【平松禎史】霧につつまれたハリネズミのつぶやき:第十九話

From 平松禎史(アニメーター/演出家)

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【YouTube】
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 ◯オープニング

フランスはパリで同時多発のテロが起き、130人を超える市民が犠牲になりました
亡くなられた方々への哀悼と、痛みを共有したい気持ちです。

すでに多くの方が指摘しているように、テロ集団「ISIL」によるフランスのテロ以前に、欧米社会による空爆、掃討作戦でシリア・イラクなどイスラム世界の人々が殺されています。
双方が「正義」を唱え、相手を「平和を乱す者」と設定して殺し合っています。

すべての被害者に対して哀悼の意を捧げたいと思います。

私たちにとって全く理解の出来無い暴力の連鎖です。
一連の事件に対し、様々真剣な意見が交わされていていろいろと考えを巡らすのですが、まずは自分に対して、どこまでいっても『裏窓』から見た眺めにあれこれ言っているだけじゃないのか、と疑問が湧いてくるのです。
イスラム社会についても、欧米社会の考え方も、私たちには「よく知らない」世界と考えざるを得ないところがあります。

少し角度を変えてみて
ヒッチコック監督作品でも人気の高い『裏窓』の世界観と重ねあわせて考えてみます。

第十九話「『裏窓』からの眺めが襲って来る日」

 ◯Aパート

映像の技術的な話になりますが、映像演出では映っている画面が誰の視点なのかを意識します。
誰の視点なのか明確にしない映像は、あまり長く続くと不安を覚え、「で、何?」と疑問が湧いてしまうのです。
ドキュメンタリーではナレーションが共感の糸口を担保し、物語では観客が共感できる「よく知っている」主人公が必要になります。

観客と多くの情報が共有される登場人物が主人公になります。どんなに有名な俳優が演じていても、前情報で主人公だと説明されていても、映像での情報共有が不十分だと物語をうまく伝えることができなくなります。
信頼関係ですね。
そうすると、主人公の見た景色であるとか、会話している人物は、主人公の気持ちを元に観察することになります。
ボクはこの言葉には慎重ですが、一般に「感情移入」と言われるものです。

観客が「よく知っている」と感じる主人公の見た世界を、観客も共有することになりますから、特に古典的な演出スタイルの場合、視点を明確にすることが最も重要なのです。

 × × ×

『裏窓』の主人公ジェフはカメラマンで、危険な場所へ赴いて刺激的な写真を撮る行動派カメラマン。
カーレース事故の決定的瞬間を撮った時に巻き込まれ、脚を骨折して車椅子生活を強いられていることが冒頭の1分ほどで分かります。
観客のほとんどの人々とカメラマンの生活は重ならないのですが、この向こう見ずな人物に親近感を持つように演出されているので、ジェームス・スチュワートの人柄とあいまって「よく知っている人」のように感じられるようになるのです。

もう一人の主人公リザはグレース・ケリー扮するファッションモデルで、カメラマンの恋人。
絶世の美人でチャーミングだが、どこかプライドの高いイメージ。役柄もそのままで、見ているうちに「よく知っている人」になっていく。

ジェフとリザには対立する人物が二人登場します。
一人は看護婦で往診にやってくるステラ。
口うるさくて何かと説教口調で、ああ言えばこう言うタイプ。恋人との関係にも口を出したりして疎ましがられますが、憎めないおばちゃんで好感が持てます。
もう一人はカメラマンの旧友のドイル刑事。
熱血気味なジェフとは対象的に、ものごとを冷静に見るややニヒリストで良い感じではない。
この二人には「よく知っている」人である主人公たちと信頼関係があるので、意見は対立しても仲間だと認識することになります。

車椅子生活のジェフは暇つぶしに裏窓から見える景色を観察して過ごします。
裏窓から見える景色は「よく知らない」人たちが住んでいる、世界の縮図なのです。
ジェフにとって「よく知らない」人々は愛すべき隣人たちで、映画の観客も同じような共感を得ることが出来ます。

