【上島嘉郎】慰安婦20万人の虚構

From 上島嘉郎@ジャーナリスト(『正論』元編集長)

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前回のメルマガで、慰安婦問題をめぐる日韓合意について書きました。2週間以上が経過しましたが、ソウルの在韓日本大使館前の慰安婦像は撤去されていません。

『韓国には言うべきことを言おう』(仮題/ワニブックスPLUS新書)という本を2月に刊行予定と前回書きましたが、その資料調べて千田夏光の『従軍慰安婦』に改めて目を通しました。同書は昭和48(1973)年に双葉社から刊行され、昭和59(1984)年、講談社文庫に収められました。

その文庫版のまえがきで、千田氏は支那事変、大東亜戦争を日本の侵略戦争と断じたうえで、こう書いています。

侵略戦争に従軍させられた将兵は道義心、倫理観を喪失し、〈道義心と倫理観の喪失したとき略奪行為は戦場の必然〉となる。

〈戦場における兵隊はなんでもかんでも殺さねばならなかった。(略)侵略軍にたいしては女子供も撃ってくる、撃ってこないまでも後方にいる味方に通報するから、これも殺害の対象になった。(略)三日この戦場体験をしたら半狂人である〉

〈南京攻略戦で半狂人と化した従軍将兵をしずめるための“鎮静剤”として軍が案出したのが本稿のテーマである前代未聞の“従軍慰安婦”だった…。(略)〉

千田氏は戦前の日本は侵略戦争をし、侵略戦争であるがゆえに従軍した将兵は道義心、倫理観を喪失して「半狂人」となり、それをしずめるために従軍慰安婦が必要になった、と述べるのですね。

しかし、これは事実として証明されていません。千田氏が頭に描いた構図です。読み進めていくうちに感じるのですが、千田氏は人間を「半狂人」とか「悪代官に責められる庄屋」とかの表現に括って、人間性の複雑さというものを顧慮しない。自分が考え出した鋳型に、自分が拾った証言や事実(かどうか不明な記述が多々)を嵌め込んで見せているのです。

現在韓国国内では、日本大使館前をふくめ京畿道高陽市、慶尚南道巨済市など7カ所に、韓国系市民団体のはたらきかけで全米6カ所に「慰安婦碑」や「慰安婦像」が建てられています。
それらに刻まれた碑文にほぼ共通するのが「性奴隷」という表現と、「20万人が強制的に連れ去られた」という記述です。

「日本の軍・官憲によって朝鮮の若い女性が20万人も強制的に連行されて慰安婦にされた」という虚偽を世界に広げたのは、千田夏光、吉田清治と、この2人の著作や証言を積極的に取り上げて権威づけした朝日新聞――という批判も、事の経緯を単純化した物言いではありますが、国連のクマラスワミ報告やマクドガル報告、米下院の対日非難決議などにこれらが根拠として採用された経緯をたどってみると、その因果関係に合理的な説明が可能です。

もちろん、ここにわが国政府の摩擦回避のための事実棚上げの禍根(河野談話など)や、人権派弁護士のイデオロギーに傾斜した反日活動などを重ね合わせてみることが必要ですが。

さて、千田氏の『従軍慰安婦』の内容に戻ると、慰安婦の数についてこんな記述があります。

〈冷厳なる数字としてこんにち示し得るのは、元ソウル新聞編集局副局長で現在は文教部(文部省)スポークスマンを務めておられる、鄭達善氏が見せてくれた一片のソウル新聞の切り抜きだけである。そこには一九四三年から四五年まで、挺身隊の名のもと若い朝鮮婦人約二十万人が動員され、うち“五万人ないし七万人”が慰安婦にされたというのである。〉

挺身隊と慰安婦の混同については、日韓両国ともに誤認であることの理解が多少深まってきたと思いますが、世界に拡散した「慰安婦20万人」という数字の出処はこのあたりのようです。

日本統治時代の朝鮮半島の人口は、それまで一千万足らずだったのが約2500万人に増えています。総人口2500万として、その内の20万ということは、老若男女合わせて125人に1人を慰安婦にしたことになります(約半分は男性ですから、全女性の約60人に1人が慰安婦とは!?)

