【佐藤健志】未来は誰の手の中に

From 佐藤健志

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【YouTube】

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https://youtu.be/0YFk1KbdpQA

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https://youtu.be/YkvY94zM_yc?t=4m16s

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まずはご報告から。
おかげさまで先週、無事に退院しました。

そろそろ夏も終わりだな・・・と思っていたら、いきなり年末になってしまった感じですね。

今回の事故は、振りかえればかなり大変なものでした。
発生直後には「最悪の場合は左足切断もありうる」という話まで出ましたし、皮膚移植手術の必要性にいたっては、ずいぶん後まで取り沙汰されていたのです。
それが皮膚移植もせず、自分の足で歩いて退院するところまでこぎつけられたのですから、幸運だったとすべきでしょう。

リハビリは続きますし、傷も完全に治ったわけではありませんが、とりあえず2015年はハッピーエンドで締めくくることができました。
それはさておき。

三ヶ月あまりの入院期間中、世の中もずいぶん変わった印象を受けます。
安保法制の成立(9月)をはじめ、TPPの大筋合意(10月)、大阪のダブル選挙(11月)などなど。
「一億総活躍(社会)」みたいに、突如として鳴り物入りで出てきたあげく、すでに忘れられかけている(としか思えません)ものもありますね。

さらに原節子さん、水木しげるさん、野坂昭如さんといった、昭和後半期を彩った方々が相次いで逝去。
今年は敗戦70年の節目でもありましたが、いろいろな意味で、時代がターニング・ポイントに来ているようです。

ただし新たな時代が良いものになるかどうかは、正直言って疑問。
いや、いささか悲観的にならざるをえないとすべきかも知れません。

本紙読者のみなさんならご存じのとおり、成長や繁栄を達成するポテンシャルなら、わが国はまだ十分持っている。
けれども、ポテンシャルを積極的に活かす政策が取られているか?
あるいは、そのような政策が今後取られる見込みはあるか?
ここに問題があるわけです。

藤井聡さんも『〈凡庸〉という悪魔 21世紀の全体主義』の終わり近くで、次のような警告を発しました。

このままでは我が国は、かつての栄光など微塵(みじん)も感じさせないほどの、何の国力もない、どんな生産品もサービスも文化も芸術も、そして自らの歴史すらも何も産み出すことのできない、衰弱しきった、陳腐で凡庸でつまらない国家に成り下がることになるのは必定です。
(262ページ。表記を一部変更)

だとしても、あきらめるしかないと言いたいのではありません。
藤井さん自身、公式サイト「サトシフジイドットコム」では、「未だに,未来は僕らの手の中、にあるということを決して忘れてはならない、と考えます」と述べています。
http://satoshi-fujii.com/151122-3/

「未来は僕らの手の中」とは、具体的にどういうことか。
字面を見ると、未来のあり方を自分たちで自由に決められるような感じがしますが、私はそうは思いません。
それでは話がうますぎる。

むしろこれは、
「未来は誰の手の中にもない」
という意味ではないでしょうか?

現在の時点で判断するかぎり、未来は特定の方向へと確実に進むように見えるかも知れない。
あるいは特定の勢力が、未来を握ったように見えるかも知れない。
しかし、それはたいがい錯覚なのです。

未来の本質は、〈良くも悪くも、どうなるか分からない〉こと。
20〜30年前、日本で貧困がここまで社会問題化すると想像できた人は、ほとんどいなかったでしょう。
いや、そもそも日本が(少なくとも一度は)世界的な経済大国になることだって、独立回復直後には想像もつかなかったに違いない。
わが国が独立を取り戻したのは1952年ですから、経済大国と目されるまで、やはり20年〜30年ぐらいしか経過していないのですがね。

未来は誰の手の中にもない。
せっかくのポテンシャルが活用されずに失われることだってあれば、思いがけないポテンシャルが目覚めることだってある。

パラドックス的な言い方になりますが、だからこそ「未来は僕らの手の中」なのです!

誰の手の中にもなく、どうなるか分からないがゆえに、未来を変えるチャンスは、変えようとする意思があるかぎり、誰もが平等に持っている。
チャンスが活かされる保証はありませんよ。
しかし、チャンスはそこにあるのです。

関連して、今回の事故をめぐる経験をご紹介しましょう。
救急車で病院に搬送され、創外固定(折れた骨がずれないよう、足に金属の枠をはめること)をしてもらっているときだと思うのですが、私は自分の意識が身体を離れて、何もない空間に入り込んだように感じました。

下の方では、何やら金属音が聞こえます。
創外固定が行われていたのでしょう。

私は自分が、〈この世〉と〈あの世〉の中継点にいるのだと思いました。
こちら側にとどまるのか、向こう側に行くのか、ちょうど今、自分を超えたところで判定されているのだろう、と。
判定が出るまで、どれくらい待たされるのかな。永遠に待つことにはならないだろうな。
そんなことが気になったあたりで意識が途切れます。

・・・目が覚めたのは固定が済んだあとで、医師から「命に別条はないし、折れた骨もずれないようにしておいた」と告げられました。
いわゆる「臨死体験」にあたるかどうかはともかく、あのとき、未来は私の手の中になかったのかも知れません。

とはいえ私の未来が、どこまで医師たちの手の中にあったかも分からない。
万全の処置をしても、うまく行くかどうかは患者の気力や体力次第というところがありますからね。
とまれこの夜、未来は私のもとに戻ってきてくれました。
それが三ヶ月後のハッピーエンドにつながった次第。

未来は誰の手の中にもなく、ゆえに僕らの手の中。
今後はこれを信条に活動してゆくつもりです。

なお12/30と1/6は、年末年始のためお休みします。
1/13にまたお会いしましょう。
みなさん、良いお年を!

<佐藤健志からのお知らせ>
1)12月16日発売の「表現者」(64号)に、評論「内と外の境界を守れ」が掲載されました。

2)未来同様、「愛国」や「保守」もパラドックスに包まれています。これを受け入れるところから始めねばなりません。

「愛国のパラドックス 『右か左か』の時代は終わった」(アスペクト)
http://amzn.to/1A9Ezve(紙版)
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3)戦後日本が、どのような未来をつかもうとしていたかはこちらを。

「僕たちは戦後史を知らない 日本の『敗戦』は4回繰り返された」(祥伝社)
http://amzn.to/1lXtYQM

4)「経済も学問・文化もすべてパアにしてしまえば、国家はいったいどうなる? (中略)そんな国には何もないし、未来への展望も望みえない」(113ページ)
藤井さんの警告と妙に似ていませんか。

「〈新訳〉フランス革命の省察 『保守主義の父』かく語りき」(PHP研究所)
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5)1776年の建国当時、アメリカがどんな未来をつかもうとしたかのマニフェストです。

「コモン・センス完全版 アメリカを生んだ『過激な聖書』」(PHP研究所)
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6)そして、ブログとツイッターはこちらをどうぞ。
ブログ http://kenjisato1966.com
ツイッター http://twitter.com/kenjisato1966

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