映画の舞台はジェフの住む一室と裏窓から見える中庭を囲むアパートのみ。
観客と対面する登場人物は四人だけです。
非常にコンパクトに設計された世界から、現代にも通ずる様々な愛憎が描写されます。

ジェフとリザ、ステラおばちゃんが観客にとって「よく知っている人」になり、裏窓の世界が紹介され、映画の主な要素が揃ったところで「事件」が起きます。
事件を起こすのは裏窓世界の「よく知らない」人のひとり、セールスマンのラーズ・ソーワルドです。

 ◯中CM

そのまま『裏窓』の話を続けます。

この映画の前半で重要なのは、「事件が起きた様に見える」ことなんですね。
ある日を境に病気で寝ていたはずの奥さんが忽然と消える。
その数日前の夜、悲鳴のような声をジェフは聞き、大きなトランクを何度も運び出す夫を目撃します。
カメラマンは事件現場に慣れているため、病気がちの奥さんを夫(ラーズ)が殺してバラバラにしどこかに捨てたのだと結論づけます。
しかし、誰もその現場を見ていないし、映画でも映されません。あくまで「疑義」です。
リザは当初この話を疑いましたが、夫が始末している大型の包丁やのこぎりを見て「殺人」を信じます。それだけでなく、ジェフとふたりで推理に夢中になっていきます。
しかし
旧友のドイル刑事だけは慎重で、信用しません。
捜査はできないが調べてみると言って後日幾つかの証言を取ってきます。
その結果は「殺人」を否定するものでした。
奥さんは療養で田舎に行ったというのです。

主人公二人は、そんなはずはない。確かにあの夫が殺したに違いないと憤ります。

そして、リザは気付きます。

奥さんが無事ならそれで何より良いはずなのに ”殺人を期待していた”

…と。

この場面は、佐藤健志さんの本メルマガへの投稿『「聖羅ちゃん」のパラドックス』( http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/11/18/sato-64/ )でも指摘された問題点とも通じますね。

この前後が「起承転結」の「転」に位置する場面です。

 ◯Bパート

そんな時、向かいのアパートの奥さんが泣き叫ぶ。愛犬を殺されたのです。
裏窓から見える住人たちに叫びます。
「誰なの!?私の犬を…!これが”隣人”っていうの?隣人っていうのはお互いの生き死にまで気にかけるものよ。皆は無関心。こんないたいけな小さな犬を殺すなんて。唯一皆を慕っていたのに。慕ってきたから殺したの!?・・・」

この場面だけ、ジェフの視点から離れて描写されます。
この奥さんの叫びは映画の登場人物の誰の視点でもないのです。
この騒ぎを見ていた裏窓の住人たちは、同情したり、パーティの方が大事と無関心だったり受け取り方は様々。
ジェフとリザも殺犬事件が起きた中庭からの視点で、住人たちのひとりとして映されます。彼らはどう受け取るのか?と。

このかなり唐突な視点移動によって、見ている観客も我に返ります。
あの騒動にひとりだけ無視を決め込んでいた人物がいました。
ラーズ・ソーワルドです。
ジェフは、花壇の土を掘り返す犬をラーズが怒っていたのを思い出します。
2週間前の写真と比較すると手前の花が低くなっている。掘り起こして再び植えない限り一部だけ低くなることはあり得ない。
「何か」を埋めたのだ。

殺人を期待するゴシップ趣味から誤認したのではなく、現実に起こっていた、とわかります。

ここからはラーズが妻を殺したことに疑う余地がなくなり、行動に出ます。
リザがラーズの部屋へ忍び込み、生きていれば付けているはずの結婚指輪を発見します。
この時、戻ってきたラーズとリザが揉み合いになります。

車椅子のジェフと同様、観客はリザを助けに行くことができません。
映画館で観た時は「誰か助けて!」と叫びたくなりました。緊迫した見事な場面です。
この後はラストに向けて一気に畳み掛けていきます。