「そのために日本軍は12歳の少女まで慰安婦にした」と韓国はいうのですが……そんなことが現実に可能でしょうか。

これは今日の人権問題でありません。問題の本質は、日本が併合時代の朝鮮半島で、国家として計画的に軍・官憲を動員して大勢の若い女性を無理やり慰安婦にし、戦地の慰安所に送り込んだかどうかです。

日本では昭和33(1958)年に売春防止法が施行されるまで公娼制度がありました。事実としては、売春が合法だった時代の戦地に民間業者が経営する遊郭があり、そこで朝鮮人(当時は日本国民)慰安婦が働いて報酬を得ていたということです。
当時は日本も朝鮮半島も貧しかった。貧困が原因で若い女性が「身売り」することは珍しくありませんでした。そのことを今日の人権観に引きつけて非難しても筋違いというほかありません。

で、20万人という数字の虚構です。
実は、現代史家の秦郁彦氏によってこの数字が誇大であることは平成10(1998)年に指摘されているのです。

秦氏は、政府が集めた二百数十点に及ぶ公式文書を調べ直すとともに、それ以外の外務省資料や警察統計などにも当たったうえで、慰安婦の総数は1万数千人と結論づけました。
内訳も、大部分を占めるとされた朝鮮人女性は2割程度で、日本内地の女性の方が多く、秦教授はそれまで「慰安婦総数は6万~9万人で、7~8割は朝鮮人」と推計していた自説を訂正しました。

秦氏はほかにも、「戦地慰安所の生活条件は平時の遊郭と同じレベルだった」「慰安婦の95%以上が故郷に生還した」「軍を含む官憲の組織的な『強制連行』はなかった」「元慰安婦たちへの生活援護は、他の戦争犠牲者より手厚い」などの事実が調査で確認されたと発表しました。

20年近くも前にこうした指摘がなされていたのに、なぜマスメディアにも政治にもこの数字は顧みられなかったのか。
この発表を大きく報じたのは産経新聞くらいで、発行部数は朝日新聞の約4分の1という情報量の圧倒的な差もあったのかも知れませんが、それ以上に、慰安婦問題について、謝罪や補償のあり方などをめぐる政治的議論ばかりが先行し、事実の究明がなおざりにされてきたということではないかと思います。

当時雑誌『正論』の編集者だった私は、大部数の新聞や地上波のテレビが、こうした問題をいかに先入観や固定観念(東京裁判史観)でとらえているか、いかにそこから踏み出さないかを歯がゆく思いながらそれに抗う雑誌づくりに励みましたが、こんにち海外の慰安婦像のニュースを見るたびに、気分は「日暮れて道遠し」です。

それでも「諦めない限り敗北はない」と信じて匍匐前進を…。

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【上島嘉郎】「歴史戦」という名の闘いは続く

From 上島嘉郎@ジャーナリスト(『正論』元編集長)

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2015年、世界はまさに激動の年となった。中東問題はフランス・パリでの同時多発テロやトルコ軍機によるロシア軍機撃墜にまで至った。また、南沙諸島では中国による人口島の埋め立てに対し、アメリカが自由航行権を主張すべく、米軍機を飛行させた。ウクライナ問題は解決の糸口さえ見えない。さらには、シリア情勢を受け、EU諸国へ大量の難民が流入している。

こうした世界情勢の中、各国経済はこぞって低調。なかでも、これまで世界経済牽引の一翼を担っていたように見えた中国経済が、著しく失速している。2016年の世界はどうなるのか。そして、日本にはどのような影響があるのか。

三橋貴明が2016年の世界と日本を語る、、、

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昨年末、安倍晋三首相の指示によって岸田文雄外相が訪韓、尹炳世外相と会談し、いわゆる従軍慰安婦問題について「最終的かつ不可逆的に解決される」との認識で合意しました。

この問題について国際社会で非難、批判することを相互に控えると確認し、併せて元慰安婦を支援する事業のために韓国政府が財団を設立し、日本政府が予算10億円程度を一括拠出することでも一致しました。

「最終的かつ不可逆的に解決」との合意を韓国側が本当に履行するならば、少なくとも日韓間においては、外相会談を決断した安倍首相の「子や孫に謝罪し続ける宿命を負わすわけにはいかない」という思いはある程度満たされることになります。

