【青木泰樹】経済学における実証の限界

From 青木泰樹@経済学者

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【解説】
人口減少で好景気になる理由
https://youtu.be/To6OMrIABwI

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たいていの人は、「実証」という言葉に弱いと思われます。
「この理論(仮説)は、現実の統計データによって実証されているのだ」と大上段に振りかぶられると、面と向かって反論しづらいですし、何となく「そんなものかな」と受け容れてしまうのではないでしょうか。

しかし、経済理論(仮説)の実証分析(結果)というものは、実は分析対象とする特定期間の特殊な状況を「後講釈」したものにすぎないのです。
その程度のものなのです。
社会科学研究における実証結果は、なにぶん人間社会が相手なので、自然科学研究における実証結果(例えばニュートリノの質量の発見)のような一般性(普遍性)を有していないのです。
両者を混同すると、経済仮説の実証結果を重視しすぎて本質を見失いかねません。

本日は、その辺りの事情を示すとともに、特定期間の実証結果にこだわって、将来をその延長線上にあるものと考えることの誤りについてお話ししたいと思います。

前回は、経済学の原理原則に盲従する経済学者の言説を受け容れることの危険性について指摘しました。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/11/07/aoki-20/
題材としてマンキューの『経済学の10大原理』のうち「政府がお金を発行しすぎると物価は上がる」という原理を取り上げ、それが妥当するには極めて厳しい(非現実的な)前提条件が必要であることを指摘しました。
それゆえ、その原理をベースに現実経済を見ることは不適切であると論じました。

今回の題材もまたマンキューの10大原理のひとつである「社会はインフレと失業の間の短期トレードオフ関係に直面している」という原理(物価版フィリップス曲線)を取り上げ、社会科学研究における実証の意味について具体的に考えたいと思います。
事例としてフィリップス曲線を取り上げるのは、それがしばしば実証分析の対象とされていること、およびリフレ派の人達もこのトレードオフ関係を貨幣的要因と実物的要因の橋渡しとして重視していると思われるからです。

先ずフィリップス曲線を簡略に説明しておきましょう。
それは、1950年代、経済学者フィリップスが英国のデータから発見した経験的な「貨幣賃金率と失業率の負の相関関係」を指します。
その後、サムエルソンやソローといった米国ケインジアンが貨幣賃金率の替わりにインフレ率を用いた物価版フィリップス曲線(以下、フィリップス曲線と略称)を提唱しました。
縦軸にインフレ率、横軸に失業率を表示したときに右下がりの曲線として描かれる関係です。

さらにミルトン・フリードマンは、フィリップス曲線に期待(予想)の概念を導入しました。
具体的には、合理的経済人を前提に、期待インフレ率の動向によって将来の実質賃金率が決まり、それによって労働需要量が決まる、すなわち雇用量(同時に失業率も)が決定されると考えたのです。
そして期待が実現する長期における(自発的)失業率を自然失業率と定義し、経済は長期的にそこから乖離することはないとする「自然失業率仮説」を唱えたわけです。
読者の皆様も、長期において垂直線として描けるフィリプス曲線を見たことがあるかもしれません(現在では、インフレ率と需給ギャップの相関関係もフィリップス曲線と呼ばれるようになりました。また需給ギャップ以外の変数を含めた関係式も「誘導型フィリップス曲線」と呼ばれています)。

こうしたフィリップス曲線解釈の変遷の中に本日の問題が隠されています。
フィリップス自身が提示したのは、経験的事実から得られた相関関係(特定期間における経験則)にすぎません。
簡単に言えば、「たまたま、この期間、そうなっていた」以上のことは言っていないのです。
しかし、米国ケインジアンは、この相関関係を因果関係と解釈し直し、フィリップス曲線を仮説として提示しました。
失業率(原因)が決まれば、インフレ率(結果)が決まり、かつ両者の相関も安定的であると。
そこから景気を良くするためには(失業率を低下させるためには)、より高いインフレ率を甘受しなければならないという米国ケインジアンの政策指針としてフィリップス曲線は用いられたのです。
この段階以降、フィリップス曲線は「いつでも、何処でも、そうなる(その関係が保持される)」という仮説に転じたと言えます。

