今後も機を見て書き続けていくつもりです。

  8.  民主主義って何なのだろう?と考え込んでしまいます。
     結局は、どんなシステムであっても、どんな人が、それを行うのかが一番大切のように思います。今の政権のように、国民の意見なんて気に留めない、学者さんの仰っている事でも重視しない、そういう方々が行うと、こんなにも危険なものなんだ・・・と痛感致します。このようなやり方が許されてしまいますのに、「民主主義」と表現する事は矛盾していると感じると共に、国民全体が国の政治に関与する、という思想は、幻想に近いのではないか、とも感じます。「みんなで行う政治」というのは、「誰かが行なってくれる政治」になりやすいのかもしれないですね。
     極端な形の共産主義にしても、私有財産を持たず、全ては平等で皆のものというシステムは、全体の資産を管理し、分配する立場の人は必要ですし、そこに権力が集中するのは必定で、やる前から想像はつくと思うのですが・・。日本の共産党は、保守的とも思える発言もみられますし、どういう思想なのかもう少し知りたい気がします。
     どの政治システムも、欠陥があるのかもしれませんが、政治に携わる、人によりその欠陥が顕著になるか否か、なのではないかと思えて、最終的にはやはり「人」なのかなあ、と・・。

    • 何度もすみません、訂正させて下さい・・。

      下から三行目の終わり、「政治に携わる、人により」→「政治に携わる人により、」です。
       「、」を打つ場所を間違うと、読みづらくなりますね。

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