日韓合意に関し、「成果もあり、懸念もある」というのが私の率直な感想です。曖昧と思われるかもしれませんが、武力を行使しない政治としての外交とは折り合いですから、痛快な結果は現実には求めようがありません。

ただ、守るべき国の名誉と利益から言えば、私は今回の合意を喜んで受け入れる立場はとりません。
「歴史戦」という名の闘いに終わりはない――そう思っています。

実は、『韓国には言うべきことを言おう』(仮題/ワニブックスPLUS新書)という本を書いているところで、2月刊の予定なのですが、その序論として考えていることを以下に記します。

私は、日韓の歴史にお互い不幸なことがあったことを認めますが、その歴史過程が、ただ加害者と被害者の関係であったという二分法はとりません。彼我の父祖の歴史をそんな単純な話に括ってはいけない。韓国の未来に対し現実的な責任を負おうとした、今日韓国内で「親日派」と糾弾される彼らの父祖のためにもならない。

歴史的な経緯を踏まえたうえでの韓国との和解は可能かどうか。あるいは和解を求め得る相手かどうか。

日本の国家としての根本的な姿勢は、まず歴史的な事実はどうであったか、すべての議論はそれに基づくという原則を貫くことです。歴史的な事実を棚上げして韓国の被害者感情に一方的に寄り添うことは、我が父祖の名誉のためにもしてはならない。

そしてそれが問題解決にならなかったことは、これまで何度も韓国から味わわされてきた苦汁によって明らかです。

今回の合意で懸念せざるを得ない点はいくつかありますが、日本政府が「問題の最終的かつ不可逆的な解決」を担保することができたと強調しても、それが共同記者発表という形にとどまり、共同文書化できなかったことは詰めが不十分だったと言わざるを得ません。「口約束」はこれまでに何度も交わし、悉く韓国側に反故にされて来ました。

日韓国交正常化のため昭和40年(1965)に日韓基本条約及び日韓請求権・経済協力協定が結ばれました。その請求権協定には「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」との文言が明記されているにもかかわらず、今日に至っていることを忘れてはなりません。

しかも、この協定には、締約日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする旨の一文もあります。
「問題の最終的かつ不可逆的な解決」は、昭和40年になされていたはずなのです。

さらに言えば、歴代の韓国大統領は日韓の歴史問題について何を語ってきたか。

全斗煥大統領(任期1980~88年)はこう語りました。
「我々は国を失った民族の恥辱をめぐり、日本の帝国主義を責めるべきではなく、当時の情勢、国内的な団結、国力の弱さなど、我々自らの責任を厳しく自責する姿勢が必要である」(1981年8月15日の光復節記念式典の演説)

盧泰愚大統領(任期1988~93年)はこう語りました。
「今日、われわれは国家を守ることのできなかった自らを反省するのみであり、過去を振り返ってだれかをとがめたり、恨んだりしようとは思いません。私がみなさまに申し上げたいのは、両国民の真実に基づく理解であり、それを土台として明るい未来を開くということであります」(1995年来日時の国会演説)

さらに金大中大統領(任期1998~2003年)は、1998年の日韓共同宣言を受けて、「韓国が今後、外交問題として過去を問うことはない。謝罪は一度でいい」と語りました。

こうした韓国大統領の言葉を、私たちは信じてきたわけですが…、その結果はどうだったか。
問題解決のゴールポストは、常に彼らによってずらされてきました。
それを常に指嗾し続けたのが、朝日新聞をはじめとする日本国内の「反日メディア」で、この点では日韓双方に責任があります。

安倍首相は今回の合意についてこう語ったとされます。
「韓国外相がテレビカメラの前で不可逆的と述べ、それを米国が評価するというプロセスを踏んだ。今まで韓国が動かしてきたゴールポストを固定化していくということだ」
「ここまでやった上で約束を破ったら、韓国は国際社会の一員として終わる」(平成27年12月30日付産経新聞)。

さらに、「今後、(韓国との関係で)この問題について一切、言わない。次の日韓首脳会談でももう触れない。そのことは電話会談でも言っておいた。昨日をもってすべて終わりだ。もう謝罪もしない」(同)と。