 × × ×

この映画は女性の批評家に覗き見を肯定する悪趣味な映画だと酷評されました。
しかし、「映画」そのものが他人の人生や他の世界を覗き見する装置ですから、この批判は映画自体を理解していないことになってしまいます。

世界の縮図として描く意図は明確ですし、人が持つ予断や、与えられた一方的な情報で事実を捻じ曲げかねない危険性を示唆している点でも一種の社会批判になっています。

今回は、映画の見方や解釈は控えめに、ほとんどあらすじを書いただけになりましたが、それだけでも現代社会に対する問題提起を紹介することになる。
『裏窓』に限らずですが、歴史に残る名作と言われる作品は時代を超えて楽しめます。
作り手に刹那的な話題性に頼らない社会を見る目があり、作品を多角的に見ても楽しめるからだと思います。

さて、『裏窓』のグレース・ケリーは、彼女が出演したヒッチコック映画3本の中で最も魅力的です。
ファッションモデルでどこか気取っていた感じの前半から、自ら容疑者宅へ忍び込む行動力を見せるとこなど、いわゆる「ギャップ萌え」の古典です。
そんなグレースのライバルが、ラーズ・ソーワルドの隣りに住む「美人ダンサー」。
彼女は下着姿でダンスのレッスンをしたり、リッチな男たちにモテモテなエンジョイ系のギャルなのですが、最後の場面で本命の男性が登場します。
彼氏はリッチな男どもと違って背が低くてぶさいくな軍人でした。

『裏窓』は1954年公開です。
ドイル刑事は、ありもしない事件なんかより戦争のホラ話でもしようやと言うのですが、ニュアンスからして昔話で、この戦争とは第二次世界大戦のことでしょう。
しかし、前年まで朝鮮戦争があったのです。
会話は聞こえないので戦地から帰ってきたのかわかりませんが、長いこと遠く離れていた感じが二人のしぐさから伺えます。
ジェフとドイルの話し方とはかなり温度差があります。
現代では「忘れられた戦争」と言われる朝鮮戦争ですが、太平洋の向こう側の戦争は、もしかしたら「裏窓から見えるどこか」のように感じる面が当時からあったのかもしれません。

 ◯エンディング

裏窓から散々覗き見をしていたジェフは、ラーズが部屋に襲来し殺されかけることで罰を受けます。
自分は安全地帯にいるのだから身の危険はないはずだ、という思い込みで過度な干渉をしたせいだ、とも思えます。

ジェフが気が付かなったとしても、あるいは疑いを持ちつつ干渉しなかったとしても、ラーズは遅かれ早かれ逮捕されていた可能性があります。
しかし
その保証がないからこそ、ジェフは事件に干渉した。
映画としては、その行動を正当だと位置づけています。
裏窓からの眺めが襲ってきたとしても。

ラーズにどんな言い分があったとしても妻殺しは明確に重罪です。

テロも、どんな言い分があったとしても殺人に違いはない。
テロリスト掃討作戦も、どんな言い分があったとしても殺人に違いはない。
お互いに理解し合うのが不可能な者同士の「心中」のようです。

こんな風に考えられるのは、「今のところ安全な」日本にいるからでしょうか。

私たちはこれに軍事的な干渉を(後方支援含め)するべきかそうでないのか。
「ISIL」は日本に宣戦布告し、すでに殺された邦人がいるのだから悩む余地などない、と考えるべきか。

「ISIL」側の視点に立つことは不可能でしょう。
では、欧米側の視点には立てるだろうか。
日本の視点とは?

 ◯後CM
一方的にしか考えることができなくなった人々の物語。
アニメ(ーター)見本市第22話 「イブセキ ヨルニ」
原作:さかき漣「顔のない独裁者」、監督:平松禎史
http://animatorexpo.com/ibusekiyoruni/

↓↓発行者より↓↓

【YouTube】
三橋貴明が自らの目で確かめた中国”鬼城”の実態とは?
https://youtu.be/YkvY94zM_yc?t=4m16s

TPP日本の植民地化を進めるのか・・・?
その答えはこちら
https://youtu.be/ntQpHSDoyjY

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