言うまでもなく、相関関係は因果関係を意味しません(因果関係の必要条件ではありますが)。
フィリップス曲線の場合も、表面上観察される失業率とインフレ率のトレードオフ関係が、他の要因、例えば景気動向(GDPの変動)が原因となって生じた派生現象として捉えることも可能です。
例えば、景気が好転し、雇用が増加しつつあるときに、たまたま財市場の需給が逼迫した状況にあれば物価が上昇するといった具合です。
実際、これがフィリップス曲線の現実的解釈でしょう(両者の相関関係は景気動向に依存しており、一般的な関係は導出できない、個別的現象として認識せねばならないというのが私の考えです)。

米国ケインジアンの提示したフィリップス曲線は、仮説ですから、当然、真偽が実証されねばなりません。
現実の統計データで検証されねばならないのです。
そして、1970年代のスタグフレーション(失業率とインフレ率の同時上昇)という事実の前に米国ケインジアン流のフィリップス曲線解釈は斥けられ、それ以降、短期と長期を分けて考えるフリードマン流のフィリップス曲線解釈が主流となりました。

さて、実証の意味についても少し考えておきましょう。
経済学での実証分析は、論理的に演繹された理論モデルを計測可能な形(計量モデル)に変え、統計データに当てはめて検証を行う作業を指します(いわゆる実証経済学)。
その成果が経済政策に直結するのですから、経済理論と現実をつなぐ重要な分野です。

経済学でそうした実証分析が重視される契機となったのは、20世紀初頭の「論理実証主義」の影響と考えられます。
論理実証主義とは、人文科学(社会科学も含む)の命題(仮説)が自然科学同様に科学的であるための条件として、「論理的命題は検証可能でなければならない」ことを主張した科学哲学(学問およびその進展を分析対象とする学問)です。
現実のデータで検証不可能な仮説は科学ではないという話ですから、その影響下にあった経済学者達が、こぞって経済の質的側面よりも量的側面を重視したというその後の経済学の潮流も頷けるかと思います(もちろん、その方向性によって失われたものも多いのですが)。

ただし、論理実証主義には致命的な欠陥がありました。
ある特定の命題を真とするためには、過去、現在ばかりでなく将来のデータでも真と検証できなければならない場合があるのです(詳細は長くなるので省きます)。
さすがにその検証可能性の基準は厳しすぎるということで、その考え方は急速に影響力を失いました。

替わって影響力を持ったのが有名なカール・ポパーの「反証主義」です。
ポパーは、命題が科学的であるか否かの線引きに際して、データによる反証可能性を有しているか否かを条件に挙げました。
そして、科学的命題が現実のデータで反証されない限り、それは真。ひとつでも反証となるデータが観察されれば、それ以降は偽とされるわけです。
非常に明確な基準であり、自然科学研究においてはまさにそうした基準が適用されていると思われます。

しかし、経済学の実証研究に関しては、そうではありません。
経済学では、問題(命題)の設定すなわち計量モデルの構築までは論理実証主義を踏襲しているように見えますが、命題の真偽の判定に関しては「あやふや」なのです。
具体的には、仮説(命題)に反するデータが出ても、それが棄却されることはないのです。
命題の真偽とは、その一般妥当性に関する判定に他なりません。
ここが極めてあやふやなので(人間社会を分析対象としているので仕方ないのですが)、私は経済仮説の実証結果は、一般性のない、特殊な状況の後講釈であると論じているのです(もちろん、ある仮説で特定の状況を説明することは意義のあることですが、それを一般論として認識することが誤りなのです)。