私は、安倍首相は戦略的にいくつかの布石を打ったうえで今回の交渉を行ったと考えています。

しかし、日韓間における慰安婦問題の「最終的・不可逆的解決を確認」する――これを実効あらしめるのは、ひとえに今後の日本国民の毅然とした姿勢と、「事実」を粘り強く発信していく根気にかかっています。

日韓二国間の問題にとどまらず、世界に拡散してしまった慰安婦問題の誤解を解き、父祖の冤罪を晴らして、未来の日本人の可能性を守るための闘いを諦めてはなりません。

平成28年が明けて決意するのは、「けっして諦めるな、そして油断するな」ということです。

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【上島嘉郎】ユダヤ人を救ったのは杉原千畝だけか

From 上島嘉郎@ジャーナリスト(『正論』元編集長)

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12月5日から映画「杉原千畝 スギハラチウネ」(東宝)が公開されます。主演の唐沢寿明さんが連日テレビ各局のバラエティ番組に出演してPRしている作品です。

ポスターには、「ひとりの日本人が、世界を変えた――
激動の第二次世界大戦下
日本政府に背き
命のヴィザを発行し続け
6000人にのぼる
ユダヤ難民を救った男の
真実の物語」と謳われています。

さらに公式サイトの《INTRODUCTION》にも、
「あなたは知っていますか?
激動の第二次世界大戦下。外交官として赴任していたリトアニアで、 ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ難民に、日本通過ヴィザを発給し、 6000人もの命を救った1人の日本人がいたことを――
その男の名は、杉原千畝。」と。

「命のヴィザ」の話はこれまでにもドラマ化されていますが、先の大戦にもこんな立派な日本人がいた、という“個人的な美談”として描かれるのはなぜでしょうか。

巷間流布されている杉原千畝の勇気ある人道的行為とは、リトアニアのカウナス日本領事代理だった杉原が、日本政府の命令に背いて日本通過ヴィザを発給したことで6000人のユダヤ人が生き延びることができたものの、杉原は訓令違反によって戦後に外務省を解雇された、というものです。

しかし、元外交官の馬渕睦夫氏によると、「訓令違反」も「解雇」も事実ではないそうです。
当時の日本外務省の杉原宛訓電には、日本通過ヴィザ発給には最終目的地の入国ヴィザを持っていること、および最終地までの旅行中の生活を支え得る資金を保持していることの二条件がありました。
馬渕氏によれば、これらは通過ヴィザの性格上よくある条件で、日本政府がヴィザ発給を拒否したのではありません。

また杉原が、昭和22年に外務省を退職した理由も、被占領下で外交事務が激減したことに伴う人員整理の一環で、退職金もその後の年金も支払われており、けっしてヴィザ発給を理由にした懲罰的な解雇ではなかったのです。

杉原はカウナス領事館閉鎖のあとも順調に昇進し、昭和19年には日本政府から勲章(勲五等瑞宝章)を授与されています。もしヴィザの発給が日本政府内で問題視されたとすれば、叙勲はないでしょう。

これらの事実を踏まえ、馬渕氏はこのように述べています。
「ウソに基づく美談が作られ、マスコミがこぞって取り上げ、ドラマ化されたり、教科書の副読本になったりと、大フィーバーが起きました。杉原氏が、与えられた困難な状況の中で、日本政府の訓令に反しない範囲で人道的配慮を尽くしたことは賞賛されるべきですが、なぜ、日本政府がユダヤ人へのビザ発給を拒否したとの虚構が捏造されたのでしょうか。日本政府をどうしても反ユダヤの悪者に仕立て上げる筋書きがあったと勘繰られても仕方ありません」(『日本の敵―グローバリズムの正体』)

事実、ナチスドイツの迫害からユダヤ人を救ったのは、杉原千畝だけではありません。
昭和13(1938)年3月、シベリア鉄道で逃れてきたユダヤ人たちが満洲国と国境を接するソ連領オトポールで足止めされたとき、当時のハルピン特務機関長だった樋口季一郎は、関東軍参謀長だった東條英機を説得して満洲入国を許可し、満鉄総裁だった松岡洋右が手配して上海租界まで彼らを移送しました。

このとき樋口は、ドイツ政府の抗議に対し、「ドイツとの友好は望むが、日本はドイツの属国ではなく、満洲国もまた日本の属国ではない」と訴え、東條も首肯しました。
この樋口は、終戦時には占守島の指揮官としてソ連軍に最後の痛撃を加え、その後スターリンから“復讐”ともいえる「戦犯」指定を受けましたが、ユダヤ人たちの救出活動で助かっています。

ナチスドイツからのユダヤ人取り締まり要請に対し、当時の日本政府は総理大臣、外務大臣、陸海軍大臣、大蔵大臣で構成する「五相会議」で対応を協議し「猶太人対策要綱」を決めました。

陸相板垣征四郎が、神武天皇の「八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)となす」という言葉を引いて、「特定の民族を差別することは、神武天皇以来の建国の精神に反する」と述べたように、結論はヒトラーのユダヤ人迫害には与しないというもので、それが日本政府の意志でした。当時の日本は唯一、政府が反ユダヤ主義に与しなかった国と言ってよいのです。

杉原千畝がいくらユダヤ人にヴィザを発給しようとも、日本政府がそれを拒否していたら彼らは日本に入国できなかった。

「ひとりの日本人が、世界を変えた――」
杉原はこう称えられるのに、なぜ東條英機や松岡洋右や樋口季一郎のユダヤ人救出は、日本人の意識に上らないのでしょう。
それどころか、東條や松岡、板垣はA級戦犯として記憶され、「野蛮な侵略国」の指導者としてしか顧みられない。

これについて馬渕睦夫氏は以下のように述べます。
「私が心配なのは、杉原氏をダシにして、日本政府は反ユダヤだったというウソが、今後も世界のメディアと日本のメディアに、繰り返し流される危険があることです」(前掲書)

先の大戦時にも立派な日本人はいたが、日本国家は悪で、野蛮な侵略国だった――。

映画「杉原千畝 スギハラチウネ」の結論はどんなふうになっているのか…。
未見なので、決めつけはしませんが、ポスターに記された「日本政府に背いて」という言葉に、私は製作者たちの「日本国」への悪意を感じざるを得ません。

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【上島嘉郎】戦後70年に考える大東亜戦争「失敗の本質」

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いきなりPRで恐縮ですが、11月25日に日下公人先生との対談『優位戦思考に学ぶ―大東亜戦争「失敗の本質」』(PHP研究所)が発行の運びとなりました。編集者という“黒衣”ではなく、名前を出しての本格的な初仕事です。

大東亜戦争は日米の戦力差を無視した“無謀な戦争”だったというのが戦後の定説です。

しかし、山本五十六が「開戦から一年半は暴れて見せる」と語ったように、開戦時の太平洋における日米海軍の戦力は総合的に日本のほうが上でした。

国家総力戦の時代では、最終的に経済力、産業技術力等の問題に帰着するため、日本側の優位は時間的に限られたものだったとはいえ、敗北は必然とは言えません。

そもそも大東亜戦争は本当に日本国家として敗北したのか。戦争目的からすれば、「自存自衛」は戦争設計の不備と指導者の覚悟のなさ、責任感の薄さから、望むところが達せられたとは言えない。

しかし、310万の多くの庶民の敢闘を以て「人種差別の壁を打ち破る」ことには勝利した、と言えるのではないか。
実利では負けたが、大義では勝った。この大義における日本の勝利を認めたくない人々と、それに与するかたちで日本から援助・賠償という名の搾取をし続けたい人々が、戦後秩序の維持派(戦勝国側の現状肯定)ということになる。

日本の軍事的敗北は、戦争設計の無さと、軍略(軍)と政略(政府)の連携不備、実働主体たる陸海軍の協同体制の不備等々に原因を求めることが出来ますが、それでも「無謀な戦争」「愚かな戦争」という既成概念からは見えてこない、「優位戦思考」による戦局転回の機会がなかったわけではない。