フィリップス曲線を例に考えましょう。
黒田東彦日銀総裁が講演で指摘しているように(下記参照)、実は1990年代半ば以降の米国とユーロ圏のフィリップス曲線は、ほとんど水平な形をしています(失業率の範囲は異なっていますが)。
日本のそれは右下がりの形状を有しておりますが、インフレ率0%の線をまたいでおり、大部分がマイナスの領域にあります。
http://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2015/ko150524a.htm/

1960年代の米国のフィリップス曲線は、きれいな右下がりになっておりました。
また日本では1970年代から80年代にかけては、曲線が大きく傾いておりますが、2000年代に入るとほぼフラット化しています。

そうしたことから読み取れることは何でしょう。
フィリップス曲線が水平に近いということは、インフレ率と失業率はほとんど無関係(無相関)ということを意味します。
そうした状況下で、失業率が低下してもインフレにならないということは、総需要不足が継続している状況と考えられます。
ちなみに現在、米国のイエレンFRB議長は雇用状況の改善を受けて利上げをすると予想されていますが、フラットなフィリップス曲線を前提とすれば理屈に合いませんね(インフレ予防ということなのでしょうが)。

フィリップス曲線は各国ごとに形状が異なっていますし、同じ国でも期間によって形状が異なっていることが観察されます。
すなわち、「社会がインフレと失業の間の短期トレードオフ関係に直面している」国(期間)もあれば、そうでない国(期間)もあるのです。
それゆえ、フィリップス曲線に関するマンキューの経済原理を一般性のある論理として認識することは適切ではありません。

主流派経済学は、抽象的な市場システムの想定の下で、一般妥当性のある論理の構築を目指していますが、そうした論理を用いて現実を分析しようと試みると必ず歪(ひずみ)が生じます。
その歪の一端が、経済仮説の一般性のない実証結果に表れているのです。

—メルマガ発行者より

【解説】
人口減少で好景気になる理由
https://youtu.be/To6OMrIABwI

3 thoughts on “【青木泰樹】経済学における実証の限界

  1. 仰る通りで、経済学の理論って、
    途中の証明過程は数学的客観性の様なもので覆い隠して自らの正当性を主張してますが、
    その理論が成り立つ前提条件それ自身が、極めて非現実的(時に政治的(笑))ですよね。
    なんか、経済学理論ばかりを勉強している人が、実際の働く現場で何の役に立たない場合があるのも(少なくとも参考程度)、そうしたある特定の仮定の下に立った自称を現実の方に併せようとして齟齬がでる事が問題なんでしょうね。
    前から彼ら経済学ばかりを主張する人達をなんか薄っぺらいなと思ってましたが、その原因が氷解しました。

  2. 仰る通りで御座います。

    そもそも企業にとってはこのグローバル社会において、雇用は無限である事を理解しないと話になりません。国内の失業率とインフレを語った所で意味の無い話です。

    このインフレと失業率の関係に当てはまるのは、第一次産業と公共事業です。つまり需要と供給がほぼ国内でしか賄う事が出来ない産業であることが必要であります。しかし悲しいかな日本は一次産業が弱く、余り効果がございません。残るは公共事業であります。

    捨てる神あれば拾う神あり、日本は他国に比べまだまだインフラも軟弱であり、山間部が多く、海に囲まれ、川が急で、台風の通り道で、雨量が多く、それに加え地震大国であります。

    ここに投資せんと、なんに投資してインフレにすねん! 
    今の失業率は為替による利益率だけや。こんな数字、風吹いたら飛んで行く話やで。こらっ、糞経済学者、並び、政治家、日本を理解せえ!

  3. なるほど、勉強になります。
    統計でウソをつく法、という古典的本を読みましたが、英国で統計学を学ぶにあたってまずこの本を読むようにと、推薦されたエピソードがありました。
    まず懐疑的視点から始める、健全な批判精神こそ、まっとうな学問に必要なものですね。

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