戦争目的(自存自衛、東亜の白人列強からの解放)を達するために為すべきことは何だったか。
また出来得ることは何だったか。「優位戦思考」から分析すれば、日本には異なる選択肢、道筋があったのではないか。日本の意志を戦後の国際秩序にある程度反映させる「講和」は勝ち得たのではないか。
「優位」な状況を活かせなかったとすれば、私たちの弱点、短所は何か。

これらの問いかけ、反省こそが、未来の日本を切り拓く戦後の私たちに必要な教訓ではないのか。

こんな問題意識から日下先生に対談をお願いしました。
「優位戦思考」とは馴染みのない言葉だと思いますが、日下先生の言葉を借りれば以下のような視点です。

〈優位戦は、攻めることも守ることも自在、戦いのルールから、勝敗や和平の定義まで決められる立場から仕掛ける戦いで、劣位戦はそれらのイニシアティブがない立場からの戦いです。「日本は悪かった」「日本は間違っていた」というのは劣位戦思考から出てくる答えでしかなく、優位戦思考から歴史のイフを考えると別の答えが出てくる。そして、未来の日本に必要なのは、日本人の可能性を広げる別の答えなのです。〉

この優位戦思考から見ると、当時の日本には様々な選択肢がありました。「追い詰められて堪忍袋の緒を切った戦争」というのは、気分の問題になってきます。

この夏に出された戦後70年の安倍晋三首相の談話に対し、新聞各紙は産経をのぞいて一斉に批判を加えました。

朝日社説は「歴史総括として、極めて不十分な内容」で「日本が侵略し、植民地支配をしたという主語はぼかされ」、「多くの国民と国際社会が共有している当たり前の歴史認識を覆す無理が通るはずがない」と首相の“匍匐前進”を強く難じました。

毎日社説も朝日と同様、安倍談話は、国策の誤りや「植民地支配と侵略」を明記した戦後五十年の村山談話と対照的だとし、「すでに定着した歴史の解釈に異を唱え、ストーリーを組み替えようとする歴史修正主義からきっぱりと決別することだ」と断じました。

読売社説は、「戦後70年談話 歴史の教訓胸に未来を拓こう」と見出しこそ朝毎二紙と異なる口調でしたが、「『侵略』の客観的事実を認めることは、自虐史観ではないし、日本を貶めることにもならない。むしろ国際社会の信頼を高め、『歴史修正主義』といった一部の疑念を晴らすことにもなろう」と金太郎飴でした。

これらの社説に共通するのは、戦前日本の歩みと大東亜戦争の評価を「すでに定着した歴史の解釈」に委ね、それに従うことでしか日本は国際社会に生きられないという現状追認です。

「すでに定着した歴史の解釈」とは何か。
先に述べたように、勝者がその優位を維持するために構築した歴史の解釈で、彼らもその無理を承知していますから、折あるごとに敗者にその受忍を求める政治的作業を行うわけです。「歴史修正主義」というレッテル貼りがその一つです。

今を生きる私たちが、父祖が戦った大東亜戦争について自らの愚かさや無謀の証としか語れないとしたら、日本人はいつまで経っても勝者に隷従する「劣位戦思考」しか持ち得ないことになるでしょう。

劣位戦思考に対するのが「優位戦思考」です。視点と発想を変え、劣位戦思考ではなく「優位戦思考」から日本の戦争目的や戦争設計を考えてみると、一体どんな可能性が浮かび上がってくるか。

「すでに定着した歴史の解釈」以外は認められないという新聞各紙の主張は、大東亜戦争には、後生が誇りに思える大きな意味があったのではないかという歴史の「イフ」を自ら封じるものです。

しかし、歴史について「イフを許さない」というのでは、歴史から教訓を導き出すことがあってはならないと言っているのと同じです。

大東亜戦争とその時代を省みる時、これまでその視点のほとんどが「劣位戦思考」でした。つまり、実力不相応な戦争を仕掛けた日本は負けるべくして負けた。したがってあの戦争は「アホな戦争だった」「自爆戦争だった」と。

日下先生との対談は、大東亜戦争の正当性を証すことを目的とはしていません。個人であれ国家(組織)であれ、ある目的に向かって努力する発想、アイデア、視点の独創的な提示で、日本人の可能性を広げる別の答えを探したものです。
書店での立ち読みでも結構です、一度お手にとっていただければ幸いです。

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